第83話 山の幽霊

「この辺りから本格的に山道だ。気合いを入れてくれ」

「レックスさん。熊と虎はこのあたりに? 警戒しないとですね」

「聖女様、生憎だが、熊と虎に会えた冒険者はいない」

「幽霊、ですね?」


 幽霊と呼ばれる存在をなんとかしなければ、聖獣には会えないのだ。


「まあ、幽霊ってのに会ってみないとなんとも言えんな」

「そうですね、進むしかないですな。サーニャ、索敵を厳に」

「わかってるわ」


 ジルベルトとヘクトル、サーニャが気合いを入れ直している横で、ミナトが呟く。


「うーん、いやな気配がする」

「嫌な気配? ってなんだ?」

「レックスはなにも感じない?」

「感じないが……。ミナトは何を感じているんだ? 呪いの類いか?」


 ミナトは少し考えて言葉にする。


「呪いの気配もしてるんだけど、うーん、なんていえばいいんだろう。なにもないがあるかんじ?」

「意味がわからん」

「わふっ!」

「そう! タロいいこという。気配を消している気配!」

「そうか?」


 それはミナトとタロ以外は感じていない気配らしかった。


「もっと近づけばわかるかな? とりあえず、ピッピ、空から熊と虎を探して」

「ぴい~」


「タロとフルフルも探してね」

「わふ!」「ぴぎぴぎ」


「コリンは僕と一緒に行こう」

「わ、わかったです」


「じゃあ、いこー」

「わふわふ~」「ぴ~~」


 ピッピが上空に飛び上がり、タロは駆け出した。


「わはははは!」

「ま、まってです!」


 ミナトとコリンも走り出す。


「待て待て、俺たちも行く!」

「うん!」


 ミナトとコリンに、ジルベルトたちがついていく。


「いいのか? 子供に好き放題やらせて」

「それが結果的に一番うまくいくからな」


 ジルベルトが笑顔でそう答えても、レックスは怪訝な表情を変えなかった。


「……これじゃあ、案内人としての俺の立場が」

「まあ、気にすんな」


 さらに五分ほど山道を進むと、

「あ! 幽霊ってあれ?」

 ミナトが遠くに浮かぶ人影を発見した。


「どうだ? すごい恐怖だろう? だからこれ以上進めないんだ」


 レックスが険しい顔で叫ぶように言う。


「確かにやべーな。理屈じゃなく怖い。マルセル、これは魔法か?」

「魔法なのか? わからん。魔法なら精神系の魔法だが、魔力を感じない」

「……奇跡でもないですね」

「ええ。至高神様の奇跡でも、呪神の呪いでもないですな」

「なに? これ、こっちが獲物になったかのよう」


 アニエスたちは脂汗を流して、必死に耐えている。


「ひ、ひぅひぅ……」


 そして、コリンはガタガタと震えて、声を出すことすらできていない。


「大丈夫だよ?」


 ミナトはそんなコリンの手を握る。


「ミナトは、はぁーはぁー……平気なのですか? はぁーはぁー」


 アニエスは深呼吸を繰り返している。


「うん。平気。うーん? うん?」


 ミナトはコリンの手を握ったまま。じーっとその幽霊を見つめる。


「あ、わかったかも?」

「なにが、わかったんだ?」

「これ、魔法だ!」

「ですが、魔力を感じません!」

「そう? 感じるよ? ちょっとまってて。えーっと」


 ミナトは真剣な表情で、三秒ほど考える。


「水はダメだし、火もダメだし……うーん」

「ミナト、なんの話ですか?」

「何を使えばいいかなって。サラキアの書……あ、そうだ、これを使えば」


 そう言った後、ミナトは右手で聖印を掴んで上に向ける。


「ちゃあ~~」


 ミナトの気の抜けた声が響き渡ると同時に、右手が輝いた。


「これは?」

灯火ライトの魔法だよ!」


 灯火は神聖魔法ではあるが、生活魔法と誤解されるほど初級の魔法だ。

 だが、ミナトには凄まじい魔力と高い神聖魔法のレベルがある。

 およそ灯火の魔法とは思えないほど眩い聖なる光が周囲を満たす。


「えっとねえ。木とか動物とかをまきこまないようにして、魔法を壊したかったの」

「幽霊の魔法を?」

「そう! 壊す方法がわからなかったから、魔法をぶつけるのが早いかなって」

「まあ、別の魔法をぶつけて、相殺するのはよくある手段ではありますが……」


 マルセルは、幽霊が本当に魔法を使っているのか疑問に思っていた。

 なにせ、魔力を全く感じなかったからだ。魔力を感じ無い魔法など存在しない。


 だが、ミナトの灯火の魔法で周囲がみたされると、

「空が割れただと?」

 マルセルが思わず呟く。


 いままで気づかなかった空を覆う透明な硝子のドームが砕け散ったように見えたのだ。


「ね? 今はもう魔力感じるでしょ?」

「感じます……。どういうことですか?」


 アニエスの疑問にミナトは笑顔で答える。


「えっとね。魔法に気づかない魔法をかけてから、幽霊をだしていたから、気づかなかったの!」

「どういうこと?」


 ミナトの説明はわかりにくかった。

 サーニャの疑問に答えたのはマルセルだ。


「つまり、私たちは気づかぬ間に精神支配をかけられていたってことです」

「僕はフルフルたちから貰った【状態変化無効】のスキルがあるからねー」


 幽霊が駆けてきた精神支配は二種類あった。

 一つ目は魔力に気付かせない魔法。二つ目は恐怖を覚える魔法だ。


「ミナト、さっき言っていた嫌な気配ってのはこれだったのか?」

「違うよ? いやな気配はまだしてる」


 そういいながら、ミナトは幽霊に向かってまっすぐ歩いて行く。


「魔法がとけたら話せるね」

「危ないぞ!」

「大丈夫。味方だよ」

「そうか。ならいいんだが……」


 そう言いながらも、ジルベルトはミナトをかばうようにして前に出る。


「待て待て、俺も行く!」


 慌てたようにレックスが後を追い、その後ろをアニエスたちとコリンも追った。


「もう、怖くないです」


 みな精神支配を解かれているので、震えている者はいない。

 幽霊は姿を隠そうとも逃げようともしなかった。

 ミナトが近づいてくるのをじっと待っている。


「あなたはだあれ? なんの精霊さん?」

『…………お待ちして……おりました。サラキア神様の使徒様』


 その幽霊とされていた者は、ふわりと地面に平伏した。


 幽霊は瞳も髪も皮膚も青白い少女の姿だ。

 青白い髪は自分の身長よりも長く寒々しかった。


 服は簡素な貫頭衣である。


「サラキア神様の使徒様?」


 レックスが驚いてミナトを見る。


『我はこの地を守護せし、氷の大精霊』

「そっか。あっ、ちょっと待ってね」


 ミナトは氷の大精霊の頭に手を触れる。


「ほちゃあ~~」


 ミナトが相変わらず気の抜けた声を出しながら、手から魔力を発する。

 すると、氷の大精霊の左脇腹から、黒いなにかが弾けて消えた。


「これでよしっと。すこし手こずったけど解呪成功!」

『ああ、ありがとうございます。使徒様。とても楽になりました』

「手こずったように見えませんでしたが……」


 アニエスがそう呟いたぐらい、一瞬だった。


「でも、いつもよりむずかしかった……」


 ミナトはそういうと、すぐに精霊に優しく語りかける。


「そんなことより、精霊さん。疲れたでしょ? これ食べて」


 ミナトは自作の神級レトル薬を氷の大精霊に差し出した。


『ありがとうございます……おお、力があふれてきます』

「よかったよかった!」

『ふう、使徒様、このご恩は……え? レックス。あなた、ここで何をしているの?』


 氷の大精霊はお礼の途中で、レックスに気づいて、目を見開いた。


「それは……えっと、話せば長くなるんですが……」

「氷の大精霊さんはレックスと知り合いなの?」

『はい。レックスは昔からの盟友の家臣です』

「家臣? 盟友ってだれ?」

『あの山にすまいし、氷竜の王です』


 そういって、大精霊は背後の大きな山を指さした。

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