第11話 契約
何か変な夢を見たような記憶がうっすらあるものの、その程度はよくある話。一平太はいつも通り留美と朝食を摂り、マンションの前から留美を幼稚園のバスに乗せて、自分もいつも通り仕事の集合場所へと向かった。そこからマイクロバスに拾ってもらい、現場に出勤するのだ。
だがこの朝はいつも通りに行かなかった。
「おはようございます、根木さん。ちょっとよろしいですか」
途中の道に内閣情報調査室の中ノ郷が待っていたからだ。
「根木さんの会社の方には当分休む
南港へと走る車の中で、中ノ郷はそう言った。突然のことに言葉も出ない助手席の一平太を横目に、中ノ郷は話を続ける。
「昨日申し上げたサンリーハムでバックホーの先生をしていただく話ですが、こちらの世界にも竜が出現したことで話が一気に何段も前倒しになりましてね、可能な限り早急に、できることなら今日からでも始めてほしいということでして」
「こっちの都合とか気持ちとか無視ですか」
怒りと困惑を向ける一平太に、中ノ郷はうなずいた。
「結論だけを申し上げるなら、まさにその通りです。しかし現実問題としてどうでしょう、あなたにこの要請を
そう、収入の問題だけではない。一平太は留美を護らねばならないのだ。そのためなら我が身をも投げ出す覚悟はある。竜の出現を止める方法が一平太の手にない以上、サンリーハムでバックホーの教官をすることは、回り回って留美を護ることにつながるだろう。と、理屈ではわかるのだが、なかなかハイそうですかと納得はできないものだ。
そうこうしている間に車は南港に着いた。フェリーターミナルの隣にチョコンと仮設されたサンリーハム行きの船着き場には、カプセル型の小さな船が停泊している。一平太はちょっと不安になった。
「え、こんな小さい船で行くんですか」
中ノ郷は小さく口元を上げてうなずく。
「こんなに小さく見えても立派な水中翼船ですよ。サンリーハムは観光客を受け入れてる訳ではありませんしね、連絡用の船としてはこの程度で十分です」
側面から縦に開いた乗り込み口より船の中に入れば、座席は六つしかなかった。だが乗るのは一平太と中ノ郷の二人だけ。貸し切り状態で船はエンジンをかけ、岸壁を離れる。港湾部を進みスピードが上がると、水面からの船の高さも上がった。
船と呼ぶには似つかわしくないほどの速度で海を走り、巨大なサンリーハムの城塞が近づけばその外周に沿って進む。サンリーハムの船着き場は北側にしかないのだ。外周を四分の一ほど回った水中翼船は、速度を落として高さを下げ、静かに船着き場に到着した。
船着き場に降りた一平太は、先に降りた中ノ郷の先導で、周囲に居るサンリーハムの人々の好奇の視線にさらされながら進んで行く。どうやら街に入るらしい。
急ぎ足でどんどん歩く中ノ郷の背に、一平太は声をかけた。
「どこ行くんです中ノ郷さん、そろそろ教えてくださいよ」
すると、中ノ郷は不意に立ち止まった。左側を見つめている。追いついた一平太が隣に並び、同じく左側に目を向けると、建物の間を抜けて広場が見えた。そこには六~七トンクラスのバックホーが二台あり、自衛隊員らしき二人が基本操作を教えているようだった。
「何や、先生おるやないですか」
自衛隊が教えてくれるのなら、何も自分が先生役をやる必要もない。そう言いたげな一平太に、中ノ郷は目を閉じて首を振った。
「それが残念ながら、ダメなのです」
「えっ、何がアカンのですか」
「このサンリーハムでは生まれた子供が十歳になれば、精霊と契約をするのですよ。そうして魔力を得る訳なのですが、自衛隊員は精霊と契約しておりません。それはここの人々からは子供にも満たない、人間として独り立ちしていない半人前の存在と見えるのです。そんな人間が何を教えたところで、言うことを聞くはずもないでしょう」
それを聞いて、一平太の心に嫌な予感が浮かび上がる。
「あの……もしかして、俺に精霊と契約させたろとか思ってます?」
「ここで先生をするのなら必要ですからね」
「いやあ、それはちょっと」
「怖いですか」
「そら怖いでしょうが、普通に。あんた他人事やから余裕ありますけど」
「ではもうこの先、竜が出ても戦わないと。精霊の加護なしに戦っても、あなた死ぬだけですよ」
「それ、は」
最初の竜と戦ったとき、精霊リュッテの加護がなければ一平太は死んでいたかも知れない。昨日のことだって、ゼバーマンが居てくれなかったら一平太一人では勝てなかっただろう。竜の脅威から留美を護るのであれば、一平太自身がいまより大きな力を得る必要があるのは紛れもない事実である。それがわかるだけに、中ノ郷の言葉に言い返せない。
「という訳ですので、先を急ぎましょうか」
中ノ郷はまたどんどん前を歩き出した。一平太には後をついて行くしかない。
もう少しおどろおどろしい場所だと思っていた。
子供に精霊と契約させる『精霊士』の祠らしいのだが、イメージとしては駄菓子屋が近い。子供が喜びそうな飴や菓子が入ったショーケースっぽい低い棚が並ぶ入り口を通り過ぎて奥に入れば、野良着にも見える服を着た腰の曲がった老婆が椅子に座っている。
中ノ郷が一平太を連れてきた旨を伝えると、老婆はやれやれと立ち上がり、一平太をジロリと見つめる。
「こりゃまたとうの立った契り子だね。合う精霊が見つかればいいんだけど」
そう言って椅子を片隅に寄せ、祠のさらに奥に一平太と中ノ郷を誘った。
カーテンのように大きな布が垂れ下がった向こうは闇の世界。少し先にロウソクが一本だけ立っている。老婆は言った。
「まずはこのロウソクをしばらく見つめるんだ。そうすりゃ、おまえさんの魔法特性が浮かび上がる。ま、そんなもんがあればの話だがね」
言われたままにロウソクを見つめた一平太だが、三十秒ほど経ったろうか、老婆は一平太の肩を叩き、振り返った一平太の目を見つめてため息をついた。
「こりゃダメだ。火の魔法も風の魔法も光の魔法も水の魔法も使えない。回復術も飛行術も無理だ。どんな精霊と契約させたところで、あっという間に命を食い尽くされて終わりさ。悪いことは言わない、契約なんて考えずに長生きする方を選ぶんだね」
これに中ノ郷が食い下がる。
「そこを何とか、適正のある精霊を見つけていただけませんか」
「だからないって言ってんだろ、しつこいね」
ああ、俺に合う精霊はないのんか。ちょっと残念な気もしたが、一平太は正直ホッとしていた。中ノ郷の言い分もわかるが、やはり怖いものは怖いのだ。自分はできる範囲で世の中に貢献しよう、一平太がそう思ったときだ。
その口が、勝手に動いた。
「シャラレド」
これに老婆は激しく反応した。
「何だって!」
自分の発した言葉に驚いた一平太は、老婆に詰め寄られても何が何やらわからない。
「い、いやシャラレドはどうなんやろうか、って、思ってその」
「何でおまえがシャラレドの名前を知ってるんだ!」
「さ、さあ何ででしょう」
老婆は怒りを込めたような目で一平太の目を改めてにらみつけると、右側の暗い壁を何やらまさぐりだした。隠し扉があるようだ。老婆がその中から取り出したのは、小さな三頭身くらいの子供の人形。何故だろう、一平太には見覚えがあるような気がした。
「これを持ってみな」
言われた通り一平太は人形を受け取った。老婆は言う。
「気分は」
「え、気分?」
「気持ちが悪いとか、吐き気がするとか、どこか痛いとか痒いとかないかって聞いてるんだよ」
「いや、別に何もないですけど」
老婆はまたしばらく一平太を見つめると、こんな事を言い出した。
「シャラレドってのは精霊の名前だ。どんな精霊か知りたいだろう。教えてやるよ。シャラレドの別名は『使い道のない精霊』だ」
「使い道が、ない?」
「シャラレドの与える加護は『道具の強化』。契約主の望むままにその道具を頑丈にする。一見役に立ちそうに思うだろ? だけど冷静に考えてご覧。たとえば大工がシャラレドと契約したとする。道具は強化されるから壊れない。確かにその点は便利だ」
壊れない道具は経済的だし、便利なのは間違いないはずだ。なのに老婆は首を振る。
「だが、腕が上がる訳じゃない。技術も速さもいままで通り、ただ道具だけが頑丈になるのさ。だから木を切るノコギリで岩を切れるようになったり、ただの釘を鉄板に打ち込めるようにはなったりするけど、そのために必要な腕力や体力は保証してくれない。岩を切るノコギリを持ってるだけじゃ、岩を切る仕事を任せてくれる者はいない。ノコギリに岩は切れても、その持ち主に木を切る技術しかないのなら、結局木が切れるだけだ。つまりシャラレドの与える加護には使い道が何もないんだよ」
悲しいまでの全否定。しかし、それを聞く一平太の目には興味の灯火が輝いていた。壊れない道具。つまり壊れないバックホー。それがもし本当なら。
老婆は続ける。
「シャラレドは使い道はないが、その力自体は強大だ。何も考えずに加護を受ければ、ゴリゴリ命を削って行く。よほどの才能がないと使いこなせない暴れ馬さね。やめときな。死に急ぐことになるだけだよ」
「……いや、シャラレドでええわ」
この一平太の言葉に、老婆は目をむいた。
「おまえ人の話を聞いてなかったのかい」
「聞いてたよ。聞いてたけど、俺にいま一番必要な精霊は、たぶんこのシャラレドやと思う。お願いします、俺にシャラレドと契約させてください」
老婆はしばらく呆気に取られていたが、中ノ郷に「いいのかい」とたずねた。無言でうなずく中ノ郷に非難めいた視線を送った後、やれやれ仕方ないとばかりにため息をつく。
「だったらその人形をしっかり抱きしめな」
人形を抱きしめる一平太に老婆は額、胸、腹の順で指をさして行く。
「天空と海洋と大地の三界の精霊王にかしこみかしこみ申す。いまここに精霊シャラレドと聖なる契りを結びたまわんと願いし者あり。三界の精霊王の御力とその輝かしき名の下に、この願い叶えられんことを切に切に願うものなり。ラー・シッドリード・ラーター」
その瞬間、一平太の抱きしめる人形の中から無数の光条が奔り出たかと思うと、それらは繭のように一平太を包み込み、やがてその体内に消えて行った。
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