第3話 お姉ちゃんの隣

 焼け焦げた死体のなかを、吐き気を我慢しながら歩いていく。私たちが飛竜を倒した車両の隣は正しく地獄だった。目をそらしても、肉の焼けた匂いに気が狂いそうになる。


「……相手はイデアが使えないけれど、私たちはアーティファクトを使える」


 お姉ちゃんがつぶやく。私は吐き気をこらえながら、わずかに回復した力を用いて、麻酔銃を生み出した。例え相手が父を殺し、美を奪い、たくさんの人をいたぶった極悪人だとしても、人を殺す覚悟はなかった。でもお姉ちゃんの両手には。


 ……本格的なアサルトライフルが握られている。


「お姉ちゃん」


 私が不安の声をあげると、お姉ちゃんは「大丈夫だよ」と笑った。


「訓練は受けてる」

「そういうことじゃなくて……」


 あの恐ろしい飛竜を倒して、テロリストだってなんとかなりそうな気になっていた。でも私たちはとてもリスクのある行動をしている。けれど現状、それ以外に電車を止める方法はない。私たちはもしかすると、いや、……確実にテロリストと殺し合うことになる。


 なのにお姉ちゃんは、今も冷静な表情で銃口を進行方向に向けていた。


「お姉ちゃんは、私たちの前からいなくなった三年間。何をしてたの?」


 恐る恐る問いかける。もしかするとお姉ちゃんは、私の知っているお姉ちゃんとは違う人になってしまったのではないか。


 お姉ちゃんはささやくような声を出した。


「……私はとある秘密結社に所属して、そこの構成員になってた。その名前も詳細もあの人たちが三年前、私を誘拐した目的も教えられない」

「ちょっと待って。秘密、結社?」


 スカイアイのもつ能力も、それをきっかけに目覚めさせたノスタルジアの世界も、正直、ただ事でない匂いしかしなかった。けれど私はどこか、お姉ちゃんがまだ私と同じ世界の住人であるように思い込んでいたのだ。


 なのに、秘密結社。


 お姉ちゃんの表情は真剣で、とても冗談を言っているようには見えない。


「世界ではあらゆる国が戦争をしてるでしょ。だから全ての国と交流している組織は存在しない。そう思われている。けれどたった一つだけ存在するんだよ。私の組織はあらゆる国と交流がある。そして世界で唯一「国」ではなく「人類」のために動いている」

「……人類のために」

「具体的にどうだとかは教えられないけどね」


 お姉ちゃんは申し訳なさそうな笑顔を浮かべた。


 昔は私たちの間に秘密なんてほとんどなかったのに。これからはまた昔みたいな仲のいい姉妹に戻れると思っていたのに。……なんだかひどく距離を感じてしまう。


 怯えを隠せずにいると、お姉ちゃんは明るい声でつげた。


「とにかく大丈夫だから」


 昔のままの笑顔を浮かべるお姉ちゃんに、私は震える声で問いかける。


「……お姉ちゃんは、人を殺したことはあるの?」


 お姉ちゃんは少しの間黙り込んだ。


 けれどしばらくして不安そうな声で「ないよ」とささやく。


 私は大きく息をはいた。でもお姉ちゃんの手には人を殺すためだけの道具が握られている。このままいけば、お姉ちゃんは人を殺す。私とは違う場所に行ってしまう。そんな気がする。


「……だったら、そんなの使わないで」


 お姉ちゃんをきつく睨みつけた。お姉ちゃんを睨んだことなんてないけれど、でも今だけはどんな手段を用いても、例えお姉ちゃんに嫌われたとしても止めなければならないと思った。


 お姉ちゃんには優しくて、可愛くて、私の隣を歩いてくれる人でいて欲しい。


「無理だよ。だって相手はテロリストだよ? 手を抜けば……」

「お姉ちゃんだって、私のお姉ちゃんでしょ?」


 視界が歪んでしまう。今は、泣いている暇なんてない。いつテロリストと接敵するか分からないのだから。でも涙は止まってくれなかった。


 やっとお姉ちゃんに会えて、幸せだった。嬉しかった。なのに、お姉ちゃんは私のお姉ちゃんじゃない。なにか、別の役割を果たそうとしてしまっている。


 世界だか、人類だか、そういうものを救うなにか高尚な目的に、正義感のあるお姉ちゃんは感化されてしまったのかもしれない。


 でも、それでも私は、お姉ちゃんには、お姉ちゃんでいて欲しい。


 いつか死ぬまでずっと、私だけの、お姉ちゃんでいて欲しい。


 私はお姉ちゃんを横から抱きしめた。お姉ちゃんは何も言わなかった。焼けた肉の匂いと、電車の走る音。流れていく景色。永遠に続きそうなくらい、沈黙が長かった。やがてお姉ちゃんは口を開く。


「私はお母さんや日葵ひまりを助けるためなら、人だって殺すよ。多分、人類だって皆殺しにできると思う。私が死ぬことでしかお母さんと日葵が生きていけない、なんてことになっても、絶対に迷わない。私は自分を殺す」


 その声は決して冷たくなんてなかった。むしろこれまで聞いたお姉ちゃんの声の中で一番温かかった。私は思わずお姉ちゃんの顔を見上げた。今にも泣きだしてしまいそうな表情をしていた。


「この時代でテロは当たり前のように起きる。なのに私はこれまであまりに無力だった。お父さんが命を落とすときも何もできなかった。涙を流す日葵を前にしても、ただ励ましてあげることしかできなかった。強がるお母さんにも私は、なにも……」


 お姉ちゃんは、……本当に優しい人だ。きっとお母さん以上に、私以上に、無力な自分を憎んでいた。残された私たちのために、強くなろうとしてくれた。


 私は、お姉ちゃんには、お姉ちゃんのままでいて欲しかった。無力で、非力で、悲劇が起こってもただ耐えることしかできなくて。それでもこの世界の誰よりも優しい。そんなお姉ちゃんのままで。


 でもこの時代は、それを許してくれなかった。何に対して怒ればいいのか分からなかった。この電車を襲ったテロリスト? それとも戦争ばかりしている国? いがみ合う人々? 無力な自分自身?


 いったいどうすれば、お姉ちゃんはお姉ちゃんのままでいられたのだろう。


「ごめんね。日葵」


 その時、物音が聞こえた。お姉ちゃんは素早く銃を構える。


 乾いた銃声が車内に響いた。


 眉間に穴が開いている。血が噴水みたいに吹き出して、止んだ。その男は煮えたぎるマグマのような仮面をつけていた。このテロリストは人々を残酷に殺した。美しい景色を破壊した。私たちの父を殺した。だから死ぬべき人間だった。どのような過去があろうとも、死ぬべきだった。


 けれど、お姉ちゃんによって殺されるべきではなかった。


 おもちゃみたいな麻酔銃を握った手が震えている。私は叫んだ。麻酔銃を投げ捨てて、行き場のない思いを声に逃がした。お姉ちゃんはその間、ずっと私を抱きしめていた。


 電車は無事に止まった。私たちはすぐに警察に事情聴取された。お姉ちゃんが長年人々を騒がせてきたテロリストを倒したということを、警察は信じなかった。私のタングステンの壁が飛竜のブレスにしばらく耐えたというのも、乗客の証言がありながら集団幻覚かなにかだと断定した。


 代わりに私たちのそばにいた二人組、小さな龍とロボットのイデアを生み出せる二人が英雄として祭り上げられることになった。


 アーティファクトを扱う私たち二人が英雄になるのはまずいとの政治的判断が働いたのだろう。戦争状態にあるこの国が一番必要としているのは無能なアーティファクト使いではなく、有能なイデア使いなのだから。


 でもそんなことは、私にとってはどうでもよかった。


 警察の長い事情聴取を終えて、私たちは警察署を出た。今日もつぎはぎの夜空で、月だけはイデアに浸食されず美しく輝いている。私はお姉ちゃんと隣り合って歩きながら、月の輝きをみつめていた。


「ねぇお姉ちゃん」

「どうしたの?」

「……私も、その秘密結社に入れないかな?」

「入らないで」


 お姉ちゃんは即座に私の願いを拒んだ。


「私は日葵ひまりを守るために入ったの。日葵には普通に生きて欲しい」

「お姉ちゃんのそばが私の普通だよ」


 私はこぶしを握り締めながら、お姉ちゃんを睨みつけた。


「見たでしょ? 飛竜のブレスだってある程度なら防げる。人を殺す覚悟はまだないけど、それでも私、お姉ちゃんのためならきっと……!」

「お母さんはどうするの?」

「お母さんも一緒に入ればいいよ。アーティファクト職人なんだから」

「馬鹿言わないで。私はみんなの普通を守りたかっただけ。なのに全部崩してどうするの!」


 お姉ちゃんは正義感が強い。それは裏返せば自分が正しいと思ったことに関しては、頑固だということでもある。


「一応言っておく。私は無理やり訓練させられたわけじゃない。このスカイアイだって自分の意志で受け入れた。記憶に処理さえかけることを了承すれば、元の生活に戻ってもいい。そう言われてたんだよ。でも私は戻らなかった。戻ったところで、二人を守れないのなら意味がないから」

「なんでお姉ちゃんが全部背負わないといけないの? なんで私やお母さんに頼ってくれないの? そんなに私たちって、信用できない?」

「できるわけない。お父さんが死んで、めそめそ泣くだけで。お母さんだって、すっかり弱り切って。二人が普通の人なら、私が頑張らないといけない。そうでしょ?」

「お姉ちゃんだって、普通の人の癖に」


 私は祈りを込めてじっとお姉ちゃんをみつめた。


 でもお姉ちゃんは私を置いて、一人で歩いていく。


「……そんなに今の私が気にくわないのなら、見捨てればいいでしょ。馬鹿妹」


 お姉ちゃんの背中が遠ざかっていく。またお姉ちゃんは私たちから離れてしまうのだろうか。三年前のあの日のように。


 そんなの嫌だ。この三年間、私がどれだけお姉ちゃんのことを悔やんでいたか。何度あの日の後姿を思い出していたか。お姉ちゃんはきっと知らないんだ。


 私は全身に力を込めて、お姉ちゃんの後姿に叫んだ。


「馬鹿お姉ちゃん! 私は絶対に、お姉ちゃんと同じ場所にたどり着くから! また昔みたいに、お姉ちゃんの隣にいられるように頑張るから! だから……」


 お姉ちゃんの足が止まる。私は涙も拭わずに叫んだ。


「だから、待ってて……。私のこと!」


 お姉ちゃんは返事なんてしなかった。ただ無言で振り返って、勢い良く戻って来たかと思ったら、ぎゅっと私を抱きしめる。それだけだった。


「馬鹿妹。本当に、……馬鹿なんだから」


 その瞳には涙が浮かんでいた。



 私たちは二人で手を繋いで、家に帰った。玄関扉を開くと、すぐにお母さんが走ってくる。お母さんは私たちを抱きしめて、言葉にならない声を涙ながらに発していた。震える背中を撫でてあげる。


 でもお姉ちゃんは、意識的に自分の手がお母さんに触れないようにしているみたいだった。人を殺した手だ、とか思っているのだろうか。


 今やお姉ちゃんは秘密結社の人間で、人殺しだ。私たちの生きる世界との距離は確かに離れてしまった。けれどそれでもお姉ちゃんはお母さんの娘で、私のお姉ちゃんだ。


 私はお姉ちゃんの手を引っ張って、一緒にお母さんを抱きしめさせた。


 お姉ちゃんは目を閉じて、震える声でつぶやいた。


「ただいま」

「……おかえりなさい。二人とも」


 お母さんが涙ながらに微笑んだ。ひとしきり涙を流した後、やがてお母さんは涙を拭って笑顔を浮かべた。


「湿っぽいのはそろそろ終わりにしよう。これからはずっと一緒よ」


 お母さんは知らない。お姉ちゃんが妙な秘密結社に入ったことを。どうやらお姉ちゃんはお母さんにそのことを伝えるつもりはないようだった。


「お姉ちゃん。もういなくなったらだめだよ?」

「……いなくなんてならないよ」 


 お姉ちゃんは、どこか悲しそうだった。


 私たちは久しぶりに三人で夕食を食べた。食卓に並んだのは相変わらず「世界で一番おいしい肉」炒めだったけれど、そこにお姉ちゃんの姿があるだけで本当に幸せだった。


 だからこそ、心は辛かった。

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