無心論

「お、おい嘘だろ? いやわかってる。俺だってちゃんと」


「そこを何とか頼むよ。マジで。あと1ヶ月以内には何とかするからさ」


「え、父さんと変わる!? ちょ、ちょっと待ってくれ母さん。分かった。自分で何とかする。何とかなるから。うん。この話はなかったってことで。父さんには内密に頼むよ」


 電話を切る。携帯を投げ出す。薄汚れたベッドに体を埋める。

 薄暗い六畳一間の部屋の中。俺は絶望していた。先の見えない未来に。

 まるでまだ先を見る余裕がある中高生のような悩みだがしかし、俺は今年で24歳である。無職で借金数百万。手元にあるのは五百円玉一枚のみ。情けない引きこもりのニートである。現状を客観視すると死にたくなるのは学生時代から変わっていないが、これは流石に酷すぎる。早くどうにかしなくてはいけない。いけないのだが体は依然動かない。外に出ればみんなが俺のことを笑っているに違いないというパラノイア的妄想が、俺を縛り付けて離さないのだ。



「お母さん見てみてあのおじさん。昼間からずーっと公園にいるよ」


「あんなの見ちゃだめよ、ミサキ」


 そうだよミサキちゃん。お母さんの言うとおりだ。こんなおじさんに興味を持っちゃいけないよ。君にはまだ明るい未来がある。わざわざ深淵を覗く必要はないんだ。さあ、あっちのブランコで遊んできなさい。


「どうしてあんなふうになっちゃったのかなあ」


「そうね。きっと何か酷い目に遭ったのよ。例えば出版詐欺とか。悪い出版社にお金を騙し取られたのね。かわいそうに。あんなに自分の本が出せるって周囲に言い回ってたのにね。まだ希望がある若者をだますなんて本当に」



「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 ダメだダメだダメだダメだダメだ。やっぱり無理だ。あのトラウマを克服するまで外に出るなんて絶対無理だ。………でも、どうする?

 実際問題、働かないと食っていけない。先ほど仕送りも止まったわけだし、貯金の残高はとっくに尽きている。いっそ限界まで断食して餓死するか? いや、そんな度胸は俺にはない。何の得も積んでないのに即身仏になるなんて笑えない冗談だ。


「………なあ、現川。友人のピンチなんだ。どうにか救ってくれないか」


 ダメ元でそう呼びかけてみる。

 もちろん返事はない。

 聞こえているかもわからない。

 俺の哀れな掠れた声の残滓は、虚空に霧散して、消えた。

 

 今日も彼女は変わらない。

 一年前、初めてここを訪れた時と一ミリだって変わっていない。

 彼女は------現川微は正座したまま動かない。

 他の人には見えないし、誰も触れない。

 まるで家具の一つであるように。物置にあるもう使わなくなったおもちゃのように。

 彼女はただそこにある。

 暗く淀んだ瞳が、俺を見つめている。

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