第2話 神の領域

 気がつくと、ミナトは上下も左右もない白い空間を漂っていた。


『ミナト。あなたは死んでしまいました』


 いつの間にかミナトの目の前にいたきれいな美少女がそう言った。


『あ、ちなみに私は異世界の生命と月の女神、サラキアです。サラキア様と呼んでね?』


 サラキアの自己紹介をミナトはなんとなく信じた。

 異世界の女神とかそういう信じがたいことも、そういうものだと思ったのだ。

 それは、この不思議な空間が持つ不思議な力が信じさせたのかもしれない。


「そっか。死んじゃったか。風邪だと思ったのにな……。タロは大丈夫かな」


 ミナトは「やっぱり死んでしまったか」と驚きもなく受け入れることができた。

 未練はある。タロのことだけが心残りだった。


『…………ミナト。私の使徒として異世界に転生してくれないかしら?』

「てんせい?」

『そう。ミナトには異世界に生まれ変わって、やってほしいことがあるの』


 ミナトがどうしようか悩んでいると、サラキアはためらいがちに言う。


『……ちなみにタロは、もう転生したのよ?』

「え? タロが? タロは死んじゃったの?」

『詳しくは話せないのだけど、元々老犬だったし……。それにこの空間は地球と時間の流れが違うし、タロがいつ死んだのかは、明らかにできないのだけど。ミナトが死んだ五年後かもしれないし、三日後かもしれないのだけど』


 急にサラキアは口数が多くなった。

 まるで何か誤魔化しているかのようだとミナトは思った。


『やましいことはないの。でも、ミナトが死んだ後に地球で起こったことは教えられないのよ』

「……そっか。タロが最後までしあわせだったらいいなぁ」


 しばらくサラキアは何も言わなかった。

 なんであれ、大切な親友で家族であるタロが転生したのならば、ミナトに迷いはない。


「じゃあ、僕も転生する」

『よかった! まずは、ミナトに異世界について教えるね!』


 次の瞬間、言語ではない情報がミナトの脳内に直接流れ込んできた。

 不思議な感覚だ。なんとなく異世界がそういうものだと理解できた。


 魔法があって、神様がいて、精霊や聖獣、魔物がいたり呪いがあったりする。

 そんな世界らしい。


「ほえー。凄い世界だなぁ」

『地球に存在しないものを。言語で伝えるのは難しいのよ。次にやって欲しいことを伝えるわ』


 やるべきことは、呪いと瘴気の浄化。

 至高神に反逆し堕天した神が、呪者という存在を作り出し呪いと瘴気をばらまいているらしい。


 呪いや瘴気を抑える役目を持った精霊や聖獣といった存在すら呪われ始めている。

 そこで神は呪いや瘴気を払うために聖者や聖女という存在を作った。

 それでも、浄化は全く追いついていない。


 精霊や聖獣すら呪われ、蝕まれ、最終的に呪者になってしまうことすらあるという。

 このままでは地上は呪いと瘴気に覆われてしまう。


 だから異世界人のミナトとタロに白羽の矢が立ったのだという。

 呪いを払うために必要な能力や、異世界で生き延びるための能力は授けてくれるらしい。


『それとは別に何か欲しい能力があれば、多少融通できるけど……』


 サラキアは少し申し訳なさそうに言った。

 どうやら、無制限で能力を授けると地上に悪影響があるらしい。


『お願いしている立場なのに、要望を全て聞けなくてごめんね』

 どうやら、サラキアは神なのに腰が低いらしかった。


「あ、それなら病気を治す力がほしいかな」


 タロが病気になったとき、治療費を集めるのに苦労した。

 ミナトは治療費が惜しかったわけではない。


 治療費を集められなかったら、もしくは集めるのが数日遅ければタロは死んでいた。

 だから、ミナトは病気を治せるようになりたかった。


『病気治療なら異世界を生き延びるための能力に含まれてるから安心してね?』

「よかったー」


『ただ、注意があって……異世界に成熟した状態で転生させるのは難しいの』

「ふむふむ?」


『だから、多少幼い体になるわ。でも、きっとミナトなら大丈夫ね」

 サラキアは幼い弟にするかのように、ミナトの頭を優しく撫でる。


『まずは新しい世界に順応することだけを考えて』

「わかった」

『……あ、便利なグッズも一緒に送るわね』

「なにからなにまで、サラキア様、ありがと」

 サラキアはミナトをぎゅっと抱きしめた。


『私たちの世界では、タロと一緒にきっと幸せになるのよ』

「……うん」

『呪いと瘴気を払う使命だけに集中しなくていいの。タロと一緒に世界を見てまわって』

「うん」

『気楽にね? きっと楽しいわ。それにミナトの目を通じて世界を見るのは私も楽しみなの』


 サラキアはそういうと、ミナトから体を離す。

 ミナトは先ほど頭の中に流れ込んできた情報の一つを思い出した。


 どうやら、神が直接世界を覗くことは不可能ではないが、色々と大変らしい。

 だからこそ聖女や使徒の目を通して、世界を覗くのが神の貴重な娯楽なのだ。


「どうか。幸せに。ミナトが幸運に恵まれますように」

 サラキアはミナトの額にもう一度キスをした。


 次の瞬間、ミナトは意識を失った。


  ◇◇◇◇


 ミナトがサラキアに出会う少し前。

『人のために尽くした一生。見事であった』

「……わふ?」


 タロはサラキアの父である至高神の前にいた。


『犬という種族には徳の高い者が多いが、そなたは犬の中でも特別だ』

 神々は犬という種族を高く評価している。だから、死後、犬は幸せになるのが普通だった。


『そなたを、我らの仲間、神の一柱として迎えよう』

 犬の中でも特に高く評価されたタロは神となる資格を得たのだった。


「わふ~」

『ミナトも一緒に神にしてほしいのか? むーん、ミナトは神になるには少し徳が足りぬ』


 死の間際までタロを気遣い、自分の体を食べてと言ったのはかなり徳の高い行為ではあった。

 だが、神格を得るには少し足りないというのが至高神の判断だ。


「わふ!」

『む? ミナトが一緒じゃないなら神にはならないと?』


 タロはわふとしか言っていないが、至高神との間では会話が成立していた。


『だがタロよ。我が娘サラキアがミナトを我らの世界に転生させようとしておるのだ』

「わふ?」


『ミナトが、我が娘から与えられた使命を果たせば神になれるであろう』

「わふ!」


『ミナトが使命を果たす様子を、神となりここから見守ろうではないか』

「ばふ!」


『む。一緒に地上に転生し、ミナトを助けると』

「わう!」


 目を輝かせ、尻尾を振りながら、タロは力強く吠えた。


『…………わかった。そなたの願い聞き届けよう』

 そして、タロも転生することになった。


 タロが望んだのは、ミナトを守れる大きくて強い体。

 他にも色々至高神から色々と力を授けられたうえで、タロは地上へと転生したのだった。

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