キャベツひと玉108円

吉岡梅

キャベツを何に入れる

店内に入り買い物カゴを腕にかけた時、なぜか懐かしさを覚えた。


なんだろう、この違和感。奈美なみは足を止めて考えた。

そうだ。そうか。そういえば、スーパーに来るのは久しぶりだ。ここ最近、慌ただしくバタバタ動き回っていたのでゆっくり買い物に来る時間もなかった。


ただいま買い物カゴくん。帰ってこれたよ。――ただいまって変かな? 奈美は苦笑していつもの順路を歩き出した。すると、1つのPOPと目が合った。


キャベツ1玉108円


108円。108円!? 半玉でなく1玉? お安い。POPを見た奈美の右手は、「お安い」という考えの「す」くらいの時点でキャベツをカゴに放り込んでいた。左腕にかかるどでん、という重み。心地いい。これはいい。いい買い物をした。


◇ ◇ ◇


「デカすぎる……」


目の前のまな板には、堂々たるキャベツが鎮座している。

奈美は包丁を手に思わずうなった。


どうする。とりあえず半分に切ってから考えるか? いや、ロールキャベツにするなら半分に切るのはまずい。やはり先にメニューを考えるべきか? しかしこの量を? どうしてくれようか。


息子のなおなら、ホットプレートを出してお好み焼きスタイルにすれば、半分くらいは平らげてくれるかもしれない。それか、夫の新太郎しんたろうも巻き込んで豚バラと一緒に鍋にしてしまえば、量を稼げるかもしれない。ふむ、悪くはないアイデアだ。――


だが、2人はいない。キャベツを食べるのは、うちで食事をするのは、自分一人だけだ。奈美はそう気づくと包丁をことり、と置いた。


そうだ。そうだった。一人だけになったんだっけ。あらためてその事実が突きつけられる。堂々と鎮座するキャベツは「現実を見ろよ」とまっすぐ奈美を見つめているかのようだ。


お前はお安い値段に釣られただけじゃない。一人になった事を忘れて、いつも通りの分量を手にしたってわけだ。いや、ひょっとしたら心のどこかで認めたくなくて、忘れたふりをしていつも通りの分量を手にしたのかもしれないな。食べきれるわけないだろうに。わかれよ。キャベツひと玉と向き合えよ。――現実と向き合えよ。


キャベツは心を見透かすように微動だにしない。その佇まいに、ふつふつと怒りが湧いてきた。


「なんでキャベツに諭されなきゃならないの」


奈美は包丁を握る。


「しょうがないでしょうが! 急にいなくなったんだから」


ずぱん、とキャベツを両断する。


「しかも2人まとめて」


半玉になったそれを鷲掴みにしてざくざくと乱切りにする。


「やっと落ち着いて久しぶりに買い物にいけたのに!」


ぶんぶんチョッパーに放り込んで力いっぱい紐を引く。


「やってやろうじゃないの」


ブンブン……ブブンブブン……。ボウル一杯に山盛りのみじん切りを放り込んだら、ネギとしいたけにもやつ当たりし、おりゃああ、とチューブのにんにくとしょうがを投入して塩をふって混ぜる。


「主婦なめんなよ? 野菜風情が」


ボウルの中が少し反省したようにしんなりとしたら、仕上げにひき肉を入れ、しょうゆにお酒を加えて練り上げる。


「別に気が抜けたりなんてしてないから!」


餃子の皮に水を付け、念を押すようにきっちりとヒダを押さえて包み上げる。平皿一杯、いや、平皿にずらりと餃子が並ぶ。


どうだ。見たか。ざまあみろ。奈美は満足げに胸を逸らす。一皿分をフライパンに並べて低く水を張ると、強火で煮始めた。


この量でも一人で食べるにはけっこう多い。ご近所のみなみちゃんを呼ぼうかしらん。奈美はそう考えたが、すぐに首を振った。


この餃子は、この想いは、他人に食べさせるものじゃない。私だけにかしか、家族だけにしか食べさせられない。食べさせるべきじゃない。こんなムシャクシャでモヤモヤなものを食べてもらうなんてちょっと悪い。それに、――それに、


この餃子は、私のものだ。


残った餃子をいくつかのタッパーに分けて詰め、冷凍庫に放り込む。冷凍するんだ。封じ込めるんだ。この餃子は。誰にも見せたりせずに、ここに。そしていつか食べきるんだ。私が。私の家族が。


水が飛んだフライパンにサラダ油を流し入れ、少しゆすって弱火で焼く。ふわふわでつるっつるの水餃子もいいが、


もちっとしてはいるけど焦げ目も付いて、パリッと香ばしくて、ちょっと焦げ臭いくらいが似合っている。それを酢じょうゆで無理やりさっぱりいただくのだ。


「絶対食べきってやるんだから」


奈美はいつもより少し火加減を強める。


「食べさせてやるんだから」


冷凍庫のほうにちらりと目をやる。


あの2人に送りつけてやる。大学に行って一人暮らしを始めた尚と、短期研修でフィンランドに行った新太郎に。フィンランドって冷凍便とどけられるのかな? まあいいや。そんなこと知るか! 絶対に届けてやるんだから。


奈美は焼きあがった餃子を皿に取る。フライパンだけ先に洗おうかと思ったが、今日はいい。


テーブルに着いた奈美は、餃子と差しで向き合った。さあ、食らってやろじゃないの。ビールの力も借りたりして。


ぱちん、と音を立てて手を合わせると、を胃の腑に流し込み、飲み込みはじめた。

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