貴女の裏は、僕の表

神原ゆう

貴女の裏は、僕の表

「僕は貴女に恋をしています。」


そう伝えられたら、どんなに良いことか。



〜〜〜〜



今日も彼女を目の前にして、そう思う。


目の前にいるこの女性の名前は、分からない。見た目から判断するに恐らく二十代だろうが、僕が分かる情報はそれと、容姿が只々ただただ美しいということだけだ。


この頑丈なガラスの壁のせいで彼女と話すことすら叶わない。彼女はこの部屋の中にいて、こっちには来れないのだろうか。理由は知っていながら、この世界に対して疑問に思う。


彼女は、黒塗りで、暗くて、狭い部屋にいる。一面だけは透明なこの壁に覆われて。

と言っても、この向こうにも恐らく部屋があるのだが。


初めての出会いは、確か三ヶ月くらい前。


僕は自分のねぐらを出て、暫く近所を散策していた。あのときはここに来たばかりで、周りの様子もまるで知らないし、何もかもが分からなかった。家から離れたここで、ガラスが一面にだけ張られた大きな部屋を見つけた。いや、僕は体が小さいから大きく感じるだけかもしれない。

その部屋の中には何人も人がいて、皆こっちを見ていた。最初は少し恐ろしくて、すぐに離れてしまった。怖い物見たさに誘われて次に見たときから、わるわる現れる人が気になってよく見に来るようになった。




ある日、彼女と出会った。彼女はどこか羨ましがる様な目でこちらを見ていた。恨めしさのない純粋な目で。


その美しい姿にすっかり惚れ込んでしまった僕は、その後も毎日のようにここを訪れ、この壁の先を眺めた。いつも夕方頃に姿を見せる彼女は、僕もいつもここに居るということに気付いているみたいで、手を振ってくれたりすることもある。今では互いを認知している仲だ。


その日にどんな事があっても、彼女に会うとその一日はハレの日になる。手を振られたり、ガラス越しにでも触れ合った日には、嬉々として家まで帰る。


名前も知らず、話したことすらない人間一人にそこまで執着するのはどうかと、そう言われるかもしれないが、それくらいしかする事が無いというか、彼女に生きる希望を見出しているからここまで彼女のことを考えているんだと思う。 


いつも同じ、魚のマークが腰のあたりに刺繍されたツナギ服を来て現れる彼女。最近さいきんはその姿に疲れが見えて、この部屋にとらわれているのではと心配になる。彼女と同じ空間で話をして助けになりたいと、助けになって欲しいと何度思ったことか。


でもそれは叶わない願い。この姿では、彼女 と恋仲になるなんて到底不可能だ。



記憶が途切れたあの日から僕は変わってしまった。

顔も身体も自分のものではなくなった。言わば"転生"だ。ただちまたで流行るような夢に溢れたものじゃない。人ならざる者の姿に変えられ、今まで娯楽として見ていたものになってしまった。なぜ僕がこんな目にと世界を恨んだが、どうやっても変わらないものは変わらなかった。




(はぁ。)


余計なことを考えたな。目の前に彼女がいるんだから、それだけで十分だ。そうに違いない。




〜〜〜〜




この壁を見つけて一年分に当たる時間が過ぎた。この姿になってからは大してすることもないから、今日もここに来る。これで一年分とは到底思えない程の短さだった。ここ一週間位は彼女が来なくて長かったけど。


……!?

なんで?


いつもとはまるで違う彼女に心臓が跳ねる。いつもの華の無い服ではなく、綺麗な水色のワンピースを身に纏った彼女が、知らない男と話している。二人並んで、彼女はいつもより物悲しそうに“こっち側”を見ている。


今まで一度も服装が変わることがなかったのに。

今まで誰かと話していることも殆どなかったのに。

ただ、僕の心臓を震わせたのは、彼女の美しさではなく、男に対する嫉妬でもなく、大きな「焦り」だった。


今までもこれからも、僕の人生において“変化”より恐ろしいものはない。ずっと変化に振り回されてきた。


確証はない。でも分かる。きっともう彼女には会えない。きっともうここに彼女は現れない。彼女は自由になる。……いや、違う。彼女は元々自由だ。


本当は最初からわかってたんだ。この暗い部屋は本当は部屋じゃないことも。僕がいるのは大きな箱の中だってことも。囚われているのは彼女じゃなくて僕のほうだったんだってことも。


くっそっ!


ゆがみが生じるほど厚いガラスに思いっきり体当たりする。壊れたりしないと知っていても。


割れろ。これさえなければ、この中にさえいなければ……。


っつ!!


やめてよ、こっちに来ないで……そんな笑顔を向けないでよ。


これ以上あなたのことを好きに、この世界を嫌いにさせないでよ。



〜〜〜〜―――



「この子もらってもいいですか?」


「このクマノミの子です」


「この子、私のことが好きみたいなんですよ。私がここの担当になる時間になると、

いつも住処から離れて私のほうに来るんです」


「でしょ?ホントびっくりです。きっと私が好きなんですよ」


「転勤先の水族館に行っても、きっとこんなに可愛い子はいないですよ」


「向こうの許可はもう頂いてるんで、館長が良かったら、向こうの水族館に寄贈して欲しいんです。どうです?」


「まあ、確かにこの子はここに来てまだ2ヶ月しか経ってないですよ?でもこの子からしてみれば1年分もここにいたんです。引っ越ししてもぎりぎり違和感ないですよ」


「ほんとですか?!ありがとうございます!」



「おーい。やったね。これからも私と一緒だよ〜」


「可愛いなぁ〜。私も魚になりたいなぁ。私も綺麗なひれで綺麗な水の中を泳ぎたいなぁ」




―――~~~~



人間に戻りたい。あの足で、彼女の隣に立ちたい。

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