第1章
第1話 もうひとつの記憶
リアが前世の記憶を思い出したのは七歳の頃。
いつものように幼馴染のゲルトと森で遊び回り、そろそろお昼だから帰ろうとして駆け出し、うねった木の根に足を引っかけたときだった。
「あっ……!」
右足の爪先を引っかけ、そのまま手を出す暇もないまま、思い切り顔面から地面に突っ伏す。その衝撃で気を失ったとき、リアは見た。帯のように流れる記憶の数々を。
夢の中で、リアは
肩までの髪をポニーテールにしたごく普通の女の子。
大多数の日本人と同じように黒髪に黒い目で、銀髪で紫水晶の瞳を持ち、妖精のようだと称されるリアとは似ても似つかない。
響子は四人家族で、両親と四歳違いの兄大吾と二人兄妹だった。
特段、語るべきこともない普通に幸せな家族だったと思う。
でも、きっと、あの日にその幸せは崩れたのだろう。
卒業式を間近に控えた三月のある日。
悪魔のような受験勉強を終え、見事志望校に合格した響子は浮かれていた。
受験を頑張ったご褒美にと、電車に乗って大手家電量販店のゲームコーナーに足を運び、「聖女の恋は前途多難~リントヴルム・サーガ~」という乙女ゲームを手に取ったのだ。一緒に攻略本も購入し、ドキドキしながら家路についた。
なにしろ、響子にとっては初めての乙女ゲームで、しかも兄たちがプレイしていたRPG「リントヴルム・サーガ」の乙女ゲーム化という注目度の高さもあり、そわそわして落ち着かなかった。だが、さすがに電車で、攻略本を開くわけにもいかず、響子は早く家に帰りたくて仕方なかった。早く帰らないと、ゲームをすることもできない。両親と兄の帰宅前に、序盤だけでもプレイしてみたい。
落ち着かない胸を押さえながら、近所の横断歩道を渡ろうとした時だった。
真っ赤なスポーツカーが凄まじい勢いで走って来たのだ。既に歩道の半ばにいた響子は目を見張った。足が縫い付けられたように動かない。思わず目を瞑ったその時、腕をがしっと掴まれ、強い力で引かれた。そのまま、誰かの胸の中に抱き込まれる。
刹那、ひどい衝撃が全身を襲い、束の間宙に浮いたかと思うと、思い切りアスファルトに叩きつけられた。
何が何だかわからなかった。頭が真っ白に染め上げられたが、それでも自分を引き寄せた人のことが気になったのだろう。自然と瞼が上がり——目の前には彼がいた。
(雲野くん……? なんで……?)
そこに同じように倒れているのは、兄の友人である
壮介は虚ろな瞳で響子を見ている。そして、口を開いた。
『——』
壮介の声が出ていないのか、それとも響子の耳が聞こえないのか。
彼の言葉が届かない。
(ああ、何でこんなこと……神様、どうか、雲野くんだけは、雲野くんだけは助けてください)
そう強く願った。
そして、風間響子の視界は暗転した。
目を覚ました時、まだ森の中にいた。
半泣き状態のゲルトに抱きかかえられていたのだ。
「クモノくん……?」
記憶を取り戻して混乱していたリアは、ゲルトを紫水晶のような瞳に映すと、そう呟いた。
ゲルトは目を見開いて、食い入るようにリアを見つめ、それから涙を堪えるように瞼をぎゅっと閉じる。大粒の涙がボロボロと零れ、リアの顔に雨のように降って来た。
「良かった……リアが目を覚まして。本当に……良かったっ……‼」
温かな雫で、リアの意識は徐々に蘇ってくる。
「あれ……えっと、私どうしちゃったんだっけ? 何で、ゲルトは泣いているの?」
「木の根につまずいて転んだんだ。顔から思い切り。それで、しばらく目を覚まさなくて。動かしちゃまずいと思ったから、そのままここで様子を見てた」
ゲルトは自分の額と、鼻の頭を指さす。
「リア、おでこと鼻、擦り剥いてる。痛いよな、早く帰ろう。俺が負ぶってく」
指摘されてはじめて、体中の痛みに気がづく。
額や鼻、頬骨辺りもひりひりするが、肩も腕も、膝頭も打撲の痛みがある。
ゲルトはリアを木の幹に体を預けられるように、根元に座らせた。そして、リアの前に背中を向けて屈みこむ。
「リア、少しつらいかもしれないけど、俺の首に手を回して、しっかり掴まってて」
痛む身体をどうにか動かし、目の前の小さな背中に負ぶさった。
リアとゲルトの体格はほぼ同じだ。体重だってそうなのだから、ゲルトにはかなりの負担なはずだった。けれど、リアの家である村長の家に着くまで、ゲルトは泣き言一つ言わず、おんぶしてくれた。頬に当たるふわふわした蜂蜜色の髪からは草木の匂いがして、頬が緩んだのを覚えている。
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