第13話 出立
少ない荷物をまとめて車上の人となったのは、それからすぐのことだった。
逃げ出すことを想定したのか、自室を出ると、監視役のように神官が立っており、リアやゲルトと目が合うと、気まずそうに目を逸らした。別段親しくしていたわけではないが、まるで裏切られたような気がして、リアは唇を噛みたい気分だった。それでもそんなことを露とも思わせない穏やかな表情で、彼の横を通り過ぎ、神殿の外へと向かった。
そこには既に栗毛の馬が引く四頭立ての立派な黒色の箱馬車が留まっており、リアは思わず足を止めた。
別に逃げ出そうなどと考えてもいなかったが、逃げ道を塞ぐように立ちはだかる馬車が、いかにもこの先の行く末を表しているかのようで、自然と表情が曇る。
「ずいぶんと荷物が少ない」
後方から声が掛かり、リアはびくりと肩を揺らした。
当て擦るような言葉に、不快感が胸に広がる。
鋭い目つきをしたゲルトと、固まるリアの横を堂々とすり抜け、クラウスは馬車の扉の前に立つ。すると、申し合わせたように馬の傍らにいた御者が走り寄って、頭を下げると、恭しく扉を開ける。
「こういう場合はお嬢さんからだ。どうぞ、元聖女殿」
馬車の座席を指し示し、リアに目配せする。
その気取った仕草に辟易しながらも、リアは軽く頭を下げ、乗り込もうとするが、目の前に通せん坊するかのようにクラウスの手がさっと差し出される。
ぎょっとしてクラウスを見れば、傲慢そのものの顔に、微笑みを浮かべている。
「お手をどうぞ」
思わぬ言葉に目を見張っていると、クラウスを棒立ちのリアの手を取り、馬車に乗り込む手助けをした。
(ちょ、ちょっと!)
思いの外男らしく骨ばった手と、その驚くほど熱い体温に、戸惑っていると、豪奢な内装が目に飛び込んできた。柔らかなそうな座席は緋色のベルベッドで覆われ、天井には繊細な植物の文様が描かれている。今までこんな高級な馬車に乗ったことがないリアは、知らず知らずのうちに身を縮ませて内装を眺めていたが、「お好きな席に」と笑い交じりの声がして、急いで端の席に腰を下ろす。思った以上に沈み込み、バランスをとろうとしているところに、ゲルトが乗り込んできた。不機嫌そのもののゲルトは両肩に下げた簡素な袋を抱え直しながら、リアの真正面の席に座った。
そのあとから、クラウスが慣れた様子で乗り込み、外から御者が扉を閉める。
窓の外に、ちらりとアンナの姿が見えた。
既に聖女の正装に着替えたアンナは、先程とは打って変わって普通の少女のように見えた。
塗り過ぎていたおしろいや紅も落としたらしく、派手だった第一印象よりも、好感が持てる。
だが、その顔に浮かぶのは、晴れやかさとは縁遠い顔だ。
眉を寄せ、唇を噛み締めて、恨めしそうな目を馬車に向けている。
というより、馬車の窓を通して、リアを睨みつけているように見えるのだ。
(念願の地位を手に入れられたというのに、何であんな顔を?)
アンナは聖女になりたかったとクラウスが言っていた。
姪っ子がいるだの、黒い石を浄化しろだの、嘘で塗り固められたクラウスの言葉の中で、アンナが聖女になりたがっていたというのには真実味を感じた。いくら、クラウスの計略に乗ったのだとしても、縛りのある聖女という大役を引き受けるということは、本人に少なからずその意思があったからなのだと思っていた。
しかし、リアはクラウスとアンナの関係性を知らない。
もしかしたら、アンナはクラウスに騙されたのではないか。リアと同じように。
そう考えれば、リアを見つめるアンナの顔にも説明がつく。
(でも……どうしようもないわ)
だからといって、アンナに同情できるほど、リアは人間ができていない。
リアは窓から視線を外す。もう、神殿に何も思い残すことはないと、自分に強く言い聞かせた。
程なくして、馬車は走り出した。
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