第5話 仮契約

「助けてほしいかい」


 一平太は思わず周囲を見回したが誰もいない。


「な、何や。誰や」


 しかし謎の声は冷静にツッコんで来る。


「キョロキョロしてる余裕あるのかな。あの化け物が君に襲いかかるのは、もう避けられない事実だよ」


 一平太は正面に視線を戻した。怪獣はこちらを見つめている。いつ飛びかかってきてもおかしくはないと思えた。


 謎の声は言う。


「もう一度訊くよ、助けてほしいかい」


「そら、まあ、助けてくれるんやったら有り難いけど」


「じゃあ特別に僕が一回だけ仮契約をしてあげよう」


「仮契約?」


「しばらくの間、君は精霊の加護を得る。その間、君はこの機械の天才操縦士となり、同時にこの機械は聖なる武器となるんだ」


 怪獣は口を開け、背中の翼を開いた。一平太の焦りも最高潮となる。


「わかった! もう説明はええから助けてくれ!」


「言質は取ったよ。もっとも本来なら契約の報酬を君からもらうはずなんだが、報酬は先払いですでにもらっているからね、君からはもらわない。それでは契約に基づき、天空と海洋と大地の三界の精霊王に代わって、この精霊リュッテが君に聖なる力を与えよう。それに見合った正しい働きを期待する」


 その言葉が終わると同時に、一平太の全身は白く輝く霧に包まれた、かと思うとそれが一瞬で一平太の体の中に吸い込まれる。


 精霊リュッテの声は言う。


「さあ、これで君は一時的に聖なる加護を得た戦士だ。あの怪物をやっつけてしまえ!」


「いや、そんなん言われてもどうしたら!」


 まるでそんな一平太に返事をするように、怪獣は大口を開いて襲いかかってきた。


「うわああーっ!」


 そのとき自分が何をしたのか、一平太は覚えていない。ただ、体は凄く軽かった。そして、バックホーの動きが信じられないくらいの速さだった。気が付けばバックホーはブーム(上腕部)とアーム(前腕部)との間に、怪獣の首を挟んで捕らえていた。


 口から血の泡を噴いて、怪獣は苦悶に満ちた声を上げる。一平太の耳には精霊リュッテの声が聞こえた。


「このまま首の骨を折ってしまえ」


「え、首の骨をか」


「おやおや、ここに来て情けが湧いてきたのかな。でもよく考えるんだ。君がコイツを殺さないと、君の大事な人が食い殺されるんだよ。それでいいのかい」


 一平太の脳裏には留美の笑顔が浮かんでいた。腹をくくる、しかないか。小さくため息をついてうなずくと、右側のレバーを操作した。アームとブームの間は狭くなり、そしてゴキッと首から音がして怪獣は動きを止めた。


「おめでとう! これで君も今日から竜殺しの英雄だ。胸を張りたまえ。あ、そうそう、そこに寝転がっている白い髪の女の子だけど、放っといたら死ぬから、良ければ治療施設にでも収容してやってくれないかな。これだけの力を与えたんだ、その程度の見返りはいいだろう」


 少女……というほど幼くもないし変わった格好はしているが、よく見れば全身ボロボロになっている。もしかしてあの怪獣と戦ったのだろうか。この幼稚園を守るために。留美を守ってくれたのかも知れない。ならば。


 そのとき、一平太の背後から聞こえてきた声。


「一平太ちゃん!」


 幼稚園の園舎の中から留美が飛び出してきて、一平太の足にしがみつく。


「一平太ちゃん! 一平太ちゃん! 一平太ちゃん!」


 一平太はしゃがみ込むと留美と向かい合い、笑顔で抱きしめた。


「大丈夫やぞ。怪獣はもうやっつけたから、もう何も怖いことないから」


 それを聞いて安心したのだろうか、留美は大声を上げて泣き始めた。一平太は留美を抱えて立ち上がり、園舎の中に居る先生たちに声をかけた。


「すんません、救急車呼んでもらえますか。ケガ人がおるもんで」


 だがそれを止める声があった。


「いや、救急車はもうすでに私が呼んでおりますので、先生方は子供たちのケアに尽力してください」


 いつの間にそこにいたのだろう、中年の、しょぼくれたスーツの男。男は値踏みをするように一平太をジロジロと見回すと、上着の胸ポケットから名刺を一枚取り出した。


「内閣情報調査室の中ノ郷と申します。お名前を聞かせていただけますか」


「……根木一平太ですけど」


「そうですか。では根木さん、今後政府の方から緊急で呼び出しがかかることが何度かあろうかと思いますが、どうぞその際、ご協力いただけますようお願い致します」


「政府? 何で政府が」


「今回あなたがやったのは、それくらいこの日本という国家にとって重要なことだったのですよ、いろんな意味でね」


 中ノ郷はそう言うと、口元に小さく、哀れむような笑みを浮かべた。



◇ ◇ ◇



 上空に浮かぶ魔法王国サンリーハムでは、摂政サーマインが玉座に座るリリア王の隣に立ち、魔導大臣を呼びつけていた。


「魔導大臣リューカーオン殿、調査結果を女王陛下にご説明なさい」


 痩せこけたフード姿のリューカーオンは、リリア王の前に進み出ると一礼し、こう述べた。


「千里眼部隊の探索によれば、レオミス剣士団長は重い傷を負っている模様ではありますが、現在地上の治療施設に収容されて、命に別状はないのでは、とのことです。回復術師が送り込めればなお良いのですが」


「それで。一緒に落ちた大型歩兵竜はどうなりました」


 サーマインの問いに、リューカーオンは再び頭を下げる。


「はい、こちらはすでに打倒され、絶命しております。どうやら地上の者たちが解剖し、分析しようとしている模様ではあります」


「ふむ……よろしい、情報収集は今後も継続してください。では次に天文地形大臣アートラ殿、これへ」


 次に出て来たのは恰幅の良い赤髪の男。サーマインは一礼したアートラにこうたずねる。


「非常に困惑すべき事実があるようですね。リリア王にご説明ください」


 アートラは非常に疲れた顔で話し始めた。


「まず、太陽には黄道という通るべき通路が天空にございます。これは季節によって変わるのですが、ここに来てからの太陽の角度といい移動する速さといい、従来サンリーハムで観測されていたものとまったく違うのです」


 ここでサーマインが口を挟む。


「観測場所が移動したからではないのですか」


「それはもちろん考えました。しかし世界のどこに行こうが、同じ太陽を観測している以上、同じ計算式は使えるはずです。なのに、ここの太陽には計算式が当てはまらないのです。まったく、これっぽっちも」


 サーマインも、そしてリリア王も興味深く見つめている。アートラは一度コホンと咳払いし、話を続けた。


「さらに、このサンリーハムの下に広がっている巨大な街の地形が問題です。サンリーハムにあるあらゆる地形情報を探してみても、このような地形の場所は、どんな国にもありません。リューカーオン殿からいただいた地上の文化情報と照らし合わせてみた結果、まったく未知の文明を持った、まったく未知の国家という結論になります。我々の世界に、こんな国家は存在しないのです」


 眉間に皺を寄せたサーマインが言葉の続きを促す。


「それはつまり、いったい何がどうなっていると言いたいのですか」


 アートラは言う。


「まったくもって考えづらいことなのですが、いまこのサンリーハムの城塞は、我らの世界ではない、異世界の上空に浮かんでいるとしか思えません」


「異世界ですと。そんな馬鹿な。隠れ里のおとぎ話でもあるまいに」


 サーマインの反応は、いたって常識的なものだったろう。しかしリューカーオンとアートラの二人の大臣には、他に答えようがないのである。


 困惑したサーマインは、女王の判断を仰ぐことにした。


「女王陛下は何かご意見がございますか」


 するとしばらく考えて、十二歳の女王リリアはこう口にした。


「下界の王宮に親善使節を送ることはできないのでしょうか」


 これにリューカーオンが一歩前に出る。


「お恐れながら陛下、地上の人間に対する情報がまだ少なすぎます。我らと対話不能な蛮族であった場合、さらなる混乱を呼び寄せることにもなりましょう。もう少し慎重に様子を見てはいかがかと」


「それではレオミスを見殺しにすると申すのか」


 女王にこう言われてしまっては、もう反論もできない。


 リリア王は言った。


「外務大臣ケネットに命じます。ただちに親善使節団の人選を行い、こちらに害意のないことを下界の王に伝えなさい」


 外務大臣ケネットは一歩前に進み、深々と礼をした。


「ははっ、ご命令とあらば」


 と、そこに玉座の間の守衛が上げる声が聞こえた。


「国防大臣サヘエ・サヘエ様、ご到着にございます」


 人間三人分はあろうかという背の高い大きな扉が開き、サヘエ・サヘエが玉座の間に入って来た。そして女王リリアの正面に立つと一礼する。


「ご報告に上がりました。城塞内に攻め込んだ歩兵竜は全頭一掃されましてございます」


 玉座の間におお、と安堵のため息が広がる。


 それが消えるのを待たず、外務大臣ケネットはサヘエ・サヘエの前に歩み寄った。


「お疲れのところ大変に申し訳ないが、サヘエ・サヘエ殿にもご参加いただけまいか、下界への親善使節に」


「親善使節、ですと」


 サヘエ・サヘエの豊かな白い口ひげが困惑に歪んだ。

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