悪魔の証冥

文字と炎

始めに、神は天と地を作った、とされる。


 かつては土くれを捏ね生み出され、神が寵愛し、守り、時に嬲られ、世界に存在する事を許されていた人間が、力をつけ、神に挑み、神に見捨てられ、自分達の存在理由から神を外しててもなお、生み出された“地”にへばりついてどうにか生きている。


 一介の土くれがどうして今もなお、のうのうと我が物顔で生きて居られるのか、地に足をつけていない者からすれば甚だ疑問ではあるが、その答えは知恵だ。

 蛇にそそのかされ、盗まれた火を与えられ、時に堕ちた天使から、また別の神からと、幾度も授かった知恵により、今日も人間は生きている。


 移り変わりの速い人の子達が知恵を積み重ね、暮らしを発展させていく様は、神々から見ても見事なものだった。 彼等が生み出した技術は“魔法”と遜色ない程に発展し(なお、さすがにそんなものまで神は人間に与えた覚えは無いらしい、これについては日をあらためて言及するとしよう) 到底、指や肘の長さでは測る事のできない、大地の大きさ、その形状、そして見上げた星への距離まで測ってみせた。


 その過程で地を離れる神々も居た、天から見下ろすことも、何かを差し与える事も少なくなった。


 人の子は自らの足で立ち、神の手を離れた“とする”ことを選んだのだ。 しかしそれでも、彼らの中に“神”というものは生きていて、『居ない』 という結論を、今のところ大多数は出していない。


 人の子の世界において、神は、信じる者にのみ恩恵を与え、信じる者にのみ存在するものとなったのだ


そうなった世界を正すべきだと論じた神も居た、だが

人の子により“そうなってしまった”世界にはもう 神の手すら届かなかった。



「それでも神が消えなかったのは、やはり言葉と文字の力かもしれんなぁ」


揺り椅子に腰掛け、暖炉の前で影を揺らす男は言った。


「どれだけ文明が進もうと、人間は未だに言葉と文字に頼り続けている、言葉は消えると意味を失ってしまうが、文字は消えない限り残る、大したものだ、紙やペンにだって限りがあったが、今やほぼ無限だ、無限故に無価値に見えるが、文字として残っている限り、価値は消えても“意味”は消えない」


 男は白い薄手袋を脱ぐと、上着から取り出したガラス板に指先を滑らせる。ガラス板は指の動きに追随し、その表面に 無限の“意味”と、膨大な“解釈”を映し続けた。



「今となっては、地は冥界よりも混沌だ、世界という意味を伴う単位は次第に縮小され、最小単位は「個人」まで落ちている、神が生み出した”最初の人間と同じ数“と世界は等しい、美しい収束だと私は思うよ」


「そのおかげで、今でも人間は神を論じて争っている、個の認識が全てとなった世界で、同じ“意味”と“解釈”からくる『認識』の中で人は生きている、つまり、誰かが「ある」と言えば「ある」のだ、無いと言えば見えなくなり、その人間の世界からは”消える”」



男は左腕を伸ばすと、傍にあったテーブルから一枚の羊皮紙をつまみあげた


「不思議なもので、人間の世界でも『契約』は非常に有効だ、文字にして残して置けば、いつでも確認出来るし、内容も保証される… どれ」


男は文面を静かに読み上げた。



─────────────


証冥書番号:XXXx-XXX


─ 証冥書 ─


ジェーン=トリニカ(甲) と フリニオール=シモンズ(乙)は、以下のとおり召命契約を締結し、以下の内容を証明するものとする。


第1条(証明)

甲は、乙に対し、以下の事実を証明し、乙はこれを受託する。

・フリニオール=シモンズは地上に実存する悪魔である


第2条 本契約

I・乙は本契約の締結を条件に、甲が認知する範囲に干渉する

II・乙は可能な限り甲が欲する願いを叶えてられるよう尽力しなければならない

III・本契約を継続するにあたり、甲は本書の厳重な保管を義務とする

IV・甲は本書の複製、及び、みだりに本書の存在を第三者に公開してはならない

V・本証明は甲の死後も本書の存在をもって肯定される


第3条 失効の要件

I・本書の物理的な破損、破壊をもって上記の証明、契約共に失効とする

II・甲による本書の破壊は、乙の破滅を伴う

III・乙による本書の破壊は、甲の死と魂を伴う

IV・第三者による本書の破壊は、甲乙両者の破滅を伴う


本契約締結を証するため、本契約書作成し、甲がその原本を保有する。


証明および契約終結日

署名: ジェーン=トリニカ

署名:フリニオール=シモンズ


──────────


 黒のインクで並ばされた文字達は、滲む事無く、そこに書かれた言葉の意味を証明していた。


 男は『証書』を手に、椅子を揺らしながら語りかけている。


「文字は素晴らしい、こうして残る事で、過去の取り決めがあったということがわかり、誰もこの内容を否定出来ない、文字を与えた神も、今となりこんなにも人類が文字を重視するようになると考えただろうか?…一説によると、火を与えた神と同一らしいが」


 紙から透けて見える炎の揺らぎと、それを遮るようなインクの文字に、男は感嘆の吐息を漏らした。


「文字は素晴らしい、言葉は素晴らしい、紡がれた意味は時代を超え、認識を変え、時には、『神』にさえ抗える」


 男はするりと、その指先から『紙』を保持する力を抜いた。 はらり、ひらりと、支えを失った証書は宙を舞い、いささか作為的に靡きながら、文字と同じく人の子が与えられた 暖炉の中の火へと落ちていく。


「結局のところ、火の方が有用だった故に、罰を受けたのかもしれんが」


火に近づいた羊皮紙は、一瞬、逃れるように舞い上がったが、直ぐに熱に捕らえられ、数分のうちには燃え尽きた。



 それと同時に、男の背後で、椅子に縛りつけられていた別の男の身体が、燃える羊皮紙と同じように、端から欠け、苦悶の叫びと共に消えていった。



「在った事を証明するのは、悪魔の証明に比べれば遥かに簡単だ、しかし、お前と、お前のにその価値はあるだろうか?」


その語りが最後まで聞こえたかどうかを証明できる者は、フリニオール=シモンズ、本人より他に居ない。



Quod Erat Demonstrandum

以上が証明されるべき事柄であった。

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