第24話 古びた小屋

 モルゲーン屋敷は広大な土地の中央にぽつんと佇むように建っている。

屋敷の周りにも厩や倉庫などの建物があるが、それ以上に緑豊かな草原や小川などが流れ、田畑なども見える。

 屋敷の西の森というのも、敷地内にあるもので、管理は行き届いているようだった。

 

 森へ続く小道も整備されており、リアは迷わずそこを走り抜けた。

 追いかけて来ていたはずのコリンナは、リアの足に着いて来られなかったらしく、姿が見えない。


 歌う小鳥たちが枝にとまり、反対側の木々にはリスが素早く駆け回る。

 本来であれば心を和ませるその光景を横目に、ひたすら小屋を目指して走っていた。この道を辿れば、必ず小屋に行く着くはず。


 森を入って少しすると、やがて小屋が見えた。

 木で組み立てた簡素な小屋で、かなり古いものらしい。すいぶんと色褪せており、 ところどころ削れているようにも見える。緑の蔦が壁に這い、すっかり森に溶け込んでいた。

 

 リアは自然と胸の前に手を持っていき、鍵を堅く握り締めた。

 熱の移った鍵感触を確かめながら、小屋の扉についた鉛色の錠を見る。木製の小屋に不釣り合いなほど無骨で頑丈な鍵だ。言い知れぬ不安を抱えながらも、扉の錠に鍵を差し込み回す。滑りが悪く少し手古摺てこずったが、どうにか錠を取り、恐る恐る扉を開けた。

 

 ぎいという耳障りな音に、心を逆撫でされるような心地になりながら、暗がりに目を凝らした。


「ゲルト?」

 

 小屋にある窓は、純度が低いのと、ずいぶんと汚れている為か、光をあまり通さない。しかも、カーテンと呼ぶには抵抗があるほどのぼろきれではあるが、一応遮光はしているようだ。

 古い木の香りと埃っぽい空気が充満しているが、わずかに食べ物のにおいが混ざっている。


「ゲルト、いるの?」


「……リア?」


 擦れたゲルトの声が聞こえ、リアは急いで奥へと進んだ。

 小屋の最奥の壁に背を預けるようにして、ゲルトは座っていた。

 縄の掛けられた足は投げ出され、その上に同様に縛られた手がだらんと乗っている。

 

 傍には盆の上に瓶に入った水と、食べかけの丸いパンが乗っていた。リアは飛び付くようにして、ゲルトの前に膝をついた。

 すぐに手首の縄に触れ、俯くゲルトの顔を覗き込む。


 いつもふわっとしている蜂蜜色の髪は、薄汚れてごわつき、肌には土のような汚れがついている。リアは胸に込み上げる感情をどうにか飲み込みながら、視界が霞むのを止めることはできなかった。手が震えた。堅くきつく巻かれた縄が憎らしかった。これを巻いた人も、それを指示した人も。全てが憎かった。


「今、取るからね」


 縄の結び目を指でどうにか緩めようと試みる。だが、結び目はあまりに堅い。

 小刀でも持ってくれば良かった。

 ゲルトは力なく顔を上げた。


 虚ろな深緑色の瞳がリアを映す。

 刹那、緑の瞳に光が差した。

 そして、生気を取り戻したように、その表情が変わった。

 薄汚れた顔に、ふんわりした笑みを浮かべ、ゲルトは縛られた手をリアの頬に伸ばす。

 左手の甲でリアの頬を撫で、目を細めた。


「リアだ……本物のリアだ」


 意識が混濁しているのか、いつものゲルトらしくない、幼い子供のような物言いだった。

 乾いた唇の端を弓のように引き上げ、少し歯を出して笑う。

 その姿に、リアは焦りを覚えた。

 水の半分入った瓶に手を伸ばすと、それをゲルトの口元に持っていく。


「飲んで、ゲルト」


 ゲルトはされるがままに、水をごくごくと飲み下す。口元から水が零れ、顎を伝い、襟を濡らす。


「ゲルト、剣は?」


 瓶を置き、自分の袖口でゲルトの口元を拭いながら、リアはゲルトの腰のあたりに目を落とす。縄を自力で切るのは無理そうだ。ゲルトは小剣を身に帯びていたはずだ。それがあればすぐにでも拘束を解ける。だが、彼は剣を身につけていない。ざっと周囲を確認するも、やはり見当たらない。


「さあ、わからない」

 

 気の抜けるような返事に、ちらとゲルトを見る。

 締まりのない微笑みを浮かべ、嬉しそうにこちらを見つめている。

 その姿にぞっとするものを感じ、半ば目を逸らすようにして、周囲に目を走らせた。

 何か縄を切るものが欲しい。

 そのとき、先程手にしていた瓶に目が吸い寄せられた。


(よく硝子の破片で縄を切る話があるよわね)


 リアは瓶を引っ掴み、急いで扉付近に移動すると、そのまま勢いよく叩き落とした。

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