27:清水の決意と俺の決意

 艦内巡りを終えた俺達は、海風を感じながらも暑い町中を歩いてカレー屋にたどり着いた。

 ここのカレー屋が出しているカレーはご当地カレーの知名度はナンバーワンで、抜群のおいしさを誇っている。

 そもそも、横須賀がカレーの街となったのは俺が産まれる六年前に海上自衛隊の総監がお別れパーティーのあいさつで「カレーを地域活性化に利用してみては」という話をしたのがきっかけだった。そこから市役所や商工会議所、海上自衛隊と検討を重ねた結果、旧海軍で提供されていたカレーを現代に再現することが決定した。その翌年の六月に横須賀市は「カレーの街宣言」をし、カレーを前面に出したまちづくりを始めたとのことだ。

 高校二年生になって父さんが街づくり関係の部署に配属されてから、家では金曜日にカレーを食べるようになった。父さんがそうなったのは、やはり俺がいじめられていたことがあったからだろう。

 昨日もカレーを食べ、今日もカレーを食べることになったのは単なる偶然……、だよな。


「どうしたの?」


 俺の事情を知ってか知らずか、清水は目をきょとんとさせていた。

 無理もない。清水はもう既にビーフカレーをペロリと食べていて、サラダにまで手を付けようとしていた。

 さっき俺に「好きだ」と告白して、それでいて食欲旺盛なのはどういうことなんだ。

 一方の俺はというと、さっきの清水の言葉が頭の中を駆け巡っていてなかなか食欲が沸かない。

 というか、カレーのことで俺はちょっとだけあの日のことを思い出していた。そう、佳織と出会った日のことだ。

 あの日、佳織は市販のルーを使ったカレーを俺にごちそうしてくれた。あのカレーは人生のように辛く、そして甘かった。


「早くしないと冷めちゃうよ」


 清水に急かされると、俺は少しずつではあるがカレーをご飯にかけ、そして口に含んだ。

 ……これは、さすがに辛い。甘さがない一方で様々な香辛料が効いている。昨日食べたカレーと全く同じ味がする。

 やっぱり、これは牛乳と薬味を口に含みながら食べたほうが良いな。さすがに本場の味は辛くてたまらない。


「店でカレーを食べたのは久しぶりだけど、辛くておいしいよ」

「ホント? 無理して選んで良かったよ。帰りにお土産も買ってみるのも悪くないよ。トオルって知り合いが仙台に居るんでしょ?」

「そうだな。お財布は……大丈夫かな」


 俺はズボンのポケットから財布を見つけると、どれだけ残っているかを確認した。

 帰りの交通費は母さんに出してもらうとして、お土産代と家までの交通費は……大丈夫だよ、な。

 お土産を買って帰るのは佳織と綾音さん、それにアパートの大家さんだけでいいか。

 ただ、俺には気になることがある。さっき清水が俺のことを『好き』といったことだ。

 俺はカレーライスを平らげると、改めて清水の顔を見上げる。


「どうしたの、トオル?」

「いや、さっきのことなんだけどね……」

「さっきのって、どういうこと?」

「さっき俺に『好きだ』って言ったじゃない。それでなんだけど……」

「そのこと?」

「そうだよ。その答えだけど……」


 名物のビーフカレーを食べた時、俺は確信した。俺は佳織のことが好きだ。

 あの日、友達になってくださいと頭を下げた時から俺は彼女のことが好きになった。

 俺は清水に襲われて女性不信となり、佳織は先輩にひどいことを言われて男性不信となった。

 そして、そんな二人が出会ったのは運命だった。

 清水に何を言われようと、覚悟はできている。


「俺、仙台に好きな人がいるんだ。だから、清水の気持ちには応えられない」


 そう、あの日から俺は佳織に惹かれた。

 俺の心は佳織が放つ剛速球に撃ち抜かれていた。

 清水には申し訳ないけど、これが俺の素直な気持ちだ。

 軍艦の中で奏でられていた音楽が流れる中、しばらくの間沈黙が続いた。

 周りからは食器とスプーン、フォークの奏でる音が響きわたる。

 しかし、その静寂を破ったのは、何を隠そう清水だった。

 

「……そう……」


 清水は力なくつぶやくと、少し息を吸ったり吐いたりしてから次の言葉を紡いだ。


「やっぱり、仙台で好きな人が出来たんだね。そうなるのはわかっていたよ」

「え? どういうこと?」

「だって、私のように遊んでいる女の子なんてトオルは相手にしないものね……」


 清水はそう話すと、肩を大きく落として俺と目線を合わせず、視線を手前にある空となった皿に向けていた。

 これはまずいな、清水のことをフォローしておかないと。


「そ、そんなことないよ! ……イメチェンした清水も十分可愛いよ。だけど、その人は清水よりも数段綺麗だし、大学は推薦で入っているし、それに……」

「それに?」

「その人と一緒になってご飯を作っているし、一緒に勉強だって……」

「……それってマジ?」

「ああ、マジだよ」


 佳織が作ってくれた甘めのルーを使ったポークカレーはとても美味しかった。

 女絡みのトラブルでいい思い出がなかった高校時代を忘れ去るほどに甘く、そして辛かった。


「それに、……最初の日に作ってくれたカレーが美味しくてね、つい涙を流したんだよ」

「……マジ、……なのね」

「うん」


 俺が頷くと、清水は俺に聞こえているにもかかわらず「信じられない……、やっとイメチェンしてトオル好みの女になったのに、どうして……」と呟いた。

 何というか、その……、清水がこんな奴だとは思わなかったよ。


「清水……、いや、奈緒さん?」


 俺が止めに入ると、清水はようやく冷静になって俺の顔を見つめて……。


「……決めた」

「え?」

「トオル、アンタが通っている大学ってどこ?」

「東北学院大だけど」

「……じゃあ、私もそこに入る!」


 ええっ!? なんてこと言うんだよ、こいつは。

 そういや清水って人の話を全く聞かずに暴走機関車となる奴だった。俺の童貞を奪った時も汗や体液まみれの暴走特急と化した勢いで押し倒して、俺の唇を奪ったら……。おっと、これ以上は語れないので各自想像してくれ。

 さっきの話で思い出したけど、高三になってからは妙に大人しくなり、普通に勉強していたように思える。

 ただ、東北学院大学って関東にある中堅私大と比べても圧倒的に知名度が低いぞ。それに、もし清水が入ったとしても後輩になるわけだから……。

 いや、まずはその話をする前にカレーを食べ終えないと。


「とにかく、その話はまた後でにしよう。腹が減っては何とやら、だからね」

「もう、さっきから言っているじゃない」


 呆れた顔をしている清水をよそに俺はカレーセットに手を付けると、モノの数分で平らげて会計を済ませて店を出た。もちろん、一階にあるお土産屋で佳織の家族と綾音さんへのお土産も買っておいた。中身は見てのお楽しみ、ってことで。


 ◇


 横須賀中央駅から出ているバスに乗って、衣笠駅まで戻ってきた。JRの久里浜駅の近くに住んでいる清水とはここでお別れだ。

 清水のおかげで小学校の遠足の時に行ったっきりの三笠をじっくり眺めることが出来たし、海軍カレーを堪能することが出来た。ただ、気になることがあるとすれば……。


「どうして、さっき東北学院大学に入るって言いだしたんだよ」


 そう、それだ。

 清水は高校時代の学業成績は割と良く、ギャル仲間で唯一転校を免れた。彼女の学力があれば都内にある中堅私大は余裕で入れるのに、どうして浪人してまでうちの大学に行こうと決めたのだろうか。


「そんなの決まっているじゃない。トオルが惚れた女の顔を見てみたいのよ」

「それだけの理由でか?」

「そう。彼女にはまだコクっていないでしょ?」

「まだだけど、そのうち告白しようかなぁって思っているよ」


 佳織と出会ってはや四ヶ月とちょっと、ここまで佳織のことが恋しいと思ったことはなかった。

 俺は清水よりも佳織が好きだ。

 一方で自分の思いを伝えた清水はというと、俺のことを知ってか知らずかいたずらな微笑みを浮かべて俺の顔を見つめた。


「ふーん。それじゃあ、告白しコクッたら私に教えて」

「教えてって、正気かよ、お前」

「いいもん、別に振られたって。私の気持ちは伝えたから。トオルも『好きな人がいる』って言ったから、お互い様よ」

「こいつ……!」


 清水の奴、しっかりと言質を取っていやがる……!

 人の弱みを握ることに長けているのは変わっていなかったよ。


「分かったよ。どうなるかはわからないけど、ちゃんと教えるから」

「お願いね」


 そう言い残すと、清水は衣笠駅の中に消えていった。


「……帰ったら佳織に告白しよう」


 俺は独り言ちると、一人衣笠駅を後にした。

 清水に伝えるべきことは伝えた。後は佳織に自分の思いを伝えるだけだ。

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