夜明けのスー

コロガルネコ

第1話 あやしの市 -1- 雲に伸びる階段

 人間の言葉を話す黒猫と出会った。


 二本足ですっくと立ち、艶のある黒い毛並みに黄色い革のベストを羽織っていた。

 年齢はわからないと言ったが、総てを見抜いているかのような落ちつきがあった。

「三度目のクロと呼ばれていた家にもそろそろ飽きてね」

 ゴウはそう言って頭をかいた。


 一昨日の深夜、窓の外から何やら楽しげな声が聞こえてくるのに気づいた。

 その日はさして気にもせずゲームに没頭したが、次の日の真夜中にも同じような声が聞こえてきた。

 ボクは自分の部屋の窓をそっと開けて声がする方を確かめた。

 窓の向こうには似たような戸建て住宅が並び、ほとんどの家の灯りは消えている。

 等間隔に整列した街灯が立つ、大通りから外れた夜の住宅街。


 春はもうそこまで来ていたが、窓から流れ込んだ夜の空気はまだひんやりとしていた。

 この時間この辺りでは、車やバイクの音もめったに聞こえない。静寂の中、声は町外れの広場の方角から届いてくるようだ。

 大勢の騒ぐ声に交じって、楽しげな音楽のようなものも聞こえる。

 不良グループが集まって騒いでいるのではなさそうだ。

 一体なんだろう。


 ボクは好奇心に衝き動かされて、声が聞こえる方まで行ってみることにした。


 中学入学の春休みにこの町に引っ越してきたが、二学期から学校へ行かなくなった。

 昼夜逆転の生活をするようになり、かれこれ半年近くが経っていた。


 誰とも顔を合わしたくなかったので家から一歩も出ていないが、大通りの深夜のコンビニには二度だけ行ったことがある。

 特に目的があったわけではなく、外とのつながりをなんとか持っていたかったのだと思う。

 二度とも好きなミントアイスをかじりながら、ブラブラと家まで帰った。


 時計の針は午前零時を回っている。

 こんな時間なら誰かに会うこともないだろう。


 玄関から出ると家族が起きて来そうだったので、二階の窓から外に出ることにした。

 裸足だが仕方ない。せめてもと寝る前に脱ぎ置いていた靴下を履き直した。

 音を立てずに雨樋を伝って地面に降りるのは、コンビニ行きで要領を覚えた。

 歩道に降り立つと、足裏から伝わるアスファルトの感触がひんやりと冷たく、一瞬肩をすぼめた。


 家から東へ少し行くと水量の少ない川が流れ、あやめ橋という橋が掛かっている。

 この辺りは今のような住宅街になる前は、農家が点在する長閑な丘陵地帯が広がっていたそうだ。

 川はアユも泳ぐ清流だったそうだが、両岸をコンクリートで固められた今の姿からはその面影もない。

 橋の名前の由来となったアヤメも今は一本も生えていない。


 橋の袂に小高い丘があり、そのてっぺんが広場として整地されている。

 古墳ではないかと言われているらしいが、本当のところはわからない。

 毎年夏になるとこの広場で「夏の市」が開かれる。つながりの薄い新興住宅地の親睦目的として、二十年ほど前から始まったらしい。

 声はその広場の方から聞こえてくる。


 橋を渡り、丘の上に伸びるコンクリートの石段を見上げると、いつもと様子が違う。

 石段の上部が紫色の雲のようなものに包まれている。

 声や音はその雲の中から聞こえてきているようだ。

 周りを見回すがこんな時間に人の姿はなく、町はシンと静まり返っている。


 ボクはゆっくりと石段を上り、紫色のそれへと近づいてみた。

 やはり近くで見てもそれは雲としか言いようがないもので、表面がモコモコと生き物のように動いている。


 その雲の中から手すりのついた木の階段が伸びていた。

 階段の途中には薄ぼんやりと灯った提灯が二つ立っている。提灯には文字も模様もない。

 風雨にさらされたような階段は年季が入っているが、ゴミひとつなくきれいにされていて、雲の中へと続いている。


 怪しい雲の中へと伸びる階段。


 なんだろう。


 夢を見ているわけではない。足裏から伝わるひんやりとした感触が、現実だと言っている。

 ボクは急に怖気づき、その階段を見上げただけで、その場から引き返してしまった。

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