16:綾音さんの秘密

「――そしてこないだその話をしたときに『いじめじゃない?』と言われて、確かにその通りだなと思って、今回のスピーチのお題にしました」


 俺はありのまますべてを語り終えると、ウェルカム・ディスカッションの時と同じようにどっと疲れて椅子に座り込んだ。


「初めて聞いたけど、とんでもない奴だな。親父のことは関係ないのに」

「父さんのことを盾にするなんて、最低だよ!」

「どうしようもない男ね、その中尾ってやつは」


 初めて俺の高校時代の話を聞いた山本はともかく、何度も俺の話を聞いて理解していた佳織に、いつも愁いを帯びた表情をしている綾音さんまでもが怒りを隠せなかった。特に綾音さんは、少しだけではあるが声が震えていた。

 その後で何をしたのか……と思ったら、メモに書いてあったな。

 俺は再びそちらに視線を移すや否や、佳織たちに話の続きをした。


「ええ。ただ、この話には続きがあります」

「一体どういうことなのかしら?」

「たまたま早く帰ってきた父さんにそのことを話したら、あろうことか父さんが中尾の親父に電話をしました。そうしたら翌日になって三人が謝罪して、それで一件落着と相成りました」


 子供の喧嘩に親が出るとはよく言ったもので、父さんがすぐに動いてくれたお陰でスピード解決を果たせた。

 しかし、この一件で俺は女性に対する不信感を募らせた。

 それがやがて童貞喪失のあの一件に繋がり、ついには女性に対して声をかけるどころか偏った見方をするようになる。

 ただ、それはまた別の話だ。


「なるほどね。それで、この話をどういう風な感じにまとめたいの?」


 綾音さんがそう聞いてくるのはあらかじめ予想しておいた通りだ。

 そこで俺は、大学の情報処理センターで印刷しておいた例の記事のスクラップを取り出して、先輩に渡した。


「それなんですけど、嘘の告白に関して警鐘を鳴らす記事を見つけました。自分の実例をうまく織り交ぜながら書いてみようかと思います」


 記事の中には嘘告白をする側には現実感覚が希薄であること、陰湿ないじめの一種であることなどが書かれていた。

 俺の場合は親にばらしたため早く解決したものの、ほかの子はそういかないだろうな。

 綾音さんはプリントアウトした記事に目を通し、俺の話していることに耳を傾けると「そうね、それでいいわ」と頷いた。


「よく頑張ったわね。感心したわ」


 いつもは愁いを帯びた表情をする綾音さんが俺に向けて自然な笑顔を見せてくれた。

 綾音さんが喜んでくれて、本当に良かった。

 スピーチのお題がすんなりまとまったのは、佳織のおかげだよ。


「……さて」

「?」


 すると、綾音さんは自分の左隣に座っている佳織に視線を移した。

 綾音さんの視線の先には佳織のたわわな胸が。

 よく見ると、佳織は暑いからなのか薄手のブラウスを着ていた。

 ブラウスからは黒のレースであしらわれたブラが透けて見えるじゃないか。


「こないだ私の胸を揉みしだいた佳織ちゃん、あなたの意見を聞かせてくれるかしら?」

「わ、私ですか?」

「そう、あなた以外に誰が居るのよ。かなり大胆なことをするものね」

「綾音さん、それは忘れてください!」


 あの時は長谷川さんから「今が楽しければそれでいい」と励ましてくれたけど、その裏で佳織が綾音さんの胸を触っていたことはちゃんと耳に入っていただけではなく、目にしていた。

 佳織の手つきがちょっとだけ手慣れていたってことは、高校時代にしょっちゅう胸を揉まれていて、そのたびごとにお返しで胸を触っていたということなのだろうか。


「スピーチにするようアドバイスした私が言うのもなんですが、いいと思いますよ。綾音さん、ウェルカム・ディスカッションの後の打ち上げで『ウソ告はいじめの一種よ』って話していたじゃないですか」

「私?」

「そうですよ。よく思い出してくださいな」

「そ、そうね。そんなこと言ったかな? あの時は佳織ちゃんの胸に目がつい行ったから……」

「そのことは忘れてください!」

「まぁ、確かに言ったわね。私も中学校時代に似たような経験があってね、ウソ告するよう頼まれたことがあったの」

「それで、どうなりました?」

「もちろん断ったわ。そうしたら、頼んできた奴が私のことを仲間外れにしようと目論んだのよ。それで先生に話したら、見事にそいつはお説教を食らって反省文を書かされたわ」


 綾音さんは部室から窓の外を見ると、中学校の頃の甘酸っぱい青春の一ページを振り返っていた。

 あと一歩で嘘の告白を仕掛ける側になっていたのか。

 仲間外れにされることを覚悟して決断した綾音さんは強い人だ。

 それにしても、俺の周りにいる女の人は心が強い人たちばかりだな。

 恋に破れるも、勉強と部活を両立させ、見事に推薦を取った佳織。

 いじめに加担させられる一歩手前で踏みとどまり、仲間外れにされることを覚悟のうえで相手に強く出た綾音さん。

 隣の部屋に居る佳織にはご飯を一緒に作ったり、勉強したり、部活のことで相談に乗ったりと、一緒にいる時間が長い。

 綾音さんはサークル活動でしか一緒になる機会はないにせよ、ちょっと頼れるお姉さんって感じがする。

 ただ、それも酒を飲んでいなければ、の話だ。飲んだら笑い上戸で誰彼構わず絡んでくる。

 俺も気をつけないと。お酒は程々に!


「……綾音さん、どうしましたか?」

「ん? ごめんね、佳織ちゃん。ちょっとだけ物思いにふけっていたわね。それで、話はなんだったっけ」


 佳織が声をかけると、綾音さんはふと我に返ったかのように辺りを見回した。

 そこで、ちょっとだけスマホを弄っていた山本が「高橋先輩」と声をかけると、綾音さんが口を真一文字にしてから目をとがらせて山本のほうを振り向いた。


「山本君」

「は、はい」

「私のことは綾音さんと呼ぶようにって何度も言ったじゃない」

「す、すみませんでした! 鹿島のスピーチのお題について、ですね」

「そうね。山本君はどうかな?」

「俺も……」


 そう話すと、佳織と綾音さんを見回しては「いいと思いますよ。俺は身長が小さいって何度も馬鹿にされたから……」と答えた。

 山本の身長は佳織や綾音さんに比べてもちょっと小さいか同じくらいだけど、俺はそんなに気にしていない。

 高校時代に軽音楽部でバンドをやっていた同級生が居て、そいつは見た目や身長は山本とそっくりそのままだった。

 だけど、ライブになると格好いいところを見せて男女問わず人気だった。

 人は見た目以上に何をやったか、それに尽きる。

 そう思えるのは、高校時代にスピーチコンテストやディベート大会に出て、様々な人間と渡り歩いてきたからこそだ。

 英語部に居る女性に対しては「俺に近づくな」オーラを出しまくったのは申し訳ないけど、それはそれで。


「それじゃあ、決まりね。山本君はコンビニでのアルバイト、佳織ちゃんはチアリーディングチームでの活躍、そして徹君は高校時代のいじめのことでスピーチを書くってことで」

「異議なし!」

「問題ありません」

「異議なし」

「原稿の締め切りは今月中旬で、出来たらみんなで一度披露しましょう。そして本番は七月の最初の日曜日ね。みんな、期待しているわ」


 綾音さんがタブレットPCを閉じると、俺たちはめいめいの荷物を片付けて、部室の後始末を始めた。

 地元民である佳織に何度も注意されながら片付けてから、俺たち四人は部室棟を後にした。

 ゴミのルールは場所によって変わるんだな、ほんと。


 ◇


「ふ~、大変だったよ」

「そうだね。まぁ、お互いのテーマが決まったからいいんじゃない?」


 自分の部屋に戻ると、いつものように佳織が押しかけてきた。

 そうなるとやることはひとつ、近所にある生協で買い物をしてから夕食の用意だ。

 生協の会員になったおかげで、安くておいしい食品を買えるようになった。

 引っ越しの日に孤独のオーラを脱いでよかったよ。おかげで食生活は大満足だよ。

 キッチンでは佳織がIHクッキングヒーターを使って何かを作っていて、俺はテーブルを拭くと箸やスプーンを添えるなどして、いつでも準備できるよう体制を整えている。


「今日のメニューは?」

「新じゃがなどを入れたクリームシチューだよ。ニンジン、玉ねぎ、アスパラガスに豚肉を入れているからね」

「いつものレシピアプリから?」

「そうだね」


 シチューとなると秋から冬のイメージがあるけれども、こうして季節の野菜を入れると途端に食べてみたいなぁと思うのが不思議なところだ。

 俺も佳織に勧められてアプリを入れてから、少しずつ料理のレパートリーを増やすようにしている。

 朝食に関しては一通り作れるようになったから、今後は夕食を作れるようにしたいな。


「トオル君、出来たよ」


 キッチンから佳織の声が聞こえると、俺は佳織と一緒になって盛り付けをしてからリビングで一緒に夕飯をいただく。


「これからは夏野菜の季節になるね」

「そうだね。ナスを入れたカレーもよさそうだし、ナスの炒め物もあるし、いろいろだね」

「秋茄子は嫁に食わすなっていうじゃないか。体が冷えるからダメだって」

「ちょっとそれは気が早いんじゃない? 今日から六月だし」

「それもそうか」


 俺はテーブルにある目覚まし時計をチラっと見た。

 今日から衣替えとはいえ、まだまだ長袖の人もいたからな。

 暦の上での夏は今日からだし、夏野菜が出回るのはもうちょっと先になりそうだ。


「今日はご飯を食べたらどうする?」

「そうだね~、今日からスピーチの原稿を書いちゃおうか。それに、スピーチの後に披露するかくし芸の練習もしないと」

「それもあったな」


 父さんがスピーチ大会に出たときは、別の学部に居た二人と一緒になってコントをやっていたことを聞いたことがあるな。

 父さんは「コントを演じる側じゃなかったよ」と苦笑いを浮かべていたけれども、やけに父さんが楽しそうに話していたことだけは記憶にある。

 みんなに喜んでもらえるものって、何がいいのかな……。


「何か思い浮かばないの?」


 食事をしながら考え込む俺を見て、佳織が俺のことを不安そうに見つめていた。


「うん。祖父ちゃんの趣味で落語を聞いたことがあるけど、だいぶ忘れちゃっているんだよね。テレビはあまり見ないし。そういう佳織は?」

「私? 私は久しぶりにチアダンスを披露してみようかなぁって思うんだけど、どうかな」


 チアダンスか……。うちの学校にはダンス部があり、そこに居る女子生徒が文化祭の時にチアダンスを披露したことがあったなぁ。それに、二年生の時の体育祭ではダンス部が応援合戦で張り切っていたこともあったなぁ。


「おーい、何ぼーっとしているの?」

「あ、ごめん。ちょっと高校時代のことを思い出していたよ」


 佳織に呼び掛けられると、俺はふと我に返った。

 高校の頃となると女絡みのことばかり思い浮かぶけど、そればかりではない。

 部活動で頑張った事もあれば、体育祭でドジをしたこともある。

 恋愛面では大変なことばかりだったけど、それなりに充実した三年間だった。

 そう考えられるようになったのも佳織や綾音さん達と一緒に居て、前向きに考えられるようになったからだ。


「さっきのことなんだけど、どうかな」

「いいんじゃないか。高校時代にやっていたことを披露するのは」

「ホント? そう言ってくれると嬉しいよ」


 佳織はそう話すと手を合わせて、ぱあっと明るい笑顔を見せてくれた。


「よーし、それじゃあ久しぶりに頑張ってみようかな」

「いいんじゃないかとは言ったけど、無茶はするなよ」

「そこは心得ているからね。それに、綾音さんにも協力してもらおうかな」

「おいおい、綾音さんってバスケやっていたんだろ? 無茶もいいところだぞ」

「綾音さん、ああ見えて高校野球の応援もやっていたんだよ。知らなかったの?」


 え? マジか?


「知らなかったよ。いつ教えてもらったんだ」

「ついこないだ、LEINで写真を送ってもらったんだ。見てみる?」

「うん」


 佳織はそう話すと、スマホを操作して俺にその写真を見せた。

 写真の中に居る綾音さんはいつもと変わらない髪型をしているのにもかかわらず、髪の毛を束ねるリボンはスカイブルーと白のツートンカラーで。

 上着はスカイブルーの上に白のストライプが何本も入り混じり、ストライプの上には学校名がアルファベットで描かれていて。

 スカートは全面スカイブルーで、裾の付近には白のストライプがあしらわれていた。

 箱ヒダからはアクセントとして白い布が見え隠れしていて、その奥には眩しい太ももがちらりと見えていた。

 佳織がチアをやっていた時の写真が残っていたとしたら、こういう感じなのかな想像したりもした。


「これっていつのものだったかな」

「今から二年前って話していたよ」


 二年前というと、俺たちが高校二年生の頃か。

 二年生となると、修学旅行で俺の童貞を奪った清水に付きまとわれる日々を過ごしていたことしか記憶にない。

 陽キャ連中はあっという間に彼女を作った一方で、俺は文化部で活動しているということも相まって清水に最後まで付きまとわれた。

 俺に構うなと言っても「トオルともう一度したいのよ」とかたくなに俺から離れようとしなかったからな、あいつは。一体どういう神経をしているのだろうか。

 ……って、せっかく高校時代の良かったことを思い出していたのに、また悪いことを思い出してしまったよ。


「どうかしたの?」


 佳織が心配そうに俺の顔を見ていた。


「いや、別に」

「何か隠してない? ひょっとして、修学旅行の時に押し倒された子のこと?」

「そ、そのことはどうだっていいだろ! それより、早くしないと勉強時間が無くなっちゃうぞ」


 俺はそう言うと、佳織が作ってくれた春野菜のシチューを急いで口の中に入れようとした。


「あ、ちょっと待ってよ! 急いで食べちゃダメだよ!」


 佳織は呆れ顔をして急いで食べようとする俺を止めてくれた。あと一歩でむせるところだったよ。

 それにしても、綾音さんがチアリーダーをやっていたなんて意外だったな。

 綾音さんと佳織が一緒になってチアダンスをやったら、一体どんなことになるのだろうか。

 見てみたいけど、果たして実現できるのかな……。


<あとがき>

 綾音さんの出身高校に関しては、こないだの日記に書いた通りです。

 ちなみに、仙台市の南部地域(若林区と太白区)の公立高校には応援団が常設されている高校が少ないです……。

 (前作は無理やりねじ込んだ感じです)

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