誕生日プレゼントは浮気でした

筆入優

ウォークマン

 数日前、彼女が「誕生日プレゼントは何がいい?」と訊いていた。僕は迷わず、「ウォークマンかな。音楽だけを聴けるって、なんかお洒落だし」と答えた。それを欲しがった理由の一つに、彼女もウォークマンを持っていたから、というものもあったのだけれど、照れくさくて言い出せなかった。


 彼女はピンク色のウォークマンに白い有線イヤホンを挿して、場所を問わず何かを聞いていた。


 彼女に何を聴いているのかと尋ねたことがあった。


「秘密」と微笑まれては、その後追及する気にはなれず、大人しく僕は折れたのだが。おかげで今も彼女の音楽の趣味はわからないままだ。


         *


 めでたく青いウォークマンをもらった僕は、ビル風の吹き抜ける都会でそれを操作していた。使うのは今日が初めてだ。イヤホン越しに、イヤホンの表面と擦れるような風音を聴く。都会の雑踏を聴く。


 彼女が事前に音楽ファイルを入れてくれていた。それを彼女から聞いた時、「今まで音楽の趣味を秘密にしてきたのは、この日のためか!」とひとり合点したのだけれど、直後「プレゼントの希望を訊いてくる前から内緒だったからそれはあり得ない」と、一つの物語の矛盾に気づいてしまった読者みたいに落胆した。


 ファイルは一つ。無名のファイルなので、どんな曲かわからない。僕は決定ボタンを押した。軽快なロックかそれともピアノの繊細な息遣いか……何が流れ出すのだろうかと期待を寄せた矢先に、『私は浮気していました。ごめんなさい』という実に聞きなれた声がした。彼女の声だった。ふと、一般人が収録したCD音源を転送して聴くことも可能だったと思い出した。しかし、第一声がこれとは。背中を嫌な汗が伝った。


『いつもはサプライズでプレゼントを贈っていたけど、浮気を謝るときぐらいは君の欲しいものを買って別れようって決めてたの。丁度ウォークマンだったし、直接浮気を打ち明けるのも気が引けたから、こうして音声に残すことにしたんだ』


 僕は立ち止まる。ビル風の向こう側から、カップルが歩いてくる。対する僕はウォークマンを胸の前で握りしめたまま、立ち尽くしていた。


『本当に、ごめんね』


 音声は、たったこれだけだった。僕はどこに行く気にもなれなかった。カップルが僕を追い越す。僕は踵を返した。


                      *


 彼女はまだ家に居た。僕は帰るなり彼女を問い詰める。ダイニングテーブルで向かい合って座り、僕は半ば身を乗り出す体勢で口角泡を飛ばしていた。


「浮気ってなんだよ!」


「あ、びっくりした?」


 ウォークマンの中の彼女とはまるで正反対な、陽気な微笑み。


「は?」


「だから、びっくりしたんだなあって」


「スマホを見せてくれ。浮気相手を確認したい」


 僕が言うと、彼女は思いのほかすんなりとスマホを手渡してくれた。


 LINEのトーク履歴を確認する。浮気相手らしき人物はいなかった。登録された連絡先は、職場の人間(それも女性ばかり)と学生時代の旧友らしき人間ばかりだった。彼らと彼女の間に愛の言葉が交わされた形跡はない。


「君、ほんと騙されやすいよね」


 僕はスマホから顔を上げる。


「浮気の真相には続きがあるからさ、私のウォークマン聴いてよ。全部わかるよ」


 彼女は満面の笑みでピンク色のウォークマンを差し出してくる。真相があるなら、一刻も早く知りたかった。僕はイヤホンを挿し、彼女に指定された無名のファイルを押した。ちなみに、こちらもファイルは一つだけだった。


『好きだよ』


 流れ出したのは、聞きなれない声。


 いや、聞きなれないといった感じではない。正しく言い表すのなら、不自然な声質。


 しばらく考えて、それは録音された僕の声だと気づく。


 僕は顔を上げた。気づけば涙が頬を伝っていた。


「浮気相手は、君の声でした。お誕生日おめでとう。私、ずっと浮気してたんだよ」

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誕生日プレゼントは浮気でした 筆入優 @i_sunnyman

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