第29話 母の肖像画

 コリンナに頼み込み、どうにか調理場を借りる了承を得たリアは、屋敷内や屋敷周りを歩き回りゲルトを探していた。腕にはコリンナが包んでくれた軽食の入った籠を下げている。

 ひとり寂しく朝食を終えた、まだ早い時分である。


 基本的にはリアと離れることのないゲルトだが、小屋から戻って以来、ふらりとどこかへ行ってしまうことが増えた。記憶がないのだから、口づけしたことを気まずく思ってというわけではないだろうが、じっと見つめるとふいに目を逸らすこともあり、リアは訳がわからなかった。


 食堂に行かないときは、部屋でゲルトと食事をするのが習慣になっていたのだが、コリンナが呼びに行っても既に部屋にはいなかったらしい。


 空腹のまま散歩しているのかもしれないと不安を吐露すると、コリンナはそそくさと厨房へ向かい、戻ってきた手にはパンや果物の入った籠があった。

 人気のない場所で、剣術の稽古などをしているのだろうと、裏庭を重点的に探したのだが、その姿は見えなかった。


(どこに行ったんだろう。厨房のことも伝えたいのに)


 ゲルトは体を動かすのも好きだが、パン作りも趣味だ。

 慣れない環境と、小屋での一件を考えれば、ゲルトにも息抜きが必要だろう。


 今までもそれとなく厨房を使わせてもらえないか聞いたことがあったのだが、料理人たちが首を縦に振らなかったらしい。だが、クラウスが新たな女性を連れて来なかったことで、リアの評価が変わったらしく、一転して許可が出たようだ。使わせてもらえるのは有難いが、複雑な心境ではある。


 ため息をついてから、籠に目を落とす。温かいものが入っていたわけではないので冷めるということはないが、早くゲルトの腹に収めてほしいと思う。食事を抜くなど心配だ。


「そういえば、昨夜、ゲルト様から肖像画について聞かれました。ディアナ様のものですわ。クラウス様のお母様です。肖像画はどこにあるのかって」


 リアが籠を受け取り、ゲルトを探しに行こうとすると、コリンナは思い出したというようにそう呟いた。


「以前は、玄関から入って正面に飾られていたのですが、今はクラウス様の自室にあるんです。ゲルト様、どうして肖像画のことを知っていらしたのかしら」


 リアはひたと足を止め、屋敷を眺めた。

 白い壁は光の中に浮かび上がり、黒い屋根がくっきりと空との境を描き出す。

 屋敷へ戻るため、リアはなだらかな緑の道を上って行く。

 周辺を探しても見つからないのなら、ゲルトは屋敷内にいるのかもしれない。


(よくわからないけれど、肖像画を見たかったのかな)


 もし何かしらの理由から、ディアナの肖像画を探しているとしても、クラウスの部屋にゲルトが行くとは考えにくい。

 だが、そのことが妙に引っかかり、自然と歩みが早くなった。


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