真相と飼い主


 女の動きが止まった。

 次の言葉は、動揺を誤魔化すような薄笑いのあとだった。


「……いきなり何を言い出すの」


 女の手がカップに伸びる。急に喉が渇いたのだろうか。

 彩夜は椅子に戻りながら、雑談の声色で言葉を重ねる。


「篠宮美里さんですよ。まさか知らないわけじゃないですよね」

「……私が篠宮美里よ。知ってて話してたんじゃないの?」

「いえ、あなたは篠宮美里ではありません。彼女に成り代わった別人です」

「意味がわからない。私は篠宮美里よ」

「私がなぜ、最初にあなたを篠宮さんと呼んだかわかりますか。そう呼べば、あなたは私を騙せていると思い込む……警戒心を緩めてくれると思ったからです」

「……」


 女は口元まで持っていったカップをそのままテーブルに戻した。


「……そんなはずないわ。だってそれじゃあ、最初から」

「ええ、疑っていました。あなたは篠宮美里ではないかもしれないと」

「嘘よ」

「どうしてインターホンを使わなかったんですか?」


 それが彩夜が最初に抱いた違和感だった。


「私が来たとき、あなたはこの部屋で映画を見ていたんですよね。インターホンを通して話さなかった理由はなんですか。この広い邸宅で、わざわざ外まで出てきたのはなんのためですか」

「……なんとなくよ」


 そうは思えなかった。彩夜がインターホンを押したあのときならともかく、ある程度の調査を終えた今となっては。


「あなたは無関係な野次馬にうんざりしていると言っていましたね。そんなあなたが、インターホン越しに私の素性を尋ねることすらせず、目の前に姿を晒した。何かおかしいと思いませんか?」

「……なんとなくだと言っているでしょう」

「いいえ、それはありえません。インターホンの録画映像の中でも、あなたはわざわざ家の外に出て話をしていましたから。インターホン越しに来訪者の素性を尋ねることすらせずに」


 ウェブメディアの記者の録画だ。あの記者はインターホンのカメラに向けてではなく、そこに実際に現れた家主の方を向いて名乗っていた。


「理由があったんですよね。声のやり取りだけでは終わらせず、自分の姿を来客に見せなければならなかった理由が。そして、そのやり取りをインターホンの録画映像に残しておかなければいけなかった理由が」

「そんなこと」

「あなたは、篠宮美里が今も生きてこの家にいるという記録を残したかった」

「……探偵ごっこはそこまでよ。家に帰りなさい」

「駄目ですよ。死体を処分されてしまっては困りますし」


 さらりと言うと、女は虚を突かれたように押し黙った。

 彩夜の中で推測が確信に変わった。


「どこかにあるはずなんです。あなたが成り代わった篠宮美里の死体が。これだけ広い家の中なら、外へ捨てに行くより家の中に隠した方が見つかりません。——ああ、庭に埋められている可能性もありますね。処分されてしまう前に見つけないと」

「……この家は警察が散々調べ回ったあとよ」

「その頃篠宮さんはまだ生きていたんでしょう。あなたが彼女を殺したのは、今から一週間前かそこらのはずですから」

「何を根拠に」

「インターホンの録画が再開されたタイミングです。偽装工作のためにインターホンの電源を入れたとすれば、本物の篠宮美里があなたに殺害されたのもその頃と考えるのが自然でしょう」

「だからそれはあなたの妄想でしょう。私が偽物という根拠を出せって言ってるのよ」

「あなたの魔術……治癒の魔術と言いましたね。でも本当は違う。肉体を作り変える魔術なんじゃないですか?」


 魔術師が扱う魔術の性質は原則一つだ。

 ただし、その一つを別の性質に見せかけることはできる。


「傷ついた指先を傷のない指先に作り変える。容姿を篠宮美里と瓜二つのものに作り変える。そういう魔術だとすれば、同時刻の二つの動画に篠宮美里が写っていた理由に説明がつきます。炎の魔術を扱う実行犯は、あくまでも本物の篠宮美里。あなたは篠宮美里のアリバイ工作のために、彼女の姿で別の場所の防犯カメラに映った。そして同じ要領で、今度は彼女が死んだ事実を隠すため彼女に成り代わり、インターホンに映像記録を残した」

「だから? そんな憶測が証拠になるとでも?」

「残念ながら。でも、だからこそ家の中を調べさせてほしいんです。篠宮美里の死体が見つからなければ、この話はすべて私の妄想ということになります」


 杜撰な推理である自覚はあった。

 証拠はまだない。動機も背景事情もまるでわからない。ミステリー小説の名探偵がこんな推理をしたなら、非難轟々間違いなしだ。


 だがそれで構わなかった。


 目の前の女が殺人事件に与した危険な魔術師であるなら、彩夜はそれ以上のことを望まない。証拠も動機も背景事情も、彩夜がを果たす上ではまったく関係のないことだ。


「……いいわ。そこまで言うなら、気が済むまで探しなさい」

「ありがとうございます」


 彩夜はにこやかに返した。


「よければ映画の続きでも見ていてください。私は好きに探しますので」

「いいえ、一応ついていくわ。この家は高価なものも多いから」


 そうして席を立った。

 さてどこから探そうか。そんなことを考えながら、彩夜は女に背を向けた。



 



 真横からの衝撃が自分を襲ったのだと気が付いたのは、華奢な体が軽く吹っ飛び、壁に叩きつけられた後だった。

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