第20話 契約

「一角初華ってどういうこと?」


 俺の失言を聞き逃すはずもなく、一歩距離を詰めて怪訝けげんを含んだ顔をのぞかせた。


「そんなこと言ったか?俺」

「言ったでしょ絶対。もしかしなくてもさっきまでここに居たあの子のことよね?」


 一通りの話を済ませたのか、楽しそうに会場のスタッフと雑談を交わす初華を目にしながら怜は鋭い眼光を光らせて仮説を打ち立てた。


「NEO芸能事務所って最近できた会社よね。それなのに新米アイドルをいきなり規模の大きいフェスに出場させるプロデュース力。そして、あなたの口から漏れた一角初華」


 一つ一つの推理のパズルが合致がっちしたのか、ニヤリとたくらみを含んだ笑顔を浮かべると導き出した1つの答えを確信する。


「貴方が所属してる芸能事務所の社長さん。もしかしなくても一ノ瀬千夏さんかしら?元一ノ瀬芸能プロダクション社長の。そうよね?」


 一角初華の名前を口にした時点でこの未来は確定していた。どれだけ俺が白々しく嘘をついてこの場を抜けても、この情報を他事務所に漏洩ろうえいされれば計画の真髄しんずいとなる不意打ち作戦に大きな支障をきたす。ならばなんとしても怜の口をここで止めておく必要がある。

 

「そうだ、一角初華ってのはお前も知っているとは思うが芸名で、かの伝説的なアイドルの復活をテーマとして彼女に名付けた」


 これは俺の失態。今回の計画のかじを握っている俺が一番してはいけない痛恨のミス。事務所にダメージを与えず、負担を全て俺が負うことを条件にどうにかして抑えたい。

 

「正気とは思えないわね。死んだアイドルの名前を使ってデビューさせるなんて。死者の墓を掘り起こすような真似をしてファンが黙ってちゃいないわよ?」

「言いたいことはわかるが俺たちには俺たちの事務所方針ってのがある。多少の炎上は承知、心中も覚悟の上だ」


 ひるむことなく死を前提ぜんていとしていると彼女の前で断言する。少しだけ驚いた様子の怜だったが、一度咳払いをして調子を戻した。


「一角初華を名乗る以上、生前の伝説をけがさないような圧倒的な実力がない限りその名は名乗らない。つまりそれなりに勝算があってその博打ばくちに出てるのね」

「そうだ‥‥だが、それは全ての計画がトントン拍子に上手く行った場合に限定される」


 怜にとって、今までの話は全て建前。俺たちがこれから行う計画になどハナから興味がない。今彼女の頭にあるのは、どうやって俺をもてあそぶかそれだけだった。


「折角敏腕社長が決起した新しい事務所。そして経緯は知らないけど彗星すいせいの如く現れた期待のエース。この2つのカードを貴方の失言で全部ぶち壊すわけにはいかないもんね〜?どうしよっか?」


 俺の失言からあらゆる情報を瞬時に理解し、交渉のテーブルを既に用意していた怜は今この状況を大いに楽しんでいる。

 言うなれば目の前にいる素材を如何様に焼くか、茹でるか調理手段に悩む料理人のようだ。


「事務所に悪影響を与えないなら、俺にできることはなんでもやる。だからさっきの失言はお前の中だけでとどめておいてくれ」

「うーんまぁ、内容次第かな?貴方がすぐ私のマネージャーになるって言うなら即決するけど」

「言っただろ。事務所に悪影響を与えないのが条件だって。NEOはただでさえ人手が足りていない。マジでそれだけは勘弁してくれ」

「あっそ」


 一度鼻で笑った怜はポケットに入っていたスマホを取り出し、とあるQRコードの画面を写して見せた。


「なんだこれ?」

「私の連絡先。もし貴方のスマホに何かしらの連絡があったら、どんな状況においても優先して私のもとに来るように」

「‥‥それに何の意味が?」


 ここに来て、友達同士で遊びの約束をするようなことを言い出す怜。何か弱みを追求されることを想定していたこともあり、強く警戒する。


「別に?私1人じゃどうしようもない詰みの状況に出会した時、貴方の存在は強い武器になる。その血筋はもちろんそうだけど、貴方の頭と機転があればどんな状況でも打開できる気がするから」


 まるでこれから先、自分の身に何かが起こることを想定して取り付けたような約束。いわば彼女にとってこれは保険であり、万が一の切り札。そんな期待に応えられる自信はないが、彼女の現状から考えて今すぐその時が来る可能性は極めて低い。使わないことだって大いにあり得るのだから充分妥協できる提案だ。


「了解した。ただ一つだけ条件を付け足してもらう。俺に連絡してくるのはその時が最初で最後にしろ。お前と話すのはこうやって仕事で会った時だけにしたい」

「何それ寂しいじゃん。ダメ却下」

「なら勝手にしろ。俺は返信しないからな」


 向こうでこちらに手を振る初華。どうやらリハーサルも、最終確認も、スタッフとのコミュニケーションも済んだようで早く帰ろうと腕を上下に動かしてジェスチャーを見せる。

 これ以上コイツと話すこともないため、早々に立ち去ろうとすると勢いよく手首を掴まれたため、歩みを止めた。


「どうした?」


 振り返らずポツリと呟く。久しぶりに握られたその手は柔らかく、懐かしいぬくもりを感じた。


「あの日あれだけのことをした私を嫌っているのはよくわかる。私も裏切られて以来、貴方のことを忘れた日はないもの。けどね」


 このまま彼女の言葉を無視して、歩き出そうと思ったが、その考えを改める。


「なんだ」

「貴方がもし何もかもを捨ててこの世界を壊したいと思った時は私に連絡を寄越して。その時は誰よりも貴方のことを支えてあげる味方になるから」

 

 小さく笑って俺の背中を押し出すと、そのまま初華に向かって歩き出した。彼女が何を伝えようとしていたのかはわからない。けれどそう遠くない未来で俺がその言葉の真意を理解する日が来ることを、怜が知っているように聞こえた。


 ▼▽


 冬月大樹が去った後、斉藤怜は1人スマホをいじりながら微笑ほほえんだ。


「役者としてじゃなくてもいい。よかった、貴方がこの世界に来てくれて」


 合計11桁の番号を端末に打ち込むと小さくつぶやいた。


「ようこそ。最低最悪、畜生の人間が集まる世界に」

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