ラブレターとプール

19:男性不信はどこへ行ったんだ?

 俺と彼女……大久保おおくぼのぞみと知り合ったのは、スピーチコンテスト明けの月曜日の二コマ目が終わった後だった。

 いや、正しく言えば佳織を狙おうとしていた遠藤と菅野に嵌められて知り合わされた、とでもいうべきだろうか。


「おい」

「ん、なんだよ」

「あの子、知り合いか?」


 二コマ目が終わった後、同じグループに居る遠藤が小さい声でささやいた。

 遠藤は俺と佳織と同じグループに居て、この大学には一般入試で入ったそうだ。性格は俺と似たり寄ったりといったところで、オリエンテーションの一泊旅行で親しくなった。

 佳織と一緒の席になる機会が多いためか、こいつとはあまり一緒に話すことはない。今日はたまたま佳織がお手洗いへ向かったために遅くなったからだ。

 俺は遠藤にそう言われて振り向くと、少し離れたところに居た女子学生がポッと頬を赤らめていた。

 大きな襟と細いリボンが付いた半袖ブラウスに黒系統のギャザースカートを着ていて、スカートから少ししか出ていない足元はパンプスを履いていた。

 顔は割と可愛いものの、毎日一緒にいる佳織と比べるとワンランク下がる感じがする。

 肩甲骨を超える長さの髪は編み込みが目立ち、大きめのリボンが目立って見える。

 ちょっと見た感じでは地雷系っぽく見える感じもするが、どうなのだろうか。


「知らないよ」

「さっきからずっとお前のことを見ていたぞ。お前に気があるんじゃねぇのか」

「ふざけるなよ」

「そういや、先週の金曜日もカフェテラスにも彼女に似た子が居たなぁ」


 すると、脇から別の友達が嬉しそうに話し始めた。

 こいつは菅野といって、遠藤とは高校からの付き合いだと話していた。もちろん、菅野ともオリエンテーションの時に知り合った。


「調子いいこと言うんじゃねぇよ」

「いや、そんなんじゃなくて絶対にあの子だぜ」


 俺と遠藤、菅野は彼女の顔を見ずに互いに彼女のことを推理していた。時折遠藤らが彼女を見ると反応を示さないが、俺が彼女と目が合うと彼女はニコッと笑顔を見せた。

 父さんの書斎にあった三十年以上前の小説に、男子大学生の友人に嵌められて彼女に似た女子大生と付き合う話があった。その女子大生は母親の手作りの衣装を身にまとっていて、男子大学生と半同棲生活をしていたけども結局は別れた……って話だったかな。その彼女と違って笑顔はきちんとしている一方で、彼女の衣装は見た感じではその女子大生を思わせる感じがする。

 彼女がどこからともなく姿を現すと、遠藤らは「じゃあ、俺達はお先に失礼するぜ」と目配せをして、俺を置き去りにした。

 俺が「ちょっと待てよ」という間もなく、ふと背後に視線を感じると、彼女は泣き笑いの表情を浮かべて立っていた。

 少しうろたえてスマホを胸ポケットから取り出して眺めていると、パンプスと白のソックスが目に入った。


「あの、カシマさん、ですよね」


 一瞬俺はドキッとしながら顔を上げると、彼女が居た。

 普段から聞き慣れた佳織のほんわかしたかわいらしい声なのに対して、彼女はトーンが佳織よりも高く、甘ったるい感じだ。


「そうですけど、どうして俺の名前を知っているんですか?」

「いつも女子学生と一緒に座って話しているところを聞いていまして……。私は同じ法学部の大久保望です。その……、こ、これ……、読んでください……」


 大久保さんはピンク色の封筒を手渡すと、その場から走り去っていった。

 手紙をバッグにねじ込んでからスマホを眺めると、佳織からのメッセージが入っていた。


「『早く講義棟の一階に来てよ』、か……。『わかった、今行く』っと」


 俺は佳織に返答すると、大急ぎで講義室を飛び出してエレベーターのある所へと向かった。

 佳織を待たせたら大変だ!


 ◇


 一階で佳織と合流すると、二人で押川記念館へと向かった。

 いつもは講義棟のラウンジでお昼を食べながらデイリーレッスンをするのだが、今日に限ってはスピーチ大会の後ということもあってお休みとなった。

 佳織は大久保さんとは違って薄手のTシャツに薄手のチノパンと、非常にすっきりした格好をしていた。

 薄手のTシャツからは、レース柄のブラが透けて見える。

 しかも、足元はジー〇ーで買えそうなウオッシャブルタイプの靴だ。


「どうして今日は遅かったのかな? 普段だったら真っ先に来るのに」

「いや、ちょっとね。ラブレターを貰っちゃって」

「え? ホント?」


 佳織が慌てて大声を出すと、「シーッ、声がでかいぞ」と俺が注意する。

 誰かに聞かれたらまずいだろう。


「あ、ごめん。それで、誰からなの?」

「同じ学部の大久保さんって話していたな」

「大久保さん、か……」

「知っているのか?」

「いや、全然。うちのグループにはそんな苗字の子はいないよ」


 そういえば、家に戻れば入学時に貰った名簿があるはずだ。調べてみよう。

 ……と考えていたら、もう学食か。早いものだな。辺り一面は人で埋め尽くされている。座れるのか心配だな。

 今日は何にしようかな。かけそばもいいけど、ここは味噌ラーメンでいいだろう。佳織は……、和風キノコスパゲッティを選んだのか。あれにはスープもついてくるから、俺も機会があったら食べてみようかな。


「ここ、空いているから座ろう」

「そうだな」


 佳織のおかげで座席も確保したし、後はさっさと食べよう……って、隣の席に何やら見知った顔の二人が居るな。いったい何を話しているのだろうか?


「なぁ、本当に大丈夫なのか? 地雷ちゃんを鹿島に押し付けて」

「鹿島は女嫌いだからちょうどいいんじゃね? オリエンテーションの時にも女なんて興味ねぇなんて言ってたからよ、女に慣れるにはちょうどいいぜ」

「鹿島と来れば、いつも堀江とくっついていねぇか」

「元泉第一高校チアリーディングチームのリーダーだろ。定期戦で見たことがあるけど、すげぇ美少女だったな」

「ああ、胸がでかけりゃ身長もでかいし、それに可愛いからな。神奈川から来た奴にはもったいねえよ」

「そうだな。鹿島には地雷ちゃんを押し付けて、俺達のモノにしようぜ」


 ラブレターのことを知っているということは、さっきまで同じ講義を取っていた遠藤と菅野だな。

 俺のことを女嫌いだというけど、正しくは女性不信だ。それと、最近は佳織と綾音さんのおかげで少しずつではあるが女性不信から脱却しつつある。そこを間違えないでほしいね。

 さらに付け加えるならば、俺と佳織は部屋が隣同士だからな。お前らが何かしたら隣にいる俺が飛んでくるからな。


「どうしたの、トオル君」

「いや、ちょっとね。さっきまで同じ講義に居た奴が隣にいたもんでね」

「ふーん……。あ、同じグループの遠藤君に菅野君じゃない。どうしたの?」


 佳織、こんな時に声をかけるなよ。それと男性不信はどこへ行ったんだ?


「堀江さん、ど、どうも……」

「どうも」


 二人はかしこまって挨拶するも、顔がやたらにやけていた。

 何せ佳織は女性不信の俺でさえも軽くノックアウトさせるほどの剛速球レベルの美人だ。

 高めの身長に均整の取れたプロポーションをしているから、どんな男も一発で落とせそうだ。


「何やら私のことを話題にしていたようだけど、どうかしたの?」

「いや、何でもないよ」

「何でもないんだ」

「ふーん、二人とも私と鹿島君のことを話題にしていたようだけど、何がもったいないって?」

「それはだな、その……」

「堀江さんは鹿島なんかよりも俺と遠藤のほうが似合うのかなって……」


 二人は互いに見合わせてはごまかそうとする。


「ごめんなさいね、私はあなた達には一切興味がないの。だから、今後一切話しかけないで」


 佳織が笑顔で遠藤と菅野にそう言い放つと、二人は口を開けて呆然自失の表情を浮かべては一目散に学食を後にした。

 そういえば、佳織は高校時代に男子生徒から鉄壁の女と呼ばれ続けたことを昨日のスピーチでも話していた。チアをやっていた時に男子の誘いを次から次へと断り、振った男子生徒の数は十指に余るとまで……。

 目の前に居る佳織は、まさに鉄壁の女そのものだった。そうなったことに関してはスピーチでは明かさなかったものの、コンパの席で細かい話を聞いて腑に落ちた。

 まあ、女が欲しいと言いながら口先ばかりで行動が伴わないあいつらにはいい薬になるだろう。


「ごめんね、そろそろ食べようか。早くしないと講義に間に合わないよ」

「そうだね」


 佳織が向かいの席に戻ってきたので時計を見ると、もう十二時四十分を回っていた。

 今日は四コマ目まで講義がぎっしり詰まっているから、うかうかしていられない。

 俺と佳織はお昼を平らげると、食器を戻してから再び講義棟に戻った。

 午後も頑張らないと。


 ◇


「ねえ、ラブレターを見せてもらってもいいかな」


 夕飯が終わっていつものように今日の復習と明日の予習をしていると、佳織が突然ラブレターのことを言い出した。


「な、なにを突然」

「だって見てみたいんだもん」


 あのな、佳織が見たってしょうがないぞ。

 あれは俺宛だし、佳織が見てはいけない言葉が満載だぞ。

 佳織のわがままボディを見慣れているせいもあって、愛とか恋といった言葉には敏感に反応してしまう。

 そんな俺が純真無垢な女の子からラブレターを貰っていいのだろうか。それに、そのラブレターを他人様に見せても……。


「お、お前なぁ、そんな軽々しく言うなよ」

「ねえ、見せてよ。気になるからさ」


 すると、Tシャツ一枚の佳織が胸を強調するポーズをして俺を落としにかかってきた。

 薄着の季節になってからというものの、佳織は女の武器を利用しはじめた。

 胸をちらちら見せては俺に言うことを聞かせようとするのだが、これが実に効果的で、いつも佳織にしてやられるのだ。


「わ、わかったよ……」


 やれやれ、胸の谷間を見せつける佳織にはかなわないや。

 本棚に置いてあったピンク色の手紙を佳織に差し出していた。


「ありがと。ちょっと読んでみるね」


 佳織はカッターナイフで開封したピンク色の封筒から小さく折り畳まった便箋を取り出すと、ていねいに拡げてからラブレターを読み上げる。

 やれやれ、女の人が信じられないと言っていた三ヶ月前の俺が見たら何て言うんだろう。女に触れるんじゃない、って今の俺に説教するだろう。


「え~と、『愛するカシマ様、同じ講義で一目見た時から恋に落ちました。あなたのことが好きです。見ているだけで嬉しいです。できれば会ってお話がしたいです……』か。ベタ過ぎじゃないかな、これ。……って、どうしたの?」


 や、ヤバい。

 佳織の声で読んでもらったせいか、身悶えしてしまいそうだ。

 声のトーンは手紙の主が上だけど、聞き慣れた声でこんなことを言われたら、どうにかなりそうだ。


「そりゃあ、可愛らしい声で『愛』や『恋』、『好き』なんて言われたら、ね」

「くすっ。それで、どうするの?」


 俺は起き上がると、テーブルの上に肘をついて佳織に「どうするのって言われても……」とめんどくさそうに話した。


「そりゃあ一度でもいいから会ってみないと」

「そうだね。でもどうやって連絡すれば……、って、見てよこれ」

「どうした?」

「ご丁寧にQRコードがある名刺も入っているじゃない。ラブレターの最後には『LEINの友だち登録をお願いします』って書いてあったよ」


 便箋を改めて眺めると、佳織の言う通りLEINの友だち登録を促す一文があった。

 名刺はわざわざ用意したのかな。


「本当だ」


 俺はLEINを立ち上げると、彼女を友だちに登録した。

 彼女からは「早速友だち登録してありがとう」とのメッセージが返ってきたけど……。


「女の子って、本気であんなことを言ったり書いたりするのかな」


 それだけが腑に落ちなかった。


「さあ、どうだか。……それより、勉強の続きをしようよ」

「そうだな、テストが近いからね」


 一瞬だけ頭の中に沸いた疑問も、佳織の笑顔を見るだけで吹き飛んでしまう。

 その時ふと、俺は佳織のことが好きなんだなと気がついた。

 ただ、今は胸にしまっておこう。何せ、俺と佳織はお隣さんだから。


<あとがき>

 群ようこが書いた『無印失恋物語』がありまして、その中に『第四話 無言』があります。陰キャな男子大学生がこれまた陰キャな女子大生からラブレターを貰って交際するも、好みに合わずに振ってしまうという話でして、これが個人的に大好きでした。そこで、今作ではオマージュとして盛り込んでみました。

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