イチゴオレ消失事件(後)


「犯人がわかりました」


 店内の視線が、一斉に彩夜へと向いた。

 誰かの息を呑む音がした。

 そして彩夜は、静かに宣言した。


「犯人はあなたですね。――名前がわかりませんが、そこの女の人!」


 ぴしっと、彩夜は女を指差した。

 このような場面で犯人の名前を口にしない名探偵などそうそういないが、彩夜は名探偵ではないし今はイチゴオレ以外どうでもいいので些末な問題だ。


「イチゴオレを飲み切ったらこの店を出る。それがあなたの犯行の動機です」

「……何を言い出すのよ。めちゃくちゃだわ」

「いいえ、あなたは焦ったんです。何故ならあなたには、イチゴオレを飲み切ることができない理由があった」

「……っ」


 女の表情には、僅かな緊張が見て取れた。

 彩夜は確信と共にその事実を口にする。 


「あなたのイチゴオレには、毒が入れられていたんです」

「なっ……」


 驚いたのは女を除くその場の全員だ。

 しかし女は動じることなく――いかにも平静を装った調子で口を開いた。


「……何を言い出すのよ。突然。毒なんて、誰が入れたっていうの?」

「あなた自身です」

「はあ? 何のために。それじゃ自殺じゃない」

「いいえ。あなたには明確にそれを飲ませたい対象がいました。そこにいる帽子の人……こちらも名前がわかりませんが、とにかく、あなたのストーカーです」

「なっ――」


 驚いたのは帽子の男だった。

 無理もない。自分が殺されようとしていたというのだから。


「以前あったそうじゃないですか、目を離した隙にそこの帽子の人にドリンクを飲まれるという被害が。それも二度も。あなたはそれを逆手に取り、自分のイチゴオレに毒を入れて席を立つことで、そのイチゴオレを飲みにきたストーカーを殺害しようとしたんです」


 つまりは殺人未遂だ。


「なんで私がそんなこと。それに、そんなまわりくどいほうほうで」

「この方法なら、あなたは自殺をするつもりだったと言い張れます。彼が死んだのは彼があなたのイチゴオレを勝手に飲んだからだ、殺意なんてなかった、と」

「……妄想だわ」


 女はやれやれと肩を竦めて首を振った。


「だいたい、それって私たち以外に誰もいないことが条件でしょう? 店長もあなたも店にいたのに、ストーカーが勝手にイチゴオレを飲んだりすると思う? いくらなんでもありえないわ」


 確かに、いくらなんでも人の目がある中ではやらないだろう。

 だが、


「人目がなくなる瞬間ならありました。あなたが毒を入れたのは、私と店長が店の奥に消えたときです」

「な――」

「ストーカーと二人きりになれたあなたは、そのタイミングで毒殺を決行することにしたんです。今しかないと。しかし、そこで誤算があった。何しろそのタイミングで――」


 彩夜は女の傍にいる男性を見やり、


「――その、名前は聞いていませんが、そちらの男性がここへ到着してしまった」


 やっぱりなんだか締まらない気がしなくもなかったが、彩夜は気にせず続けた。


「人が増えたことで、あなたは計画を決行できなくなった。しかしそんなとき、『イチゴオレを飲み終わったら店を出よう』などという提案があった。一口飲みたいなんて話も。でもそれはできません。毒入りイチゴオレを飲ませなければいけなくなってしまいますから」


 しかし、


「幸いなことに、そちらの男性は来店してすぐトイレに向かった。あなたはそちらの帽子の人と二人きりになれた。再びのチャンスですが、しかしこうも思ったはずです。――計画を決行して、もし、うまくいかなかったら?」


 そもそもが確実性のない計画である。

 彩夜と店長の目があってはできなかったというのもあり、イチゴオレに毒を入れたのはたまたま条件が揃ったタイミングだったからに違いない。そんな方法で殺害しようとしていたのだから、失敗したときのことは脳裏によぎるはずだ。


「あなたがトイレに立って帽子のあの人を一人にすれば、おそらく毒殺は成功するでしょう。しかし、絶対ではありません。もしも飲んでくれなかったら、今度はそれを自分たちが飲まなくてはならない……あなたは断念し、毒入りイチゴオレを処分することにした」


 ここからが今回の消失事件の肝だ。


「あなたはまずイチゴオレのジョッキを持ってトイレに行き、毒入りのイチゴオレをすべて捨てました。しかしジョッキが空になっていては、一口飲みたいと言っていたそちらの男性に不信感を抱かれてしまうかもしれない。そう考えたあなたは、咄嗟に空になったジョッキを私のイチゴオレと入れ替えたんです」


 だから彩夜の席には空になったジョッキだけが置かれていた。

 これが消失事件の真相だったのだ。


 だが女はまだ認めようとしなかった。


「そ、その推理は穴があるわ。いくらなんでも、そんな不審なことをしていればそこのストーカーに見られるでしょう」

「ええ、見ていたと思いますよ。でも証言できないはずなんです。ストーカーである彼が、自分はあなたの行動を見ていたなんて自白にも等しい証言をするはずがありませんから」

「――!」


 反論の言葉を失ったのか、女が押し黙る。

 傍らの男は信じられないという顔で口を開いた。

 

「お、おい、まさか本当に」

「……ええ。その子の言う通り。私がやったわ」

「どうして、毒なんて!」

「だって、耐えきれなかったのよ!」


 何やら深刻そうなやり取りである。

 が、ひとまずそれはどうでもいい。

 そんなことより重大な事実に、彩夜は今更になって気が付いた。


「……そっか。犯人がわかっても、イチゴオレが戻ってくるわけじゃないんだ」


 当然と言えば当然だが、なんだかがっかりな結末である。

 魔術犯罪にかかわるときは、なんだかんだで跡切と逢えることが多いのに。


「彩夜ちゃん」


 ふいに店長から声をかけられ、彩夜は振り向いた。

 そこには、イチゴオレの入ったジョッキを持った店長が立っていた。


「店長!」

「飲みたかったでしょ。今回は事情が事情だから、特別ね」

「ありがとうございます!」


 そうして、イチゴオレ消失事件は解決した。

 毒やらストーカーやらは複雑で面倒そうだったので、当事者たちに任せることにした。どのような結末を迎えたのかは、彩夜のあずかり知らぬところである。









〈お知らせ〉

次回更新予定:来週中(仮)

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