『表題』

見名

第1話『表題』

 僕は『猫』が好きだ。

それも狂おしいほどに。

未だにガラス一枚の隔たりを破壊することはできていないが。

特にお気に入りの写真を待ち受けにするくらいには好きなんだ。

眼があった瞬間にわかった。これは運命なんだと。

毎日のように眺め、夢想した。

もしもこの手で触れることができればと。

ついに限界が来て、他には少し重く、僕にとっては安すぎる買い物をした。

まぁ相場を見ても安い方だろう、きっと。

ネットでは車や家が買えそうな値段のものもあったことだし。

『猫』を買ってから、僕の生活は一変した。

行動をできるだけリビングで済ませ、できるだけ見れるように時間を取った。

そのうちそれだけじゃ物足りなくなって、壁をどんどん新しい写真で埋め尽くしていく。

味気なかった一色が、瞬く間に鮮やかな色彩で埋め尽くされる。

トイレになんて、わざわざ引き延ばしてポスターにしたものを貼ったほどだ。

見つめていられることが、見つめられることが幸せだ。

ずっと、ずっと一緒にいたい。


 ある時、あまりに大学に来ない僕を心配して彼女が見舞いに来ると言い出した。

『猫』を買った直後あたりからスマホの機能のほとんどは使わなくなっていたが、繰り返される既読無視に彼女は業をにやしたのか、合鍵を使って入ってきた。

 けれど、玄関を開けたと思ったら、叫びながら帰っちゃった。

…まぁ、しょうがないよね。急にそんなに見つめられたら。

彼女からしたら、暗闇から無数に覗かれたら、そりゃ驚くだろう。

だけど失礼しちゃうなぁ。

一応彼氏の推しなんだぜ?何もそんな反応をしなくたって。

彼女が開けっぱなしにしていったドアからさす陽光が眩しい。

『猫』以外を見ることが、なんだか穢らわしいことに感じて、咄嗟にドアを閉め、安堵する。

あぁ、僕はこんなにも。眼に愛されている。


 眼を合わせないことが怖くなってきた。

でも、どこを見ればいいの?

その、無数にある眼には、何も映っていないのに。

気がつくと、『猫』がいつもの眼で僕を見てくる。

安堵と、困惑が入り混じる。

目が、覚めて。倒れて。目が、醒めて。倒れる。



彼は自宅で亡くなった。交友関係はあまり濃くはなかったらしく、大家が滞納している光熱費などの徴収のために押し入った際に倒れているのを発見。

救急車の到着後、死亡が確認されたそうだ。

亡くなった際の部屋の状況は、それはひどいものだったそうだ。

実際に家に踏み入った大家はこう語る。

「本当に恐ろしくて…、今でも夢に出てくるんですよ。怖いものみたさで今も話そうとしてますけれどね。この話をすると、決まって視線を感じるんです。…あぁそれで部屋の状況ですね。ドアを開けると、暗闇の中に光る無数の視線に射られたように感じるんですよ。ライトで照らしてみると、壁どころか、天井や床にまで『絵』が貼られてましてね。しかも、見ていると何か不安になるような、絶妙な色合いなんですよ。それでも、何を描いてあるのか分かるってのは、やはり画家ってのはすごいもんですねぇ。」


 表題『万華鏡猫 緑のパターン ルイスウェイン作』

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『表題』 見名 @Douna_Gen

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