広がる夢

Aさんは夫とともに、ある美術館を訪れた。

海外のとある画家の個展が催されていたのだ。


その画家の作品は、とことん写実描写に拘った美しい風景画が多かった。

だが、一点だけ、知る人ぞ知るおかしな絵があった。


画家いわく「耐え難い悪夢を見た」ということで、彼の悪夢を描いた作品らしかった。


その絵を見るとおかしな事が起きる…ファンを中心に、ネットで噂になっていた。


ただ、見たという人間の証言もないし、どうせ噂だろうとAさん夫妻は冷やかし半分で見に行ったのだった。


美しい風景画を見たあと、その絵は少し離れたスペースに飾ってあった。


さぁ、問題の絵を見よう。

その瞬間、Aさんは突然謎の腹痛と吐き気に襲われ、トイレに駆け込んだ。


夫は心配していた。

Aさんは

「私は大丈夫だから、どうぞ見てきて」

と夫を一人、噂の絵を見に行かせた。


結局、Aさんは体調が戻らず、噂の絵を見ないまま帰った。


夫が言うには、噂の絵は大して怖くはなかったらしい。

シュールレアリスムというか、青空に白い神殿のようなものが描かれ、中から黒い人影がこちらを覗いている。

そんな構図の絵だったらしい。


美術館から帰宅して、夫は突然疲労感を訴え、ベッドに入り眠った。

夕方前の明るいうちだった。


夫は静かに寝ていたと思うと、眉間にしわを寄せ、苦しそうにうめき始めた。

はじめは気にしていなかったが、夜になってもその様子は収まらなかった。


それどころか、顔面蒼白で激しく汗をかき、激しくうなされ始めた。


Aさんが起こそうとしても、全く反応がない。


体調が悪いのかと熱を測ったが、正常だった。


夫はそのまま、明け方まで眠り続け、うなされ続けた。


Aさんもろくに眠れないまま、ようやく夫が目を覚ました。

夫はげっそりとして、頬がこけ、まるで一晩中走り回ったかのように、荒い息をして、疲れ果てていた。


「どうしたのよ。心配で私も眠れなかったでしょう!」

Aさんがつっけんどんに聞く。


夫は青ざめた顔をして言った。

「絵の世界に閉じ込められたんだ」


夫は奇妙な夢を見たと言った。


美術館で見た「噂の絵」の中に自分が入り、神殿の中に閉じ込められた。

黒い人のような形をした怪物が、延々と追いまわして来た。

迷路のような神殿を走り回り、息を殺して隠れ…心底疲れたとのことだった。


「怖かったのがさ、僕以外にも人がいてね。捕まって殺されてたんだよ。僕と同じタイミングで美術館にいた人もいたよ…僕は運よく逃げ出せたけど…。とても夢には思えない程リアルだった…怖かったよ」


それ以来、夫は絶対にあの絵は見ないと心に誓ったそうだ。


ちなみに、Aさんの体調不良は妊娠によるものだったと後に判明した。


Aさんは自分の子どもが私を助けてくれたのだろうと思ったそうだ。


噂は噂を呼び、かの画家の展覧会は今日もどこかで開催されている。


【おわり】

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