第3話 忠臣セバスチャン
俺は豪奢な宮殿から、エトワール伯爵家のオンボロ王都屋敷へ戻ってきた。
屋敷の扉を開けると妹のマリーがキラキラ輝く金色の髪をなびかせて走ってきた。
ボフっと俺に抱きつく。
「お兄様! お帰りなさい!」
「ただいま。マリー」
抱き上げたマリーは軽い。
あまり食べていないので、あまり成長していないのだ。
エトワール伯爵家の食事事情は過酷だ。
平民でも食べるのを躊躇しそうなカチコチのパン。
かろうじてお湯ではないと理解出来るスープ。
向こうが透けて見えそうな薄切り肉が出ればテンションマックス!
いうまでもないことだが、今日も昼食はない。
貧しいエトワール伯爵家は一日二食!
続いて執事のセバスチャンが頭を下げる。
「ノエル坊ちゃま。お帰りなさいませ。爵位継承はいかがでしたか?」
「無事に……とはいかなかったが、爵位継承は認められた」
「お兄様! おめでとうございます!」
マリーがお祝いのキスを俺の頬にしてくれた。
続いて執事のセバスチャンが祝いの言葉を告げる。
「おめでとうございます。もう、坊ちゃまと、お呼びできませんね。伯爵様とお呼びしなければ」
「身内だけの時は、今まで通りノエルと呼んでよ」
執事のセバスチャンは、子供の頃から世話になっている。
苦楽をともにした間柄だ。
使用人というよりも、家族に近い関係なのだ。
爵位を継承した途端に他人行儀な『伯爵様』呼びは寂しい。
「かしこまりました。ノエル様」
俺とセバスチャンはニコリと笑い合う。
貧しいながらも気持ちが通じる人が近くにいるのは嬉しいことだ。
執事のセバスチャンがキリッとした顔に切り替えた。
「ノエル様。『無事にいかなかった』とおっしゃりましたが、何があったのでしょう?」
気が重いなぁ……。
これから領地が取り上げられたこと。
王都から、社交界から追放されたことを二人に言わなくてはならない。
俺は抱いていたマリーを下ろして、グッと歯を食いしばった。
覚悟を決めて二人に王宮で起きたことを話し出す。
「エトワール伯爵領を国王陛下に返上した。それから今日中に王都から出て行けと命じられた」
「「ええっ!」」
妹のマリーと執事のセバスチャンが、目を大きく開けて驚く。
妹のマリーは呆然とし、執事のセバスチャンは眉間にしわを深く寄せた。
「ノエル様。なぜ、そのようなことになったのでしょう?」
「父の借金が原因だ。ルナール王国貴族にあるまじき行いだと糾弾された」
二人ともガックリと下を向いた。
父の借金を持ち出されては、何も言えないのだ。
しばらく無言の時間が過ぎたが、セバスチャンが再起動した。
「では、今日中に王都から出て行けというのは……」
「ああ。宮廷から追放……。つまり、王都の社交界から追放だ」
「申し訳ございません。私も先代様をお諫めしたのですが……、痛恨の極みです……」
「セバスチャンの責任じゃないよ」
セバスチャンは、今回の件に責任を感じているが、父のギャンブル狂いはどうしようもなかった。
俺も何度か諫言したが、父はギャンブルをしていない時はいつも上の空で、俺の言葉はまったく届いていなかった。
「お兄様! 私たちはどこに住むのでしょう? 領地はなくなって、王都から出ていかなくてはならないのでしょう?」
マリーは目に涙を浮かべている。
不安なのだろう。
俺は慌ててマリーを落ち着かせようとした。
「でも、大丈夫! 代替地をもらったんだ!」
胸元から地図を取り出し、二人に広げてみせる。
「ほら! この地図を見て! 丸が付いているところが新しい領地だよ!」
二人は俺が広げた地図をのぞき込む。
地図の下の方にペンで乱暴に丸く囲われたところが、エトワール伯爵家の新領地だ。
「南……ですか……。南……」
執事のセバスチャンは、地図を見て動揺する。
だが、妹のマリーは前向きだ。
パッと華やいだ笑顔をみせた。
「まあ! 海が近いのね! ねえ、お兄様! 釣りをしましょう! きっとお魚が食べられるわ!」
俺と執事のセバスチャンは、顔を見合わせて吹き出した。
マリーは凄い!
この切羽詰まった状況でも、希望を見いだすなんて!
俺は優しくマリーの頭をなでる。
「そうだね、マリー。お魚を食べよう」
「それに南なら冬でも暖かいですわ! ああ、そうだわ! オレンジ! きっと南方のフルーツも食べられますわ! 楽しみね!」
マリーは、良いところを見つける天才だ!
俺は救われた気持ちになった。
「では、マリーは支度をしておいで」
「はい、お兄様!」
マリーがウキウキとした足取りで自室へ向かった。
マリーがいなくなると、執事のセバスチャンが厳しい表情に戻る。
「ノエル様。南方は魔物が多く危険な地域です。新しい領地なら、もう少し良い場所でも良いかと……」
「うん……、実はね……。マリーがいたから話さなかったけど、これは国王と宰相マザランの陰謀なんだ」
「えっ!?」
俺は王宮で起ったこと、俺が感じたことを、執事のセバスチャンに話した。
俺が話し終えると、執事のセバスチャンは驚き声を上げた。
「なんと!? では、先代様の死は国王陛下と宰相の陰謀なのですか!?」
「ああ」
執事のセバスチャンは、ギュッと拳を握りながら、何度も深呼吸をした。
俺は執事のセバスチャンが落ち着くのを待った。
やがて、執事のセバスチャンは、荒い呼吸を整えて声を潜めた。
「ノエル様。証拠はございますか?」
「ない。だが、俺は確信している。そもそも段取りが良すぎる。父が急死して爵位継承を申し込んだら、その日のうちにこんな話だ」
「た、確かに……。エトワール伯爵領が陛下の狙いでしたか……。では、先代様がギャンブルに熱中したのも?」
俺は執事セバスチャンの指摘をジッと考える。
どうだろうか?
父がギャンブルに熱中するよう仕向けたのは陛下と宰相だろうか?
いや……、さすがにそれは無理があるだろう。
父がギャンブルに手を出し始めたのは、母が亡くなってからだ。
母が亡くなったのは、マリーを産んですぐ。
マリーは八才だから、父がギャンブルを始めたのは約八年前だ。
八年前は、我がエトワール伯爵家の財政は健全で借金もない。
陛下と宰相マザランが、ターゲットにするほど弱い貴族家ではなかっただろう。
それなら……。
「父上がギャンブルに熱中しているのを聞きつけて、今回の陰謀を思いついたのかもしれない」
「なるほど……。では、先代様が借金をしていたのは、陛下や宰相の息がかかった商人かもしれませんね」
執事のセバスチャンが、悪い予想を続ける。
執事のセバスチャンは、我がエトワール伯爵家の帳簿をつけているから、リスクに敏感なのだろう。
色々考えてしまうのも無理からぬことだ。
「ノエル様。危険ではございませんか? 国王陛下と宰相閣下が手を組んで、エトワール伯爵家を陥れようとした……。であれば、危険な南方地域に領地を用意したのは、ノエル様を亡き者にしようとしているのでは?」
俺は執事セバスチャンの推測を聞いてゾッとした。
なるほど。あり得る話だ。
「死人に口なしか……。邪魔者は始末する。用済みは、ゴミ箱にポイ! 領地を奪い取ったエトワール伯爵家を根絶やしに……、というわけか……」
「絶対ではございませんが、警戒した方がよろしいでしょう。今代の陛下は、評判が悪うございます。宰相マザラン閣下は、言わずもがな……」
「魔物が多く危険な南方に追いやって、俺たちが魔物に襲われて死ぬのを待つ。ないしは、刺客を放つ……。やりそうだな!」
全く何てことだ!
日本から異世界に転生して、『貴族でラッキー! ノンビリとラグジュアリーなセカンドライフ!』と思ってたのに!
ハードモードは、まだ続くのか!
「セバスチャン! とにかく出発準備を進めよう! 今日中に王都を出て行かなければ、何をされるかわからないからね」
「かしこまりました。他の使用人はいかがいたしましょうか?」
「本人の判断に任せよう。新領地へ行きたくない者は、ヒマを言い渡してくれ。セバスチャンも王都に残るなり、旧エトワール伯爵領の家族の元に戻るなりして良いよ」
「何をおっしゃいます! 我が家は代々エトワール伯爵家に執事としてお仕えしております。ノエル様に、どこまでもついて行きます!」
執事のセバスチャンは、燃えるような熱い瞳を俺に向けた。
執事セバスチャンは初老に差し掛かっている。
新領地へ連れて行って苦労させても良いモノだろうか?
家族の元で平穏な老後を過ごした方が幸せではないだろうか?
だが、執事セバスチャンが新領地へ同行してくれるなら、非常に心強い。
俺も妹のマリーも、子供の頃からセバスチャンの世話になっている。
気心の知れた者がいるだけで、俺もマリーも助かる。
ここは執事セバスチャンに甘えさせてもらおう。
「わかった! 新領地へ一緒に来てくれ! セバスチャンの力を貸してくれ!」
「かしこまりました! 全身全霊でお仕えいたします!」
セバスチャンは、笑顔で引き受けてくれた。
早く新領地の経営を軌道に乗せて、セバスチャンの家族を呼び寄せられるようにしよう!
セバスチャンが屋敷の奥へ向かい、俺は玄関ホールから自室へ向かおうとした。
すると屋敷の外から楽しそうな歌声が聞こえてきた。
歌声は徐々に近づいてくる。
「ニャン♪ ニャニャニャ♪ ニャニャニャニャ♪ ニャンニャ♪ ニャンニャ♪ ニャン♪」
えっ!?
このメロディーは!?
軍艦マーチ!?
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