上手い文章よりも読める文章を目指す理由

 読める文章を目指したほうがいい。

 その理由は、文章が書けなくなったときの指針になるからだ。上手い文章は毎回書けるはずがない。絶好調じゃないと書けない。

 本来ならば気分が乗ったときの文章を書き続けられるのが一番いいだろう。しかし、書き続けるためには割り切るしかないのよ。

 どんなときでも崩れない文体を目指すしかないわけである。


 スティーブンキングの話に「ナイフ」を使った話がある。


 才能とは研いでいないナイフだと。

 毎日書き続けることでナイフは研ぐことが可能で、徐々に形を変化していくのだと。

 このナイフには長いものもあれば、短いものもあると。ただ重要なのは大きさではない。研ぎ続けているかどうかである。


 で、私が目指してるのは——。


 切れ味が鋭い短刀なんだと思う。

 スパッスパッと何でも切れて、基本を忠実に再現する剣技。


 パッと見では、その凄さには気付かれない。ただ基本を忠実に行い、次から次へと手数を増やしていく。だから、強いみたいな。


 一文一文が短くて。

 ただ読者の心に傷跡は残せて。

 次の文章が次から次へと読めてしまう。

 そんな切れ味が異常に鋭い短刀に憧れる。

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