異世界に飛ばされた私に手を差し伸べてくれたのは声の出せない水の女神様でした

二星クリン

第一章

第1話 女神様とはじめまして

「どうしてこうなっちゃったんだろう」


 目の前に広がる見慣れない光景に思わず声を出してしまった。

 私、静永しずなが雨音あまね十五歳、高校一年生。


 今朝もいつもの時間に起きてからお弁当を作って学校に行った。

 放課後は部活のない涼風すずかと一緒に帰りながら寄り道をして、いつものところで別れた。

 今日もいつもと変わらない普通の一日だった。

 普通の一日、のはずだった。


 いつもと違ったのは涼風と別れた後、変な木の扉が目の前に現れたこと。

 私は思わずその扉に触ってしまい、それが失敗だった。

 

 扉に触れた瞬間、扉が勝手に開き始めて、私はまばゆい光に包まれた。

 私はその眩しい光に耐えきれず、目を瞑ってしまった。

 しばらく目を瞑ったまま動けずいると、瞼の裏に届く光が徐々に弱まっていくのを感じて、私はそっと目を開けた。

 

 次の瞬間、目を開けた先に広がっていたのは、たくさんの木々に囲まれている、とても大きな湖だった。


 そして、今に至る。


「夢かなぁ」


 また思わず独り言をつぶやいてしまう。

 とりあえず、こんな時は古来からのお約束。頬を引っ張ってみる。


 うん、いたい。


「だよね。だって、ついさっきまでの記憶もはっきりしてるもんね」

 

 右、左、後ろを確認してみるけど、どこまでも広がる木々しか見えない。


 この森の中、制服姿でスクールバッグを提げている私の姿はすっごく浮いてるだろうね。


 頭の中で森に佇む自分の姿を思い浮かべてみたけど違和感しかなかった。

 再び顔を前に向けて、視線を目の前に広がる大きな湖に戻す。


「でも。夢じゃないとしたら、あれ、なんだろう」

 

 目の前に広がる大きな湖の真ん中あたりに女性の人影が見える。

 ただ、その人影は普通の人の姿とは少し違って見えた。

 

 女性は一枚の薄いクリーム色の布を肩と腰で止めているような格好をしていて、身にまとう布から覗く肌の色は全身が透き通る水色だった。

 

 その姿はまるで、水が美しい女性を象って動いているように見えた。


「どうみても普通じゃないよね」


 また頬を引っ張ってみる。やっぱりいたかった。


 とりあえず、じーっと女性を観察してみる。

 女性はウェーブのかかった長い髪を揺らしながら、楽しそうに水と戯れていた。


「あ、こっち向いた」

 

 しばらく眺めていると女性もこっちに気がついて、じっと私の顔を見つめてくる。

 視線を交わして見つめ合っていると、女性はまた何かに気がついたような顔をしてこちらへ近づいてきた。

 女性は目を細めながら何かを確認するかのようにゆっくりと湖の中を歩いている。

 私との距離が近くなるにつれて、女性の表情がどんどん明るくなって、歩く速度が早くなっていく。


 そして、女性の笑顔が最高潮に達した時。

 両手を大きく広げて、こちらへ全力で駆け出してきた。


「えっ、なになになに!?」


 なんであの人急にこっちに走ってきてるの!?


 突然、こちらへ走り出してくる女性に驚いて、とっさに後ろを向いて逃げようとする。

 だけど、約五秒後。女性は私の腰を抱きかかえるようにダイブしてきて、私は呆気なく捕まった。


「わっ! ちょ、ちょっと! 急に何ですか! 離してください!」


 女性に肩を掴まれ、くるっと回転させられて、顔を合わせる。

 目の前まで来て初めて、女性の身長が高いことに気がついた。

 私の身長がそんなに高くないせいもあるけど、女性は私よりも頭一つ分くらい背が高かった。

 私は自然と女性を見上げる形で目を合わせる。


 うわっ、この人、すっごい綺麗……。


 近くで見る女性の顔は息を呑んでしまうほど美しかった。 

 普通の人ではありえない、全身が透き通る肌の色にも、不思議と恐怖は感じない。

 むしろ、真剣な表情で私の顔を覗き込む女性の姿は神秘的で、私は彼女のことを昔どこかで聞いたおとぎ話に登場する『水の女神様みたい』だと思った。


 女性は私をじっと見つめた後、表情をまた一段とパッと明るくさせた。

 そして、私に抱きつき、ぎゅっとする。


「あ、あの?」


 なんでこんなことをされているのかわからなくて女性に声をかけてみるけど、彼女から返事は返ってこない。

 私はぎゅっとされたまま固まる。


 しばらくの間、ぎゅっとされたまま動けずにいると、女性は満足したのか私のことを手放した。

 しかし、解放されたことにほっとしたのも束の間。

 次に女性は両手を私の腰に添えると、私のことを持ち上げる形で抱き上げた。

 いわゆる、たかいたかーい状態だ。


 なんで!?


「あ、あの!?」


 また声をかけてみるけど、返事が返ってくる前に女性はその場をくるくると回りはじめ、私の体は抱き上げられながら空中で回転する。


「ぎゃあああああほんとになんですかああああああ」


 女性はしばらくの間、嬉しそうな表情を浮かべて絶叫する私のことをひたすら、くるくると、抱き上げていた。



   ◇   ◇   ◇



「ほんとに何なんですか……」


 私は今、ひとしきり激しいスキンシップに満足した女性に膝枕をされている。

 湖のほとりにある木陰に場所を移して、爽やかな風が流れる中。

 女性は肩先まで伸びた私の髪を梳くようにして、頭を優しく撫でている。


 突然抱きつかれたり訳のわからないことばかりだったけど、ようやく落ち着いてくれたかな。

 とりあえず、話しかけるなら今だよね。

 でも、何から聞けばいいだろう。まずは自己紹介でいいのかな。


「あの、私、静永雨音といいます。よかったら名前、教えてくれますか?」


 私の質問に女性は困ったように首を横に振る。

 名前を聞いてみたけれど、断られてしまった。

 だけど、私の言葉はちゃんと通じているみたいで安心した。

 

 でも、それだったらさっきも抱きついたり、ぐるぐるする前に反応してよ……。

 

「名前はあるんですか?」


 明らかに私と同じでない女性に、そもそも名前があるのか気になった。

 私が尋ねると女性は指を一本立てて、それを頬に当てながら何かを考えている。

 そして、また首を横に振った。


 名前は無いのかぁ。それじゃあ、一体何を悩んでたんだろう?


「そうですか。名前が無いのはなんて呼べばいいか困っちゃいますね」


 会話するのに名前がないのは不便だと思ったけど、女性は全く気にしていないみたいで、また私の頭を撫で始めた。

 

 次に私は女性を見上げながら、さっきから一番疑問に思っていたことについて聞いてみる。


「あの、あなたはその、人間では……無いですよね?」


 女性に尋ねた私の声は徐々に小さくなって尻すぼみになってしまう。

 それでも、私の声はちゃんと届いていたみたいで、女性は笑顔のまま首を縦に振った。

 

 やっぱり人間じゃないんだ……。


「じゃあ、あなたは何なんですか?」

 

 どう聞けばいいのかわからなくて、思ったままを口にして聞いてみる。

 すると、女性は私の問いかけに対して湖を指差した。


「湖ですか?」


 女性は即座に首を横に振る。

 どうやら違ったらしい。


「じゃあ、水?」


 今度は首を縦に振る。

 そして水を指差し、さらに女性自身を指差す。


「水ですか? まさか、水の女神様だったりして」


 思わず、出会った時に感じた印象が口をついて出た。

 その言葉に女性はニコニコしながら反応して、腕を高くあげ、頭の上で大きな丸を作った。


「えっ……あの、本当に、あなたは水の女神様なんですか?」

 

 おそるおそる尋ねると、女性は頬に片手を当てながら首を少しだけ傾けて笑みを深くする。

 女性の口から『ふふふ』って聞こえてきそうな顔だった。


「そ、そうなんですね」


 まさか肯定されるなんて全く思ってなかったから女性の返答にすっごく戸惑った。


 でも、明らかに人間じゃないし、この際目の前の女性の正体がおとぎ話に登場するような水の女神様でも、おかしくはない……のかな?


「じ、じゃあ女神様ってお呼びしますね」


 とりあえず、疑っても仕方ないので水の女神様だと納得した。

 女神様は頷きながら、戸惑う私の頭をまた撫でている。

 

 彼女の正体が水の女神様だとわかったところで、他にも気になっていた点についても質問してみる。


「あの女神様、私の言葉を理解してくれているみたいですが、女神様はお話することは出来ないのですか?」


 女神様は目を細めながら微笑み、一瞬、間を置いてから頷いた。

 そして、指でバツマークを作って口に当てた。


「……そうですか」

 

 なぜかわからないけど、微笑みながら言葉を話せないと頷く女神様は、一瞬、寂しそうに見えた。

 気のせいかもしれないけど、不意に見えてしまった女神様の表情に私はなんて返していいのかわからなくて、ついそっけない感じで返事をしてしまった。

 

 聞いちゃいけないことだったかな……。

 

 だけど、女神様は特に気を悪くしたわけでもないみたいで、すぐにまたニコニコ笑顔になって私の頭を撫で始めた。

 

 というか女神様さっきから私の頭撫で過ぎじゃない?


 とりあえず、一方的ではあるけど会話ができることはわかった。

 次に私は女神様に本命の質問をする。


「女神様、ちょっと聞きたいことがあるのですが」


 女神様に今日あった出来事について話す。

 突然、目の前に木でできた変な扉が現れて気がついたらここにいた事。

 元の場所に帰りたいこと。

 なにか知っていることがないかを聞いてみる。 

 女神様は真剣に私の話を聞いてくれて、一つずつ答えてくれた。

 

 まず、目の前に現れた木でできた変な扉について。

 扉の存在について、心当たりはあるらしい。

 ただ、なぜ私がここにいるのか、帰る方法についてはわからないとのこと。


「そうですか……」


 ここへ来てしまった原因はあの木でできた変な扉で間違いない。

 ただ、ここへ来てしまった原因がわかっても、女神様の反応を見るにすぐ帰れそうな雰囲気も無さそう。


 どうしようかなぁ、うーん。

 

 これからについて模索し始めたところで、女神様にまた頭を撫でられる。

 女神様は頭を悩ませる私ににっこりと微笑んだ。 


 ……仕方ない、切り替えよう。


「女神様、いろいろ教えてくれてありがとうございました」

 

 体を起こし、頭を軽く下げてお礼を言う。

 そして、次に取る行動について考える。

 

 考えようにもやっぱり、圧倒的に情報が足りない。

 女神様の他に詳しい話を聞ける人を探したほうがいいかな。

 となると、次の目標は人探しだ。


「女神様。私、他に話が聞ける人が居ないか探してみようと思います」

 

 でも、どこへ行けばいいかな。

 右も左も木ばっかりで、どっちへ向かえばいいのかわからない。

 

 悩んでいると女神様が立ち上がり、私の目の前に来る。


「どうしました?」


 私が尋ねると、女神様は右手で拳を作って自分の胸を軽く叩いた。


「自分にまかせてってことですか?」


 女神様は頷き、私に手を差し伸べた。

 私がその手を取ると立ち上がらせてくれて、軽くグイグイと引っ張られる。

 そして、指を一本立てて森の中を指し示す。


「森の中を案内してくれるんですか?」

 

 女神様は微笑み、頷いた。

 今さっき出会ったばかりの私に、手を差し伸べてくれる女神様の優しさがジーンと身に沁みる。


「ありがとうございます、女神様。女神様は優しいんですね」

 

 お礼を言うと、女神様は嬉しそうにまた微笑み返してくれた。

 私は優しい女神様に手を引かれて、森の中へ歩みを進めることになった。


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