17:いざ、コンテストへ
原稿を書き上げ、日本語から英語への翻訳や文法チェックなどを経て、ついに今日はフレッシュマン・スピーチ・コンテストの本番だ。
「おはよう、よく眠れた?」
「まずまずだね」
マンションの入り口付近で一緒になると、佳織は爽やかな顔をしていた。
今日は純白のスーツで、髪をブロンドに染めてカチューシャを付けていたらどこかのゲームに出てくるお姉さんっぽい戦艦そっくりに見えそうだ。
ただ気になるところは、スーツとは不釣り合いな白のハイソックスと胸の谷間からちらりと見えるストライプ模様だ。一体何を中に着込んでいるんだろうか。
それに、佳織の手元に持っているバッグはちょっと使い古したスポーツバッグだ。一体中に何が入っているんだ?
「なぁ佳織、なぜそんなに大きいバッグを持っているんだ」
「原稿やパソコンだけじゃなくて、いろいろと入っているからね。それで、そっちはどうなの?」
「俺はね……」
俺は祖父ちゃんが聞いていた落語をちょっとだけ披露しようと、佳織と同じように準備をしていた。
何が喜ばれるのかなと思ったところ、祖父さんがなくなる直前まで聞いていた落語をやってみようと決めた。
その中でも『寿限無』は「寿限無、寿限無、五劫のすりきれ……」の下りが有名でやってみようと思い立ったのは良かったけれど、うまくできるかとなると素人では限界があった。
そこで、練習で一緒になった上級生から落研の会田さんを紹介してもらい、時間の許す限り練習に付き合ってもらった。
会田さんと毎日LEINを使って指導をしてもらったおかげで、台本を見ずにサゲまで言えるようになった。
当然、披露するのはもちろん昨年に亡くなった六代目の
「そろそろ行こう。今日は九時半に現地で集合だから、急がないと間に合わないよ」
「そうだな」
ワイシャツの袖をまくってから腕時計を見ると、もう少しで九時になるところだった。
地下鉄の駅まではここから歩いて六分位だ。そこから地下鉄に乗れば、二十四分程度で到着するだろう。
◇
東京エレクトロンホール宮城の中会議室に到着すると、そこには普段と違って就職活動や入学式で見かける服装に身を包んだ綾音さんや私服姿の学生数人が会場設営を手伝っていた。
壇上にはマイクと椅子が備え付けられていて、大会名を記した看板はまだ掛けられていなかった。
「あら、お二人とも早かったわね」
俺たちを見るなり、声をかけたのは綾音さんだった。
さすがに暑いからなのか、綾音さんはジャケットを脱いでブラウス一枚になっていた。
「午前十時集合でしたっけ」
「そうね。もう既に山本君も会場設営を手伝っているわよ」
すると、見覚えのある男子学生――というか、背が小さいから山本だと一発で分かる――が他大学の学生と一緒になって椅子を並べていた。
一人だと大変そうだな。よし、ここはひとつ……。
「山本、俺も手伝うよ」
山本に声を掛けると、「おう、頼むぜ」と声をかけてくれた。
あれ? 山本の顔、ちょっと眠たそうだな。
「山本、お前はばっちり眠れたのか」
「全然だよ。ちょっとだけゲームをしていたら同じ学部に居る知り合いから呼び出しを受けてな、Descordで通話しながらゲームしていたらつい寝不足になってしまったってわけよ」
「知り合いって、ひょっとしてTGGEに居る奴か?」
「ご名答」
TGGEは昨年出来たばかりのサークルで、部員数が十人いるかいないかのうちらとは違い、九十人近くと段違いの規模を誇っている。対外活動も活発で、企業のスポンサーもついている。
親父が居た頃はイベント系サークルが幅を利かせていたのに、今ではそれに代わってうちの大学ではボランティア活動の団体やe-Sports関係の団体が増えてきている。向こうのサークルは勧誘活動が活発で、何やら美少女の双子姉妹が入ったと聞いたことがあるけど……。
「それじゃあ、そういうお前はどうなんだよ? まさか堀江さんと……」
「そんなわけないだろ」
まぁ、確かに俺と佳織は部屋が隣同士でほぼ毎日夕食などを作りあったり勉強したりしているけど、男女の仲というほどではない。
彼女と初めて会ってからもう既に三ヶ月は過ぎているけど、今のままでも十分だと思っている。
そうなると佳織に彼氏ができても……。
「二人とも、なにをおしゃべりしているの? そんな暇があったら、会場の設営を手伝ってよ」
「は、はい!」
綾音さんの怒号が飛び交うと、俺と山本は中会議室と大会議室の机を折り畳む作業に取り掛かった。
三百人が座れるところをよく借りられたなぁ、ほんと。
◇
設営が終わると、俺たちのもとに本日のプログラムが渡された。
開会式の後のトップバッターは東北大学の一年生で、その次は福島大学と桜の聖母短期大学の一年生が続く。その次が山本で、題は『Three years working at a convenience store(コンビニで働いた三年間)』だ。
それからまた東北大学と福島大学、そして部員不足で大変だと聞いたことがある宮城学院大学の新入生を経て、ラスト前に俺の『Do not play with a man's emotions(男心を弄ぶことなかれ)』が来て、最後は佳織の『Goddess of victory(勝利の女神)』だ。山本は午前中に、そして俺たちは午後にそれぞれの出番を迎える。
ラス前に配置してくれるのはありがたいけど、一体このプログラムを考えた人はどういう考えをしたのだろうかと思うと気が気でない。これは俺の推察だが、最後のほうに俺のネガティブな話を聞かせた後でポジティブな話をぶつけたかったのだろう。というか、そうとしか考えられない。
そう考えているうちに開会式が終わって、他大学に通う学生たちのスピーチが始まった。
高校の三年間について語るものもあれば、俺と同じように複雑な社会情勢を身近な視点でとらえるものなど、実に様々だった。
スピーチが終わるとパラパラと拍手が上がり、そのたびごとに審査員として招かれている東北大学の講師がタブレット用のキーボードを打つ音が響き渡る。見た目からしてどちらも英語のネイティブスピーカーで、年齢は俺達よりもひと回り、下手したらふた回り上かもしれない。
女子短大生のスピーチが終わると、司会者が「Mr. Yamamoto, would you come up to the stage? (山本さん、登壇をお願いします)」との声がかかる。
「行ってくるぜ」と言わんばかりに目配せをして山本が登壇すると、演壇に原稿を置いて身振り手振りを交えながら少しずつ原稿を読み上げた。
「... Through my experience working part-time at a convenience store, I have learned to put myself in the store clerk's shoes and think about things from their point of view. (コンビニでのバイトの経験を通して、店員の気持ちになってモノを考えることができるようになりました)...」
山本ははじめてとは思えないほどに落ち着いた口調で、コンビニのバイトの大変さを語ってくれた。
挨拶に清掃などの基本的なことから品出し、レジ、そして店内調理までをこなさなければならず、短時間の仕事であっても気が抜けなかったそうだ。
俺と佳織、そして綾音さんはこないだも山本のスピーチを聞いていたせいもあって新鮮味がなかったが、周りにいるオーディエンスや審査員は感心しながら山本の話に耳を傾けていた。
やがて「Thank you for listening. (ご清聴ありがとうございました)」との挨拶とともに山本が降壇すると、会場からは拍手が沸き上がった。
スピーチが終わった後の山本の顔は満足げで、やれることはやったように思えた。
午後は俺と佳織、二人が大トリを務めることになる。その後はかくし芸だけど、俺が先になるのか、佳織が先になるのかわからないよ。
◇
お昼休みを経て、スピーチコンテストは午後の部へと突入した。
東北大生や福島大生などのスピーチを経て、いよいよ次は俺の番だ。
「うぅ……、久しぶりにスピーチするのか……」
何せスピーチをするのは、高校二年の秋だったか、冬の時だったか忘れたが、実に一年以上ぶりだ。
先に話した山本やこれから話すことになる佳織と違って、高校時代の嫌な思い出をあからさまに話すことになる。
会場に居る聴衆はもとより、東北大学の英語の講師陣にも聞かせることになるのかと思うと、今すぐ帰りたい気持ちに駆られてきた。
「でも、やるしかないのか……」
「そうだよ、終わったら私の話が待っているんだから心配しないで」
佳織から背中を押されるのは悪くないけれども、胸の谷間から見え隠れする衣装がちょっと気になる。
中に着込んでいるのは、どう見てもユニフォーム……だよな。
スピーチの内容といい、中に着込んでいるユニフォームといい、気になるところだ。
だけど、今は自分が話すことに集中しよう。
まずは落ち着いて深呼吸だ。
スー、ハー、スー、ハー……。
「That is for all I wanted to tell you. Thank you for your attention. (これで私のスピーチは終わりです。ご清聴ありがとうございました)」
壇上に居る女子学生が挨拶をすると、会場からは拍手が巻き起こった。
いよいよ次は俺の番だ。
「ほら、頑張って。ちゃんと見ているからね」
心配そうな表情の俺を見て、佳織が背中を押す。
これ以上は逃げられないな。
後は野となれ山となれだ。
「Next speech is Toru Kashima, freshman of Tohoku Gakuin University. (次のスピーチは東北学院大学の一年生、鹿島徹君です)」
司会をしている人が淡々とした口調で俺の名前とタイトルを読み上げると、「Would you come up to the stage? (登壇をお願いします)」との声がかかった。
会場からは拍手が巻き起こり、俺はゆっくりと、そして堂々と壇上に立った。
手にした原稿の一枚目をめくりあげ、俺は少しずつ、高校時代の恥ずかしい経験を英語で聴衆や東北大学の講師の方々に聞かせた。
<あとがき>
次回は佳織のスピーチと余興です。余興は力を入れております。
ぜひ明日をお見逃しなく!
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