鉄塔のカンパネルラ「ノアと帝都のガーディアン」

菜藤そまつ

第一章 帝都での出会い1

第一章 帝都での出会い



 帝都の風は、湿っぽい。大陸の乾いた風と大違いだ。まとわりつくようなその風は、夏特有のものらしい。海の上は快適だった。さわやかな風が、頬を撫で、前には顔を出したばかりの太陽。海の上はとても気持ちが良かった。

 ノアはもう大地に降り立ったというのに、海の上の心地よさばかりを思い返す。


 降り立った見知らぬ大地。それが帝都。東の果ての、未開の地だ。

「渡航目的は?」

 帝都の役人が、船から降りた人間にぶっきらぼうに声を掛ける。順番に待つ。

(商船に乗って来ているんだから、目的は商売だと思うけどね)

 ノアは、ご丁寧に一人一人に同じ質問をする役人たちをつまらなさそうに見つめる。

 やがてノアの番が来た。

「茶葉を売りに来た」

 ノアはそう言い、預かって来た書類を役人に見せる。

『これが入国許可書。まあ、偽造しているものなんだけれどね』

 大切な上司はそんな言葉と共に、書類をノアに預けた。

「よし、通れ」

 帝都は、東の果てにあるエディルネ帝国の首都。ノアは今日、生まれて初めてエディルネ帝国の地に降り立ったのだ。ノアが後にしてきた大陸のブルメシア王国と、一応友好的な関係にあるのがエディルネ帝国だ。

(適合者と、接触できるかな……)

 ノアは、多少肩につく茶色い髪を指に絡ませる。今回、大きな任務を背負って帝都に降り立っている。もう一度、自分の任務を確認しようとした時。


「あ、そこの、顔のいいお兄さん。帝都に来たのなら、これ食べていかない?」

 長い髪を結い上げ、太ももをあらわにした女性が近づいてくる。そして、ノアを見上げて声をかける。

「これはシャルロっていうのよ。中にあんこが入っているの。甘くておいしいわよ」

 差し出したのは手のひら程度の大きさの食べ物だ。こんがりと焼き目がついていて、厚みのある食べ物。そのうえには白い砂糖が振りかけられている。小麦とバターが混ざり、焼けた匂いがしている。

「うーん。確かに甘そう。でも僕、甘いもの対しては厳しいよ?」

 ノアの言葉に女性はにやりと笑う。そして、シャルロをふたつに分けた。開けた部分から暖かい湯気が出ている。ノアは中身を興味深そうに、そっと見つめる。

「……中が黒い。気持ち悪いな」

「初めて見た人はそう言うわ。でもね、すっきりした甘さで口の中で溶けるの。騙されたと思って、食べてみてよ。で、美味しかったら、あの店で二十個くらい買って行って頂戴」

 女性の笑顔に押され、ノアはシャルロを口へと運んだ。さらりとした甘さが口に広がり、消える。

「……美味しいね、これ」

 ノアはもう半分のシャルロも受け取り、食べた。

「でしょう?」

 女性は満足そうだ。ノアは先ほど「気持ち悪い」などと発言したことを思い出し、目を細める。罰の悪そうな顔だ。

「……君、人に物を売る天才だね。僕、美味しくなさそうだなあと思ったのに」

「ふふ、褒められちゃった」

 女性は笑顔を浮かべて、船から降りた別の客のもとへ向かった。手にもっている籠の中に、焼き立てのシャルロがまだたくさん入っているようだ。

(大陸では、こんな食べ物なかったなあ)

 咀嚼しながら、ノアは海の向こうを見つめる。改めて、違う文化圏に降り立ったことを感じた。帝都の港には、大陸の港のようにいくつもの露店がある。この港が、漁業のためではなく人の流通のための港であると示している。

 今までの帝都は、セラフの民の逃亡先であるだけの地だった。セラフの民とは、人間とは異なる力をもち、自然を操ることのできる民だ。ブルメシア王国では多くが迫害され、隣国のエディルネ帝国へと逃亡するセラフの民が後を絶たない。

 航海の技術が進歩してきている今、このような繁栄している港街のあるエディルネ帝国は、発展していくのではないかとノアは思う。


 いくつかシャルロを買おうと思ったノア。いくつも並ぶ露店の前に来る。あといくつか食べたいなと、シャルロを扱う屋台を探す。

 中身の黒いあんこが衝撃的だったため、もとの姿を鮮明に思い出せないノア。

(あれ……あの食べ物の名前、なんだっけ)

 いくつかの露店の品物を見ながら歩くノア。似たような甘味がいくつもある。できれば先ほどの女性の屋台で買いたいと思うノア。屋台まで案内してくれたらさらに良かったのに…とノアはほんのり思う。

「なんだったかなあ……あの食べ物……」

 今、買わなくても問題はない。だが、いずれ帝都を後にするときに、船で海を見ながら優雅に食べたいとも思っていた。お菓子の名前が分からないのは困る。

「……うーん。なんだったかなあ」

 見つけられないと感じると、余計に食べたくなる。

(……まあ、帝都にいる間にまた目にするかもしれないか)

 

 人目につく港に長く留まるのは良くない。ノアはその場を離れようとした。

 その時。

「……シャルロ、だろう」

 声がした。ノアが振り返ると、青年が立っていた。どうやら、彼が教えてくれたようだ。

「……あ、そうだ!シャルロ!思い出した」

「端から三つ目の露店に置いてあった。さっきの売り子の店だ」

 低い声。そして、感情の無い冷たい声。湿っぽい夏の日差しに、似つかわしくない。灰色のシャツと黒いロングパンツ。身長は百九十センチメートルくらいだろうか。長身で、顔が小さくて、大陸で活躍している舞台俳優のような風貌だ。ノアは青年の顔を凝視する。青年は眉をひそめた。

「なんだ?」

「いや……。すっごいかっこいいから俳優さんかなあ、と」

「違う」

「シャルロ売りの人?」

「違う」

「……ふうん」

 ノアに助け船を出した青年は、身をひるがえしその場を離れようとした。

「……わかった!君もシャルロが好きなんだろう?お礼に君のも買ってあげるよ」

「は?」

 青年はノアの言葉に歩みを止め、戸惑いと驚きの表情で振り返った。

「ほら。来て来て」

「……やめろ」

 ノアは青年の表情に構わず、手を引く。

(こんな俳優みたいな人を近くで見られるなんて、ラッキーじゃん。楽しもう!)

 シャルロ好きの青年などとは思っていない。どのくらい自分のペースに乗ってくれるのか。ノアは試しているのである。

 青年は口では「やめろ」「違う」「いい加減にしろ」というが、それ以上のことはしなかった。手を無理やり振りほどくようなことはしない。

(うん。きっといい奴だ)

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鉄塔のカンパネルラ「ノアと帝都のガーディアン」 菜藤そまつ @napazuru

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