ボーイミーツガールウィズブラックドラゴン

牧瀬実那

いつかの北陸にて

「じゃあ、いよいよ明後日、土地神様に輿入れするんだ」

 僕の言葉に、幼馴染のすみちゃんは格子越しに綺麗な顔を綻ばせた。ずっと心待ちにしていたと笑う彼女はとても嬉しそうで、ほんのりとした寂しさが胸を過る。彼女の白い喉を彩るしるしは、格子越しでもはっきりと目に入った。


 ――徴のある者はつがわせよ。


 それがこの村での決まりだった。

 遠い遠い昔、土地神様の力を借り受けるときに交わされた約束事なのだそうだ。徴を持つ者が土地神様の番である限り、この村に降りかかる厄災はおおよそ祓われる。

 土地神様に輿入れするのは徴の花が十分咲きになったとき。澄ちゃんの喉にある竜胆の徴は、幼い頃は蕾のようだったそれは、今ではしっかりと咲き誇っていた。


「だから、りょうちゃんのところに来れるのは今日で最後なんだ」

 明日は準備で忙しいから、と、澄ちゃんは申し訳なさそうに言う。僕は、安心させるようにわざと明るい調子で喋った。

「いいよ、わかってる。むしろ今までここに来てくれてたことが、僕にとっては一番嬉しいよ」

 澄ちゃんと僕を隔てる格子を見上げる。


 ここは村外れの地下蔵にある座敷牢だ。十三歳のときから七年間、僕はずっとここで生活している。

 日が差し込まず薄暗いので、太陽が恋しくないかと言えば嘘になるけれど、牢の中は存外しっかりと整備されていて、居心地は暑すぎず寒すぎず案外悪くない。

 訪れる人は、掃除の人と、食事を運んでくる澄ちゃんだけ。

 けれど寂しいと思ったことは無かった


「こんな見た目で、悪いこともしたのにさ、澄ちゃんは毎日欠かさずに来てくれたねぇ」


 右目の辺りを手で擦る。そこには生まれつき、黒い斑模様の痣があった。

 この痣のせいで村の人たちはいつも僕を避けていた。まともに取り合ってくれたのは、澄ちゃんと、彼女の両親、あとは村長くらいなものだ。

 それでも一応、十三歳までは村の中で暮らしていたのだけど、七年前に村の人と大喧嘩して大怪我を負わせてしまったので、とうとう座敷牢に入れられてしまった。

「だって全然りょうちゃんは悪くないもの」

 澄ちゃんはぷくりと頬を膨らませるので、僕は思わず、ははと笑ってしまった。彼女は七年間ずっと同じことを主張し、自ら進んで僕に食事を運んで、他愛もない話をしてくれる。おかげでずっと心穏やかに暮らせてきた。彼女には感謝してもしきれない。

 だから、彼女の晴れ舞台には笑顔で送り出すのだ。僕の寂しくてやましい気持ちなんかで邪魔をしてはいけない。

「神様のところに行っても、元気で」

「りょうちゃんこそ、私が居なくてもしっかりご飯とか食べて」

「うん」

 格子越しに手を合わせ、互いの先を祈る。

 これで本当にお別れだ。

 二度と会うことは無い。


 ――そのはずだった。


「澄ちゃん!?」

 土地神様への輿入れで忙しいはずの澄ちゃんが、息を切らせて、乱れた服もそのままにやってきたので、思わず叫んだのは、翌日の夕方頃のことだ。

「りょ、りょう、りょうちゃんっ」

 泣きつくように、澄ちゃんは格子に取りすがった。ひどく取り乱しており、目にはいっぱいの涙を浮かべている。

「ど、どうし、どうしようりょうちゃん」

「お、落ち着いて澄ちゃん、深呼吸、深く吸って、吐いて」

 ガタガタと震えている彼女を抱きしめられないのにもどかしさを感じながら、僕は必死に彼女を宥めた。彼女はしゃくりあげながら、りょうちゃん、と繰り返す。

「むら、む、村に、化物が出たの。し、白くて、大きくて、ぶよぶよで、よくわからなくて……っ、そ、そいつがお父さんと、お母さんを、たべ、食べて……」

「……!?」

「そしたら、そいつ、ふ、ふたつに増えて、お父さんと、お母さんの姿になって! わた、私も手を掴まれたんだけど、必死に振りほどいて、そうしたら化物の手が千切れたから、に、逃げて、外に出て、出たら、そこら中に同じ化け物が居て、こわ、怖くて……!」

 完全に泣き出してしまった彼女の手を擦りながら、僕は大丈夫、大丈夫だよ、と声をかけることしかできなかった。今までそんな化物が出るなんて話、聞いたことないぞ!

 だけど、澄ちゃんの様子は尋常でないし、彼女の腕にしっかりと残った赤い痕は、人の手の形をしていなかった。

 

 本当に、何か居るのだ。良くない何かが。


 ぞくっと背に悪寒が走る。

 村外れとはいえ、地下蔵は村の中にある。化物がここにやってくるのも時間の問題だろう。

 その前に、どうにか澄ちゃんを遠くへ逃がさなければ。

 必死に必死に考えて、ようやく口にできたのは「澄ちゃん、ここもきっと危ないよ。村の外に逃げなきゃ」というなんとも頼りない言葉だった。座敷牢に囚われた身では、それくらいしかできない。

 ――もし僕が外に出られたなら、澄ちゃんを守りながら逃げれたのに。

 悔しくて唇を噛む僕に、澄ちゃんはイヤイヤと首を振った。

「りょうちゃんと一緒じゃなきゃやだ」

「澄ちゃん、でも……」

 ダメだ。なんとか説得しなければ。思考がぐるぐると回る。

「そ、そうだ澄ちゃん! 土地神様のところに行こう。厄災を祓ってくれるんだから、きっと化物もやっつけてくれるよ。土地神様が来るまでは、僕がここで音を出して化物を引き付けるから」

 出まかせだ。地下蔵で音を出したところで外には殆ど聞こえないだろう。一刻も早く彼女をここから引き剝がせるのなら、嘘でもなんでもいい。

 なのに、澄ちゃんは絶対に首を縦に振らなかった。

 どうして。

「だめ、だめだよ、そんなことしてる間にりょうちゃんが化物に食べられちゃう。そんなのダメだよ。土地神様にお嫁に行くのだって、りょうちゃんを守れると思ったからなのに、その前にりょうちゃんが死んじゃったら意味無いよ」

「澄ちゃん……!?」

 彼女の言っている意味がわからなかった。

 澄ちゃんは番になりたかったんじゃないの? 土地神様に会いたかったんじゃないの?

「違うよ!」

 澄ちゃんの声が響く。

「私が小さい頃から好きなのは、土地神様じゃなくてりょうちゃんなの! 土地神様の番だからってみんな私のこと腫れ物を触るみたいだったのに、りょうちゃんだけが私と普通に遊んでくれて、話をしてくれて、ずっとずっと嬉しかったの! だから、恩返しがしたくて!」

「……」

「りょうちゃんを犠牲にするくらいなら、私はここに居る!」

「澄ちゃん……」

 言葉が見つからず、ただ彼女と僕を隔てる格子が恨めしい気持ちだけが渦巻いた。ここで揃って化物に襲われるにしたって、このままじゃ見ていることしかできない。

 嫌だ。

 今すぐにでも澄ちゃんの傍に――!


 ――カシャン


 悔しくて力任せに格子を叩いた瞬間、


「……は?」

 

 こんなときに都合よく鍵が?

 当然のように頭の中が疑問で埋め尽くされたけれど、とにかくこれで澄ちゃんと触れ合える。

 僕は急いで牢の戸を開けると、澄ちゃんの手を引いて中に引き込んだ。

 ようやく抱きしめることができた澄ちゃんは、小さくて華奢で頼りなく、とてもひとりで逃げるなんてできないように思えた。

 りょうちゃん、りょうちゃんと、彼女は必死にしがみついてくる。

「……」

 一緒に逃げるにせよ、ここで終わりを迎えるにせよ、一旦落ち着かなければ。

 澄ちゃんの背中をさすりながら抱き上げると、寝台に寝かせ、僕も隣に転がった。布団は柔らかく僕たちを包み込み、外の音が届かない静かな座敷牢の中で、澄ちゃんの震えも僕の混乱も次第に収まっていく。

 それと同時に先程の澄ちゃんの言葉を咀嚼することができた。

 

「……はは、まさか両想い、なんて」

 

 考えもしなかった。

 澄ちゃんはずっと、土地神様が好きなんだと思っていた。いつも嬉しそうに土地神様への輿入れ話をするから、僕はただの友達で、入る余地なんてないと。だというのに。

 じわじわと事実がしみ込んできて、そんな場合ではないのに、嬉しくて笑ってしまう。お互いが好きになった理由が似てるのも、なおさらおかしく感じた。

 澄ちゃんはいまいち僕が笑っている理由を理解できていないのか、きょとんとした顔をしている。うん、もう決まりも化物も知ったことか。どうにでもなれ。

 

「僕も澄ちゃんが好きだよ」

 

 改めて告白すると澄ちゃんは頬を真っ赤に染め上げた。あーあと彼女を抱き寄せながら言葉を続ける。

「本当はさ、澄ちゃんを土地神様に取られたくなかった。だって澄ちゃんは昔から僕の大事な人だもの」

 いつも一緒に遊んでくれる、優しくて笑顔が素敵な人。例え優しさの真意は違ったとしても、惚れない方が無理だ。

 思えば昔、村の人と大喧嘩をしたのだって、相手が澄ちゃんを馬鹿にしたのが原因だった。僕の中心にはいつも澄ちゃんがいる。

「手を取ってどこか遠くへ逃げたかったけど、座敷牢に入れられちゃったし。どうしようもないならせめて笑って見送ろうって思ってたんだけど」

 ぐい、と身を起こして澄ちゃんの上に覆いかぶさる。

「こうなっちゃったらさ、土地神様じゃなくて僕と番う? 最期の思い出に、なんて」

 我ながら最低なことを言っているな、と思った。そんなことをしている場合じゃないのもわかっている。

けれど澄ちゃんは僕と同じように笑って、首に腕を回してきたから。

 僕はそっと彼女に口付けた。


***

 

 ――何か変だ。


 澄ちゃんと身を交わし、熱で浮かされた頭に微かな違和感がよぎった。

 彼女に触れ、深く交わるほど、体が熱くなる。その熱がただの興奮ではなく、何かの力のように感じられるのだ。

 やがて背骨がみしりと音を立て、体の感覚が徐々に変わり始めたとき、違和感は確信に変わった。

 

 背骨から頭へ、足先から腹へ、手から胸へ。熱は奔流となり、みしみしと軋みながら僕の姿形を変えていく。意識も少しずつ変質している気がする。

 だというのに不思議と怖くなく、懐かしさすらあった。

 それに、と自分の下に居る澄ちゃんを見る。

 彼女は僕の有様を見ても、少しも変わらずに僕を愛おしそうな目を向けてくるので、己の変化などどうでも良くなった。

 今はただ、彼女と愛し合いたい。

 それが全てだった。

 

 ――そうして幾度か果てたとき、何もかもが変わった。


***


「澄ちゃん、ごめんね。本当は一緒に寝て余韻に浸りたいんだけど、やらなきゃいけないことがあるから」

 疲れて眠る澄ちゃんに謝った。彼女の頬を撫でる自分の手は、今や猛禽類の足のようで、黒い鱗に覆われている。

「ん……」

 寝ぼけているのだろう。彼女は小さく呻ると、布団の中でもぞもぞと丸くなる。その姿が愛らしくて、己の尾が揺れるのを感じた。

「大丈夫、澄ちゃんが起きる頃にはきっと全部終わってるから」

 だから待っててね、と言い残し、地上へ向かった。


「うーん、これは酷い」

 久しぶりに間近で見た村は、澄ちゃんの言った通り化物で溢れていた。目に見えるだけでも十は居る。うごうごくねくね動く姿はとても気色悪い。

 とりあえず近くに居た化物を裂いてみる。べとべとの肉塊を触るような嫌な感触だったが、化物は呆気なく裂け、四散した。他にもいくつかなぎ倒してみたところ、とりあえず倒すのは簡単そうだ。あとは時間との勝負といったところか。

「まあ、やれるだけやってみるか」

 うーん、とひとつ伸びをした後、とんっと村の水源に向かって


 蓋を開けてみれば、ごく単純な話だった。


 村の決まりである「徴のある者は番わせよ」は嘘ではないけれど言葉が足りない。

 村に徴を持つ者は、

 彼らを番わせろ、というのが決まりの全容だ。

 では今回、澄ちゃんと対になるもう一人は誰かと言えばぼく……竜太郎りょうたろうだった。つまり、ぼくの右目周りにあったのは痣ではなく徴だった。

 『竜胆の徴を持つ者を介して、鱗の徴を持つ者に土地神たる黒龍を降ろす』

 それが本来の儀式だ。

 実際に、澄ちゃんを通して神降ろしを受けた竜太郎ぼくの姿は、今や龍の尾と角を持ち、残る半身も龍へと変じている。自我も、竜太郎と黒龍が混ざり合った不思議な感覚だった。

 完全に黒龍に成らなかったは、降ろした力が黒龍の一端に過ぎないからなのか、黒龍の思惑と竜太郎の意思りがいが一致しているからなのか。

 どちらにせよ、竜太郎ぼくの澄ちゃんへの想いは変わっていない。

 とはいえ

「なんで儀式をこんなややこしい感じにしたかなぁ~そう決めたのぼくなんだけど」

 思わずため息をついてしまう。

 多分、村で決まりの詳細を知らなかったのは竜太郎ぼくと澄ちゃんだけだったのだろう。

 他人との接触を絶ち、お互いにお互いだけと深く交流することで、自然と結ばれるように仕組んだのだ。座敷牢の鍵が簡単に外れたのも、もしかしたら最初から触れ合えるようにワザと脆いものにしておいて……

「いやまだるっこしいな! 最初から許嫁で良かっただろ!!」

 悪態をつきながら水源に降り立つ。村がどこまでわかってやっていたのかよりも先にまずは目の前の問題を解決しなければ。

 今、村に発生している白い化物は、土地神ぼくとは何も関係の無い。偶然どこかから流れ着いたとか、村に溜まった澱みが変化したとか、そんなところだろう。

 本来、土地神ぼくの力があれば襲われること自体無かっただろうが、運悪く依り代の代替わりに重なってしまった。可哀想だが長く暮らしていればそういうこともある。約束を反故にしたわけじゃないし、今から何とかするので許してほしい。

 幸いにも先ほど適当に化物を倒したとき、土地神の力が効くのがわかったし。澄ちゃんも、力いっぱい抱いた今、加護に満ちて化物は一寸だって触れられないだろう。最悪、彼女が無事なら良し。

 うんうん、と頷きつつ、髪を数本引き抜く。ふうと息を吹きかければ髪は龍の髭へと変わった。

 それを水源に投げ入れる。

 しばらくすれば村中の水に龍の力が浸透するだろう。少しでも水が通っている場所は浄化するだろうし、村人が飲めばそれだけで護りになる。

 もちろん、流石にそれだけでは時間が掛かってしまうので、次にありったけの雨雲を集めて村中に雨を降らせた。村を押し流さないように調整しなければいけないのが難点だが、大体の化物はこれで片が付くだろう。

 あとは残ったものをひとつずつ潰していけば良い。

「よし、全部終わったら澄ちゃんと立派な結婚式挙げるからな! 待ってろ!」

 降りしきる雨の中、黒龍ぼくは一声吠えて村へと駆けるのだった。

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