ジョーカー・ザ・ネクロマンス ―死者の蠢く街と、双翼の女機士―

@jesterhide

プロローグ ―凶行―



 それは偶然か、あるいは奇跡か。荒廃した大地の広大さに比べて過剰な人口が集まり、街は都市という名を持つに至った。その名は「ファントムウッズ」。その事実は小さな市長にとって、災厄に等しかった。しかし、この街の伝説が人々を惹きつけるのだ。死者と踊る道化師の伝説。死者を甦らせる怪人の噂。風のように広まる噂が流れを生み出し、ファントムウッズは、その集大成となった。怪人「ジョーカー・ザ・ワイルド」が現れるその日、深淵の闇から死者が蘇る。永遠の別れを祝うかのように、あるいは悲しみを訴えるかのように。その様を眺める不気味な道化師の顔には、奇妙な微笑みが浮かんでいた。



「先日はありがとう、トールさん」


「喜んでいただければそれが最高の礼だ。我が盟友も結婚式に招かれて、確かに感動したことだろう」


「ええ、市内での許可がなかなか下りないから、おかげで妻も大変、喜んでいましたよ」


 ほのぼのとした世間話が続きながら、馬車は街道を揺らりと進む。ホロウオッドから続く狭い街道、時刻は昼。穏やかに吹く風に誘われ、馬車馬は蹄の音を響かせる。トールと呼ばれる大男は、運転席の半分以上を占拠していた。同じ色の制服に、ひっくり返したような紺色の警察帽を被る警察官は、肩幅を縮めながら手綱をしっかりと握っていた。



「でも、トールさんがこんな任務を引き受けるのは珍しいですね。普段は都市の見回りなどを行っているのに」


「ふむ、運ばれているものが、ある種の厄介な物なのだ」


「それは魔鉱機士の同伴が必要なほど危険な代物なんですか?」


「危険というよりは、手間がかかるものだ。それが近しい表現だろう」


「ならば、俺、こんな任務引き受けなければ良かったかもしれないな」


「新妻が恋しいのか?」


「その通りです。結婚したばかりなもので」


 新婚気分を隠さずに自慢する警官は、微笑んで隣に座るトールを見つめた。ボサボサとした金色の髪、厳しい顔つきに濃い髭が顔全体を覆い、森に住む熊のような野性味あふれる外見。しかし、その荒々しい顔立ちとは裏腹に、深く静かな青い瞳には、人々を引き寄せる不思議な優しさが宿っていた。警官は自分が保護されているという安心感を抱きながら手綱を握り締めた。



 馬車がゆっくりと進む中、ゆっくりと進む荷台を引く二頭の老馬は、鞭の音に反応して歩調を速める。ただ真面目に重荷を引く役畜を眺めながら、トールは突如として前方を指差した。


「道端に人影がみえるな」


「あれ、ベイカーじゃないか? あいつ、墓参りに行くとか言っていたっけ」


 人影が近づくと、馬車はわずかに速度を落とした。歩道を歩いていたのは、警官の知り合いだったようだった。


「ほう、お主の同僚か」


「トールさん、覚えていないですか? あいつ、荷積みの時に一緒にいたじゃないですか」


「この馬車の荷物を積み込んだ時か? 覚えておらんな……」


「貴公、ベイカーと言ったか、この道はの先は大陸横断鉄道の駅だ。貴公はこれから里帰りか?」


「ええ、そうなんですよ。今日からちょっと休暇を取って、墓参りに行く予定なんです」


「ほう、墓参りか。それで、何処へいかれるのだ?」


 トールは、興味を示した視線を向け、ベイカーに尋ねた。


「グリードリバーですよ。機士さんなら、ご存じでしょう?」


 トールの直接的な質問に対しても、ベイカーは嫌な顔ひとつせず、丁寧に答える。


「ああ、グリーバリーの出身か。貴公等には悪いことをした、今でも思い出すのだ、苛烈な戦闘の日々を……」


 ベイカーと会話するトールを遠慮して、荷馬車は徒歩の速度で進んでいたが、前足を振り上げた二頭の馬と共に突如として止まった。


「何事だ、なぜ、止まることがある……」


「ああ、行き倒れを見つけてしまったんです。ほんとうについてないなあ……。これで仕事が増えちゃいますよ」



 緑に包まれた街道。警官の言葉通り、馬車の進路に人影が仰向けに倒れていたのが確認できた。その姿は車輪跡の間に見え隠れし、一段と草が生い茂っていれば、きっと見過ごされていただろうというほど目立たないものだった。警官は顎を引いて一瞬の驚きを隠し、舌打ちしながら御者台から地面へと素早く飛び降りた。



 行き倒れの人間を退けるために。しかし警官にとっての問題は、その人物が生か死か、という点だった。もしもすでに息絶えているなら、死体を荷馬車に積んで道の先の駅まで運ばなければならない。腐敗した血肉の生々しい臭いと共に、任務を遂行しなければならない。そのため警官は、その人物が生きていることを切実に願っていた。



「何をするつもりだ?」


「何って、あの人の安否を確かめるんですよ。非番の人に頼むわけにもいかないでしょ?」


 警官は、そう言いながら、ベイカーを一瞥すると、道端に倒れる人影へ、歩を進める。


「なら、私が見てみよう。こういうことには慣れている。」


「ただの行き倒れですよ、私一人で十分です。」


 その言葉を聞いて、トールの胸がわずかに高鳴った。道中央、あまりにも不自然な位置で横たわるその人物は鼠色のコートを羽織り、袖から覗く青白い手からは生命力が感じられない。もしも盗賊の囮だったとしたら、この馬車はすでに包囲されていることだろう。しかし、トールは周囲の森林よりも前方の警官を心配していた。彼は「新婚」だと言っていたはずだが。



 トールの胸中の動揺は収まらず、彼自身も馬車から飛び降り、地面に両足をつけた。


「トールさんも、グリーバリー戦線に参加されたのですか?」


「ああ……。勿論だが、ベイカー……。だが、今その話をするべきではない。後にしたいのだ」


「そうですかぁ、まあ、仕方ないですよね。お仕事ですものね」


 不満げなベイカーの言葉を聞き流し、トールは警官の方へ振り返った。



し かし、先程まで倒れていた人物の安否を確認していた警官が突然慌て出し、震える膝から大げさに尻もちをついていた。何か、不可解な恐怖に脅えているように見えた。



「こ、こいつ……死んでやがる……死んでやがるのに……。」


 警官は確かにその人物が死んでいると言った。だが、その倒れていた人物が這い上がり、灰色の体で雑草を潰しながら、喉元をつかみ上げた。


そして、そのままゆっくりと立ち上がったのだ。


「どうして……。いや……信じられな…い……」


「おい! なんだあいつ! 死んでたんじゃないのか!」


 信じがたい光景が広がっていた。死者が動き、鋼のように冷たい腕で警官を掴み上げている。警官は喉元を締め付けられ、苦痛で腕を振り乱していた。だが、死者の青白い肌は多少赤くなることはあっても、握りの力は微塵も緩まなかった。それどころか、その固まった顔は痛みすら感じていないようだった。



「ベイカー、ライフルは持っていないのか?」


 トールは慌てながら尋ねた。


「何をいってるんです! 休暇中なんですよ! これから鉄道で旅をするっていうのに、ライフルを持ち歩くバカがいるんですか!」


 トールの非現実的な問いに、ベイカーは語気を強めた。そんな二人の目の前で、枯れ木が折れるようなむなしい音が響いた。先程まで苦痛に身を捩じらせていた警官の両腕がだらりと落ち、首が不自然に曲がっていた。



 青ざめた巨体を死者が白い瞳で睨みつけると、豪腕で警官の首をへし折り、先ほどまで愉快に話していた警官をトールに投げつけたにだ。



 力なく舞う身体を受け止めると、トールは声を震わせた。


「ベイカー、彼の脈を確認せよ」


「あ、はい……」


 予想された未来に心を躍らせていた警官が、突如として命を奪われる。警官という職業はそういうものだ。そんな彼を少しでも守りたいと、トールは思っていた。だが、全ては自身の不注意から生じた事態だった。トールは今まで穏やかに瞳を輝かせていたが、その表情は鋭く硬くなった。機士の武器、巨大な金鎚を馬車の荷台から取り出した。それは自分の身長ほどもあり、その頭部は人の頭ほどに大きい鉄塊が乗っかっていた。



 そして、ぼんやりと立ち尽くす死者を目掛けて接近する。


「仕方がない、許せよ市長」


 死者は猛獣のような突進を防ぐために鉛のような拳を振り上げた。だが、トールは自身の巨体を器用に操り、猛烈な一撃を躱すと、鉄槌の頭部を死者めがけて振り下ろした


「我が盟友『クロンダイク』よ、敵を打ち砕け!」


 トールは力強い声を轟かせ、巨大な金鎚を振り上げた。その一瞬、空気が張り詰め、周囲の空間に静寂が広がった。そして、振り下ろされた鉄槌が死者の白い肉体に命中すると、赤く燃えるような火花が散りばめられた強烈な雷光が一気に体を貫いた。その身体は一瞬で倍以上に膨らみ、爆発音と共に粉々に砕け散ってしまった。全ては一瞬の出来事だった。


その空から落ちる雷光を見つめ、ベイカーは慌てたようにトールを呼ぶ。


「トール、トール!ダメだ!彼はもう息をしていない!死んでる!コイツ、死んじまっているよ!」


 警官の身体を受け止めた瞬間、その結果はすでに見えていた。その虚無感に視線を落とすと、トールはベイカーのもとへ歩み寄った。そして、彼の大きな手で警官の開いていた瞼をそっと閉じた。



「いったい今、何が起こったんだ?」


「分からない。とりあえず市街へ戻るべきだ。同じような事例が他にもあるかもしれない」


 トールは少し前に撃退した死者のことを思い出した。


――なぜ動いたのか、誰の仕業か、術者などいないはずだが


重々しく、苦悩を感じながら、トールはゆっくりと立ち上がった。



――同じような事例が他にも...。


――他にも...他にも...。



「ベイカー、警官の死体から離れよ」


「あっ……?」


 トールがその言葉を口にしたときには、既に遅かった。すでに息絶えたはずの警官が再び動き始め、トールの脇に腕をまわし、背中に飛び乗ったのだ。


そして、脇から伸ばした両手をトールの首の後ろで組む。



 巨体の上半身を、万力のような人間離れした力で完全に抑えつけた。トールはその強大な腕で首を締め上げながら、片膝を地につけてもなお、余裕の表情を浮かべていた。その背後には、警官としての職務を忠実に果たすベイカーの存在があったからだ。焦る理由などあるはずもなかった。



「すまない……ベイカー。この者を剥がしてくれないか?」


「わかってますよ。トールさん。」


 護身用に携帯していたのだろうか。鉄と鉄が擦れるような音と共に、少し曲がった形状の曲剣を取り出すと、ベイカーはゆっくりと振り上げる。その直後、太陽のような銀色の閃光がトールの視界に飛び込んできた。助かったと安堵するが、警官の死体は未だに背中に張り付いていたまま。トールは首を傾げた。肉が切れる音が聞こえた。ベイカーが何を斬ったのか、理解できなかった。混乱するトールの視界に、今度は血を滴らせる片刃の剣が映り込んだ。



「おっと、マズイな。同僚の腕を切り落とそうとしたら、あんたの頬を傷つけちまったみたいだ」


 顎髭に伝わる冷たい血に、トールはベイカーの言葉の意味を理解した。



 もっと早く気がつくべきだった。異常な状況にすんなりと順応している者の存在に。動き出した死者に対して、一切恐怖を見せないその男に。怒りは膨れ上がり、トールは頬の痛みすらかきけすような大きな声を轟かせた。



「お前がッ!! 術者かッ!!」


「魔鉱機士は厄介だからな、こうでもしないとあんたらを倒せないだろ? だから不意打ちだ。あんたの心の隙間、確かに、頂戴したぜッ」


 鎖に繋がれた猛獣など恐るるに足らない。ベイカーは不自由に振り乱すトールを嘲笑すると、トールの着ていたコートの奥に隠れた分厚い胸当てに剣先を突き立てた。



「ウヌれぃ……。貴公まだグリードリバーの出来事を恨んでおるのかぁっ……。」


「あんな村どうだっていい。ただ許せないのは貴様等が俺の家族を殺したって言うのに、雀の涙ほどの和解金で事を終わらせた事だ。こんなすばらしい力を隠していたってのによお。」


「なん……だ……とっ……」


 胸を突き刺す曲刀は血脈の中心、心臓を一直線に貫いた。


 やがて、虚無へと沈みゆく意識の際に、トールは風鈴の響きに似た微かな音を耳にした。


「魔鉱機士ども。貴様等が死ぬ間際の息遣い、なんと心地のよい事か。アッハッハッハッハッハ――。」

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