聖女は過保護な聖騎士に溺愛される

雨宮こるり

プロローグ

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 生命の水を湛える清らかな井戸の前。

 常に静寂が満ちるこの場所に、不遜な声が響き渡る。



 顔に掛かった黒髪を掻き揚げ、男はニヤリと笑った。

 男の名は、クラウス・フォン・アーレント。近隣に領地を持つ領主の道楽息子だ。


(騙したわね……!)


 男の傍らには、波打ったワインレッドの髪を靡かせながら、一人の女が寄り添った。

 妖艶な笑みを浮かべ、明らかにこちらを見下すような目をしている。


「リア……!」


  背後から、急いで駆け付けようとするゲルトの足音。

 リアは一組の男女を睨み据え、奥歯をぎりっと食い縛る。


「で、では、これで決しましたな」


 白い神官服を纏った初老の神官長が、挙動不審のまま歩いてきて、リアと、対峙する男女の間に割って入った。

 そして、跪いていたリアに立つよう促すと、視線を泳がせながら早口で言う。


「たった今より、ヴェルタの聖なる乙女はアンナ・バーレ嬢となる! 以後、バーレの姓を捨て、聖女として生きよ!」


 本来ならば、幾人もの見届け人の前で、厳かに宣言すべきそれを、この前任者から引き継いで間もない神官長は、ずいぶん適当に言い放ったものだ。


 リアは呆れ半分、怒り半分で、神官長を睨みつけ、それから、自分の肩に手を置いた幼馴染へと顔を向ける。

 深緑色の瞳に気づかわしい色を浮かべ、そっと寄り添ってくれるゲルトは、ヴェルタの聖女であるリアの、唯一の聖騎士である。


 リアは、肩に乗るゲルトの大きな手に自分の手を重ね、ゆるゆると首を振った。

 正直、わけがわからない。

 こんな事態は前代未聞だろう。


 昨日まで、平穏に暮らし、明日もそうであると疑いもしなかったのに。

たった今、昨日までの日常は途切れた。


 ヴェルタの聖女リアは、突然やってきた男女に、その座を追われたのである。


「リア」


 躊躇うように名を呼ぶゲルトに、リアは微笑んで見せる。


「心配しないで」


 聖女になって、早四年。

このまま力が果てるまで、ヴェルタの聖女として生命の水を清めていくはずだった。

だが、その任は解かれた。

もう自由の身である。


「さっさと準備して、村に戻ろうか」


 リアとゲルトの育った、エデルの村へ。

 きっと、みんな「おかえり」と言って、温かく迎え入れてくれる。


「そう……だな」


 ゲルトも微笑み返し、肩に乗せていた手を背に回し、生命の間からリアを連れ出そうとする。

 が、


「待て」


 偉そうな声が掛かり、リアは足を止める。

 クラウスがつかつかと近寄ってくるのがわかる。

 けれど、振り向く気にはなれない。


「お前は、俺がもらい受けることになっている。支度をしろ」


 リアは目を見開き、勢いよく振り向いた。

 クラウスは闇のような瞳に一際強い光を湛え、言い放つ。


「お前は俺の女となるんだ」


 あまりの衝撃に、リアは立ち竦む。

 この男は一体何を——?


「何を考えている‼」


 怒りを必死に抑えたようなゲルトの声が響くも、リアは動けず、ただニヤついた男の顔を凝視することしかできなかった。

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