小さな幼い恋から始めよう

多田光里

1話目

「ゆうじーん」

毎週土曜日の午後に行われる、小・中・高のバドミントンの合同練習後、中学3年生の折田勇仁に、小学生がワラワラと集まる。

首にしがみついて、ぶらさがる奴もいれば、足をわざと踏みつけて、おもしろがる奴もいる。

勇仁にかまってもらうのに、いつも五・六人は集まってくる小学生に、勇仁はイヤな顔ひとつせずに付き合う。親が迎えに来て、小学生が全員帰るまでじゃれ合いは続く。小学生が帰ったかと思うと、今度は高校生が勇仁をかまい始める。

勇仁は、歳の離れた兄が二人いて、まるで一人っ子のように、大事に育てられたらしい。親からの愛情が注がれているせいか、小学生や同級生、高校生とも分け隔てなく付き合って仲良くしている勇仁を、俺はいつも離れたところから見ているだけだった。


俺は、小さな頃からバドミントン選手だった父親に厳しく育てられていて、二人兄弟の長男ということもあってか、勇仁のような優しい人にすら、うまく甘えられなかった。でも勇仁は、愛想のない俺をみんなが帰ったあとに、必ずかまってきてくれた。

「また監督と居残り練習?」

「うん」

俺の父親は、俺の通うバドミントンクラブの監督で、いつも練習が終わってから、俺だけが居残り練習をさせられていたのだ。

「俺も残ろっかな」

「え?」

勇仁がニコッと笑う。

勇仁は、今年の中学生の全国大会で優勝し、小学生の頃から日本代表としてナショナルチームの練習にも参加していて、四年後のオリンピック選手候補に選ばれていた。

「俺の練習に付き合っても、勇仁の練習にはならないよ」

「なるよ。お前、瞬発力とかスゲェじゃん。全国大会で毎年優勝してるし、ずっと日本代表だろ。マジで才能あると思うよ。この前の練習の時、試合しただろ?俺、あんなに粘られた試合されたの初めてだったし、あそこまで競った試合も今までしたことなかったから。あの日、そのあとの練習できなくて。ほんと、マジでこいつスゲェって思ってた」

そう言うと、監督である俺の父親のところに行って、何やら話をし始めた。父親が嬉しそうに勇仁の肩を叩く。そして、勇仁が戻ってくる。

「これから俺と涼の二人で居残り練習していいってさ。監督は帰るから、って。お前も親父さんとずっと二人じゃ、息詰まるだろ?」

クシャッ、と頭を撫でられる。

何で…?もしかして分かってた?俺が、父親の厳しさに悩んでいたこと…。

「小学六年のくせに、苦悩した顔しすぎ」

勇仁は、俺の両方の頰を両手でつまんで引っ張る。それから、毎週土曜日には、勇仁と二人だけでの居残り練習が始まったのだった。


ある日の居残り練習の日、体育館の出入口が騒がしくて、俺と勇仁は様子を見に行くのに練習を中断した。見に行くと、何人かの女子が集まって、キャーキャーはしゃいでいた。

「あの、勇仁君。これ、差し入れ」

一人の女子が、勇仁に紙袋を渡す。

「あ、サンキュ」

と言って、受け取る。

「もしかして、あんた?」

と、後ろの方から、目つきのキツい女の人が声を掛けてきた。

「あんた、勇仁のお気に入りかもしんないけど、勇仁はみんなの憧れなんだからね。私なんか、他の子より勇仁といっぱいシテるんだから、調子に乗らないでよ」と。

「おい!小学生相手に何言ってんだよ!」

勇仁が慌てて女子を追いやる。

「涼、あっち行ってろ」

勇仁が焦った様子で俺の肩を押した。

「別にいいよ。だいたい俺、男だし。そういうこと言われても…」

俺が言うと「うそーっ!」とか「信じらんない」と言う声が一斉に沸き上がった。

「マジで?めっちゃカワイイから女の子かと思った。ごめんね、変なこと言って」

と、さっきの女の人が言うと、

「練習の邪魔になるから、悪いけど、もう帰って」

勇仁が女子達の背中を押す。

「やだぁ」とか「安心したね」とか、キャッキャした声が遠のく。

勇仁が、ガシャンと体育館の出入口の扉を閉じた。

「ごめんな、涼…。その…」

「何で謝るの?勇仁、別に悪くないじゃん」

「あー…」

勇仁が、その場にしゃがみ込んで、髪に手をやり、うなだれる。

「どうしたの?」

勇仁がしゃがみ込んだまま、ジッと俺の顔を見た。

「いや。今日さ、練習が終わったら、家に遊びに来ないか?一緒にゲームしようぜ。監督には俺から言っておくから」

「え?勇仁の家に遊びに行ってもいいの?」

俺は、とても嬉しくなった。

「おう」

勇仁は立ち上がると、俺の頭をポンと叩いた。


「シャワー使ってきていいよ。汗、気持ち悪いだろ?着替え、まだある?」

「うん」

俺は、カバンから着替えを出して、勇仁に案内された浴室へと移動した。

「勇仁は?」

「お前のあとでいいよ」

そう言って、バスタオルを俺に渡すと、すぐに脱衣所から出て行った。

俺と入れ替わりに勇仁がシャワーを浴びて、部屋に戻ってきた。

「何のゲームしたい?」

勇仁が、タオルで髪を拭きながら、ゲームソフトの入ったケースを見せてくれる。

「うわぁ、すごい」

こんなにたくさんのゲーム、見ているだけでワクワクする。ケースの中のゲームを選んでいると、突然、床に置いていた俺の手に勇仁の手が重なった。

「涼、俺っ…、好きなんだ。お前のこと!」

そう言って、勇仁が俺を見る。

「うん。俺も勇仁のこと好きだよ。だって、勇仁、優しいし、ゲームもいっぱい持ってるし」

「いや、そういうことじゃなくて…。何て言うか、涼に恋してるって意味なんだけど。だからさっきの話も本当は聞かれたくなかったって言うか」

「恋…?」

俺には、勇仁の言っている意味が、いまいち良く分からなかった。

「毎日、涼に会いたいって思うし、毎日、涼のこと考えてるし、会えると本当に嬉しくて…」

「よく分かんないけど、俺も勇仁に会えると嬉しいよ。お兄ちゃんができたみたいで」

「だから、そうじゃなくて。俺がお前を好きって言うのは、お前が好きな女の子を好きっていうのと同じ感覚なんだ。分かる?」

「え?それって、勇仁の好きな女の子が、俺ってこと?俺、男だよ」

「男かもしれないけど、好きになった。でも、俺のこの気持ちのせいでお前に嫌われるくらいなら、俺は自分の気持ちを抑えてでも、お前の側にいる方を選ぶよ」

まだ好きとか嫌いとか判断のつかないような小学六年の俺に、そんなことを言ってきた勇仁。

「中学に入って、気持ちが変わるかな、と思って、いろんな女子と付き合ったりしてたんだけど、涼のことを忘れるとか、全然ムリで」

俺を見る、真剣な眼差し。

「俺がこんな気持ちになるの、本当に涼だけなんだ」

何で俺?と思ったけど、人から好きと言われるのは別にイヤじゃなかったし、むしろ、そんな風に俺のことを言ってくれる人なんて今までいなかった。親からですら言われたことのなかった言葉に、俺はとても心地よさを感じた。

誰からも人気のある勇仁。そんな勇仁が俺を好きだと言って、真っ赤になっている。

「分かった。じゃあ、俺も勇仁のこと好きになる」

なぜだか分からないけど、自然にそう言いたくなった。

勇仁が、一瞬驚いたような表情を見せて、それからフワリと優しい笑顔を見せた。

「…手、つないでいい?」

勇仁が俺に尋ねた。手なんて、練習の時にいつもフォームを教えるのに触ってるくせに。勇仁の指が俺の指に絡んだ。勇仁の手は、とても温かくて、大きかった。


勇仁は、未来のオリンピック有望選手として地元のテレビでも雑誌でも取り上げられていて、以前にも増して人気者になった。いつも周りに人が集まり過ぎていて、居残り練習にまで見学者が来るような状態で、最近は二人きりで練習する時間も取れず、モヤモヤした感情に襲われたりもしたけど、それが何なのかよく分からなくて戸惑っていた。そして、いつも居残り練習のあとに、勇仁の家に行った時だけが、ホッと出来る時間になった。


「何?俺が他の子と仲良くしてるの見ると、モヤモヤすんの?」

「モヤモヤって言うか、イライラするって言うか…。よく分かんないけど」

そう。よく分からない。でも、こうやって二人きりになると、そんな不快な気分もどこかへ行ってしまう。

「それって、ヤキモチ?」

「ヤキモチ…?」

「そっ。他の子と仲良くしてほしくないんだろ?それだけ俺のことが好きってこと」

「…好き?」

いまいちピンとこないけど、そうなのかな…。

「めっちゃ嬉しい」

勇仁が本当に嬉しそうに笑うから、何だか俺まで嬉しくなってしまう。勇仁は、俺の悩みをいつも真剣に聞いてくれるけど、それを明るく笑って跳ね飛ばす。そのおかげで、俺はいつもすごく安心することができた。バドミントンに嫌気がさして、辞めたいと弱音を吐いた時もそうだった。


「バドミントン、辞めたい?」

「もう、何のためにやってんのか分かんなくて。親にやれって言われてやってるだけで、俺がやりたかったワケじゃないし、練習も辛いから」

勇仁との居残り練習が始まってすぐ、父親の厳しさに、どうにもならない辛さを感じていた時だった。

「それは、俺とダブルス組んで、オリンピックに出るためだろー」

「え?」

オリンピック?そんな先の長い話をするなんて思ってもいなかった。勇仁が、ニコッと笑う。

「俺のダブルスパートナー、涼しかいないと思ってるから」

キレイに整った顔を寄せてきたかと思うと、コツンと俺の額に自分の額をぶつけて、グリグリっとする。

「冗談?」

「いや、マジで。だから俺も頑張ってるし。練習、ハンパないけど」

そうなのだ。勇仁は部活のあと、毎晩大人たちの練習にも行っていて、水曜の夜には隣の市まで行って強化練習会にも参加し、月に一度はナショナルチームの練習にも参加している。小・中と日本代表選手として脚光も浴びていて、そのプレッシャーもあるだろうに、そんな勇仁に弱音を吐いてしまった俺は、少し恥ずかしくなった。

「一緒に行こうぜ、オリンピック。な?」

ギュッと抱き締められ、背中をポンポンと叩かれる。

「涼だって、日本代表としてずっとやってきてるんだから。才能あるんだし、自信持てよ」

「…うん」

勇仁の言葉で、俺の心はとても軽くなった。


勇仁から好きだと言われてから、三ヶ月が過ぎた頃、季節ももう秋の空に変わっていた。その日は雨で、外も薄暗くて、とても肌寒かった。

「寒くない?」

シャワーの後の勇仁が、いつものように俺の横に座って、俺の肩を抱く。

「大丈夫」

俺は勇仁の肩にもたれかかって、テレビを見ていた。不意に勇仁が言った。

「…キスしていい?」

俺はビックリして、思わず勇仁から離れ、勇仁の顔を凝視してしまった。

キスって、あのキス?ドラマとかでなら見たことあるけど、まさか自分がそんなことをする時が来るなんて、思ってもいなかった。

「イヤならいいんだ。変なこと言ってごめん」

抱き締められ、頭を撫でられる。勇仁の心臓の音が、早く、強く、鼓動を打っていた。かなりの勇気を出して言ってくれたのかな、と思ったら、胸のあたりが、ギュッと締め付けられるような感覚に襲われた。

「…いいよ」

「え?」

「キスしても、いいよ」

俺は勇仁を見上げた。

「無理しなくていいよ?」

勇仁が目を細めて、優しく微笑む。

「してないよ」

「涼…」

勇仁の顔が、今までにないくらいに近付いた。緊張して、心臓が爆発するんじゃないかと思うくらいだった。俺はギュッと固く目を閉じた。唇に、柔らかく、温かい感触。すぐに離れて「大丈夫?」と、聞かれる。俺は目を静かに開けると、小さくコクンと頷いて、勇仁の胸にしがみついた。勇仁がそんな俺の顔をそっと覗き込む。

「ヤバい。マジでカワイイ。俺、涼のこと、すげぇ好き」

そう言って、もう一度唇が重なった。今度は熱くて深い深いキスだった。

「俺、もっと涼とHなことしたい」

「Hなことって、女の子とするんじゃないの?」

尋ねる俺に

「男同士でも、できるよ」

と、耳元で囁く。

「だって、俺、やり方とか分かんないし」

「優しく教えるから」

背中に勇仁の手が滑り込む。

テレビの音が聞こえないくらいに激しい雨の音が部屋中に響き渡っていた。

ベッドへと引き込まれ、勇仁が俺へと覆いかぶさってきた。勇仁の息が耳にかかる。

何だろう。こんなのって、変なんじゃないかな。勇仁とこんなことして、親にバレたら怒られるんじゃないかな…。

そんな感情が沸き上がってきたけど、次の瞬間には、そんな考えも飛んでしまっていた。俺は勇仁の背中に両手を回し、必死でしがみついた。


「テスト期間中で明日練習ないし、今日、泊まって行けよ」

ベッドの中、勇仁が俺を優しく抱き締めながら言った。俺はまだ体の熱が抜けずにポヤッとしていた。

「痛かったか?」

「お腹が、少しだけ」

「お尻は?」

「…少しヒリヒリしてる」

「ごめんな。もっと優しくすれば良かったな。我慢できなくて…。涼は俺以外の奴と、こういうこと絶対にするなよ」

頭を撫でられる。

「うん」

そしてその夜、勇仁の家にお泊まりすることになった俺は、もう一度、勇仁とこういうことをしてしまったのだった。


勇仁が中学を卒業し、地元のバドミントン強豪高校に入学した。部活や強化練習がどんなに大変でも、遠征や試合でいない時以外は、必ず俺のために土曜日の夜だけは二人の時間を作ってくれた。俺も中学生になり、部活や強化練習などで忙しくなったせいで、勇仁と会っても、ただ疲れて一緒に寝落ちするだけの日もあった。日曜日、試合で朝が早い日がほとんどだったけど、それでも、ほんの少しだけだったとしても、勇仁との時間はとても心地の良い、幸せな時間だった。


そんな時を経て、勇仁は高校を卒業し、実業団に入り、見事、オリンピックの代表選手に選ばれた。俺は、勇仁が卒業した、地元の強豪高校に入学した。勇仁が忙しくなり、会えない日々が続いていた。

まだ携帯を持たせてもらえない俺の自宅に、毎週土曜日の朝に必ず勇仁は電話をくれていた。勇仁のことはテレビや雑誌で知ることができたけど、それだけでは、やっぱり寂しかった。


勇仁が海外へと向かう前日に電話をくれた。

「会いたい」

言われて、受話器を持つ手にギュッと力がこもった。

俺だって、会いたい…。でも、素直に言えない。言ってしまったら、我慢ができなくなりそうで。

お互いに学生だった頃は、何も考えずに、ただ一緒にいられる事が当たり前で、こんなにも会えなくなるなんてこと、想像もしていなかったのに。

「好きな奴と一緒にいられなくて、こんな寂しい思いまでして、頑張る必要あんのかな…って思う時があるよ」

めずらしい、勇仁の弱音。

「もう三年もしたら、一緒にいられるようになるよ。俺、何のために高校総体優勝したと思ってるんだよ」

俺が言うと、電話の奥から、勇仁を呼ぶ声が聞こえた。

「お前、やっぱスゴイよ。一年生で優勝するなんて、マジでスゴすぎて、惚れ直す。涼、しばらく連絡できないけど、浮気するなよ」

「し、しないよ!」

「呼んでるから、行くよ」

「日本で応援してるから」

「お前のために、頑張ってくる」

「勇仁…」

「ん…?」

「す…好きだからな!」

初めて言ってしまった、自分の気持ちを。カアッと顔が赤くなるのが分かった。

「マジで元気出た。サンキュな、涼」

勇仁がクスクス笑って、そして電話が切れた。


テレビに映る勇仁は、俺といる時とはまるで別人で、いつになく真剣な表情に、俺はのめり込むように、見入ってしまった。世界中が注目するオリンピック。そんなオリンピックのバドミントン競技に、勇仁が出ているなんて、まるで夢のようだった。勇仁は決勝まで這い上がり、決勝では白熱した試合を見せてくれた。ファイナルまで持ち越したものの、あと一歩のところで失点し、結果は銀メダルだった。

それでも日本中は歓喜の渦に包まれて、俺にとっても喜ばしいことなのに、勇仁は容姿端麗で愛想がとても良いこともあって、人気がますます沸騰し、より忙しい日々を送ることになった。そのうちに、勇仁からの連絡が途絶え、勇仁は俺の手の届かない、遠い存在の人となってしまったのだった。


「おい、涼。勇仁って、この女優と付き合ってんのかな?」

学校で友人に見せられたネットニュースには、勇仁と有名女優がキスしている写真が載っていた。見出しには「熱愛デート」と書かれていた。カッ、と全身が熱くなる。

何で、俺…。もう勇仁のことなんて、吹っ切れたと思っていたのに…。どうしてこんな気持ちになるんだ。もう半年も連絡がない。高校に入ってしばらくして、やっとスマホを買ってもらって勇仁の携帯に電話したけど、番号が変わっていた。それがショックで、しばらく落ち込んでいたりもしたけど、ようやく気持ちの整理もついて、忘れることができたと思っていたのに…。

勇仁の熱愛報道を見るのがイヤで、それからしばらくテレビを見ないで過ごしている自分に、すごく嫌気がさしてきてしまい、どんどん心が疲れてきてしまっていた。

バドミントンも辞めてしまおうか。どんなに頑張っていたって、勇仁が必要としてくれないなら、意味がない。俺は部屋で一人、ベッドにぶっ潰して、溢れそうになる涙を必死で堪えた。


その週の日曜日、テスト期間中で部活が休みだった俺は、友達と一緒にテスト勉強をしようと言いながらも、勉強も手につかず、ボーッと過ごしていた。

「おい、涼。ちょっと息抜きに、してもいいか?」

友人の畑中が急に立ち上がった。

「え?また?本当によく飽きないな。今日、何回目だよ」

「いいじゃん。減るもんじゃないし。な?」

「…分かったよ」

俺と畑中は勉強を中断し、隣の部屋へと向かった。

「エアコンは?」

「あ、暑くなったら付けるから、そのままでいい」

「分かった」

畑中は、そこにある器具の一つに座ると、トレーニングを始めた。

「お前んち、本当に羨ましいよ。こんなふうにトレーニングルームが完備してある家なんて、なかなかないぞ」

畑中が楽しそうにトレーニングを始める。

「俺には牢獄みたいな部屋だけどな。親父に無理にやらされてる感がハンパない」

「お前、細いし、筋肉付けとかないとスタミナが持たないからだろ?」

俺は小さなため息を吐くと「終わったら、呼んで」と言って、トレーニング部屋の扉を閉じた。

部屋に戻ると、勉強する気も起きず、ベッドに横たわり大きくため息を吐いた。

「俺、何のためにバド頑張ってんだろ。これじゃ、単なる親父の人形だよな…」

筋肉と体力を付けるためにと、設備の整ったトレーニングルームまで自宅に作られて、親父の決めたメニューをこなす日々。

そこに入ってくる、部活以外の尋常じゃないほどの練習量。それなのに、学校の成績を落とすことも許されない。期待がプレッシャーになり、息が詰まりそうだった。

こんな時、勇仁がいてくれたら…。そう考えて、胸が苦しくなった。

それでも、疲れていたのか、少しうとうとしかけた時、突然家のインターホンが鳴った。

両親は弟のバドミントンの試合に出かけていて、家に誰もいなくて、俺はしぶしぶ玄関に出た。

玄関の扉を開けた途端、強引に玄関に入ってきて扉を閉じ、俺を勢いよく抱き締めたのは、勇仁だった。

「連絡できなくてごめん。スマホ壊れて。忙しくて他の奴に新しいの買ってきてもらったら、番号変えてきて。データ移行する時間もなかったみたいで、お前の家の番号も分かんなくなって。会いたかった、涼」

そう言って、俺を抱き締める腕に力がこもる。懐かしい勇仁の胸の中。すがりついてしまいそうだった。

「ゆ…勇仁。女優の彼女いるくせに、そんなこと言っていいの?」

もしかして、まだ俺のこと好きなのかも、って期待する。

「あれは違うんだ。あの女優、かなり酔ってて、もたれかかってきた所を支えようとしたら急にキスしてきやがって。そしたら、写真撮られて…」

言い訳をする勇仁の言葉と動きが、一瞬止まった。

「涼、何か飲み物ない?汗かいたら、喉乾いちゃって」

上半身裸で、ハーフパンツ姿の畑中が階段を降りてきた。俺は慌てて腕を突っぱねて、勇仁を胸から引き剥がした。

「バカ、お前。服ぐらい来てこいよ」

畑中に注意する。

「だって、暑くて。お前は暑くないのか?」

「俺は別に。ベッドで横になってただけだから」

畑中が勇仁に気付く。

「え?うそ!?折田勇仁じゃね?」

その声に答えることなく、勇仁が低い声で「ふぅん。そういうことか。俺を信じて待ってくれてるって、そう思ってた俺がバカだったんだな。よく分かったよ。涼だけは…涼のことだけは、信じてたのに」

勇仁が黙ってドアを開け、外へと出て行った。

「え…?」

まさか。何か誤解した…?

俺は慌てて勇仁のあとを追いかけた。

「待って、勇仁!」

勇仁の、足早に歩く足は止まらなかった。俺は必死に走って、勇仁の腕を掴んだ。

「離せよ」

「何か誤解してるだろ?アイツはただの友達で…」

「今の今までHしてたのに?ウソ言うなよ」

「ウソじゃないよ」

「いくら鈍感なヤツでも、あんな場面に出くわしたら、そうとしか考えねぇだろ」

「畑中は、家にあるトレーニングルームを使ってただけだけで…本当にそんなんじゃない」

「じゃあ、お前のその乱れた髪とボタンの外れたシャツはどう説明するんだよ」

俺は慌てて髪に手をやった。

「俺、本当に自分の部屋のベッドでウトウトしてて。ちょっと暑くて、シャツのボタンも自分で外した」

「どーだか」

「勇仁!」

「寝てる間に、何かされたんじゃねぇの?」

「畑中はそんなヤツじゃない。だいだい何だよ!俺だって勇仁に電話したのに番号変わってて、半年間もほっとかれた挙げ句、女優とのキスしてる写真と熱愛報道見せられて。俺がどんな気持ちでいたと思って…」

「で、当て付けにアイツと関係持ったって?それが言い訳になるとでも思ってんのか?」

「だから!畑中とは何もないって言ってるだろ!」

「もういい!」

勇仁が俺の腕を振り払った。そして「もう分かったから。お前が望むなら、いつだって別れてやるよ。あさってまでは、こっちにいるから。それまでに答えを出せ」

そう言うと、勇仁は俺に背を向け、また足早に歩き出したのだった。


「あの、分からず屋!」

俺は家に帰ると、思いっ切り枕を壁に投げつけた。畑中は、俺の機嫌が悪いことを悟ったのか、早々と自宅へと帰ってしまった。

「自分のした事を棚に上げといて、俺ばっかり責めやがって!一人で勝手に誤解して、一人で勝手に怒って、ふざけんなっつーの!!」

思えば、勇仁とケンカするのは、これが初めてのことだった。勇仁は、どんな時でも俺を優しく包み込んでくれていた。俺がどんなにワガママを言っても、怒っても、辛くても、機嫌を損ねていても、文句ひとつ言わずに、ずっとそばで見守ってくれていた。

今だって、わざわざここまで会いに来て、ちゃんと謝りに来てくれたのに…。

「分かってないのは、俺の方だよ…。勇仁は、いつだって俺のために一生懸命になってくれてるのに…」

俺は片手に上着を引っ提げると、急いで勇仁の家へと走り出した。


勇仁の家に着くと、家には勇仁しかいなかった。無言のまま、部屋には上げてくれたが、まだ機嫌が悪そうだった。

久しぶりの勇仁の部屋。ベッドとテレビ、そして勇仁が持って帰ってきたと思われる荷物が置いてあるだけだった。

「いつ、戻るの?」

静かに聞くと

「あさっての朝」

と、目を見ずに答える。

「そっか。本当に三日間しかいられないんだね。またすぐに世界大会始まるしね」

勇仁は何も答えなかった。

勇仁は、海外の大会に出ずっぱりで、ほとんど日本にはいない。世界ランキング一位という座をずっと守り続けている。今までにない選手と崇められ、テレビやネットニュースで見ない日が、ないくらいだった。

「あのさ…。俺、他の人とキスしてる勇仁なんて、見たくなかった。あの写真が本当にショックで、しばらく立ち直れなくて…」

「だから、あれは違うって言ってるだろ。あのあと、俺、本気でブチ切れて、あの女優「酔った勢いの浅はかな行動だった」って、事務所を通じて謝罪してきたし。訂正の記事もちゃんと載せてもらったの、見てないのか?しかも、二人きりで会ってたワケじゃないし」

勇仁がムスッとする。

「俺、そんなこと知らなかったし。それに、勇仁と連絡が取れなくなった半年間、本当に苦しんでた」

「で?だからお前の浮気を許せっていうのか?」

「そうじゃない。確かに、勇仁を諦めるためには、他の人と恋愛するしかないのかな、って思った時もあったけど、だけど、俺は未だに勇仁しか知らない。キスだって、勇仁としか、したことなくて…。俺、勇仁とじゃないと…」

言って、涙が出そうになって声が震える。もう、どう信じてもらったらいいのか、分からなかった。

「勇仁は、俺が別れたいって言ったら、本気で別れるつもりなの?俺と別れても平気なの?」

「お前が別れたいって言うなら、別れるしかないと思ってる」

「もう俺のこと、好きじゃなくなったってこと…?」

勇仁が、俺に背を向けたまま、頭を掻く。

「あーっ!もう!!」

そう言うと、俺のことを思いっ切り引き寄せて抱き締めた。痛いくらいに、力がこもる。

「勇仁…苦し…」

「お前は小六の時から俺の恋人なんだぞ。俺がどれだけお前を好きか、まだ分からないのか?」

言って、息が出来ないくらい、俺を強く強く抱き締める。

「お前だけが俺の支えなのに、その軸がブレてどうすんだよ!お前の声が聞けないだけで、俺は練習にも身が入らないんだぞ?」

「うん。もう、ブレないよ。何があっても勇仁のこと信じる。誤解させるようなことして、ごめん」

「もういいよ。俺のほうこそ言い過ぎた。頭に血が上って…。傷付けてごめんな」

勇仁が俺を見つめる。

「涼。口直し、してくれる?」

「え?」

「あの女にされたキス、涼からのキスで忘れさせて欲しい」

「え!俺から?」

今まで、自分からキスをしたことなんてなかった俺は、動揺を隠しきれずに、勇仁から目を背けてしまった。

「口直し、しなくていいのか?」

勇仁が、いたずらっぽく俺に言ってくる。

確かに、あの女優とキスしたままの唇で過ごしている勇仁のことは、すごくイヤだ。

俺は意を決して、勇仁の両腕を掴むと、背伸びをして、俺よりも頭ひとつ分ほど背の高い勇仁に、軽い触れるだけのキスをした。

「もう一回」

「え?む、無理だよ。今のも、かなり勇気出してしたんだからな」

照れて、ついうつむいてしまう。

そんな俺の顔を勇仁が覗きこんだかと思うと、一気に唇を奪われる。

だめだ。俺、いつからこんなに勇仁のこと好きになってたんだろ…。

もう、気持ちが溢れて止まらないぐらいに、勇仁を求めてしまう。数え切れないくらいHもしてるのに、一瞬のキスだけで、全身が甘く疼く。

「勇仁…」

激しいキスの合間に名前を呼ぶ。

「何…?」

優しく尋ねてくれる勇仁にギュッと抱き付く。

「好きだよ」

「…俺も。大好き」

キスが深くなり、そのままベッドへと二人で倒れ込む。

「涼があまりにもキレイになっててビックリした。どうしようもないくらいに好きでたまらない」

愛撫の合間に降り注ぐ、優しく甘い言葉。

「こっちもずいぶん成長したな…」

スルリと、ズボンの中に手が忍び込む。

「ちょっ…」

「もう我慢できないんだ、涼」

会えなかった時間を埋めるかのように、激しいキスを交わしながら、俺たちはベッドの上でお互いの肌を重ね合わせた。

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