第233話 アイくんって誰?
「遠野さん、アイくんって?」
美咲が冷静にひかりに問いかける。
教官ズの三人は、何が起こっているのかが理解できないまま、事の成り行きを見守っていた。
「えーと……マリエちゃんにも来てもらっていいですか?」
「ええ、いいけど……」
美咲の返事を聞くとひかりはぴょんと立ち上がり、職員室の扉へと向かう。ガラガラと引き戸を開き、廊下にひょいと顔を出した。
「マリエちゃん、来て」
マリエは小さくうなづくと、ひかりを追って職員室の扉へ向かう。
「ボクは?」
「両津くんはそこに座ってなさい、ハウス!」
「わん!」
両津は座ったまま気をつけの姿勢になった。
「マリエ・フランデレン、ひかりとウサしゃんが大好きな17歳でしゅ」
「マリエちゃん、大好きって恥ずかしいよぉ」
ひかりの頬にポッと赤みがさした。
「マリエって、あんなしゃべり方でしたっけ?」
南郷が小声で、隣の久慈に問いかけた。
「いえ、遠野さんと仲良くなってから、どんどん遠野さんに似てきているんです」
久慈も小声で返す。
「まあ、仲良しなのはいいことですけどね」
陸奥は少し微笑まし気にそう言った。
「そりゃあそうや」
教官ズの3人は、マリエの出自やこれまでの人生をよく知っている。アムステルダムではほとんど他人と会話をしようとしなかったことも。
「マリエちゃん、山下先生をよく見て」
ひかりの言葉に、マリエは美咲をじっと見つめた。
「あれ?」
マリエは不思議そうな表情をひかりに向ける。
「そうなの、私もびっくりしちゃったの」
「遠野さん、マリエさん、何にそんなに驚いてるの?」
ひかりとマリエが再び美咲に視線を戻した。
「何て言ったらいいのか……えーとえーと……マリエちゃん、どう言えばいいかな?」
「オーバーラップ」
それだ!
オーバーラップは、奈央が教えてくれた映画用語だ。映画やテレビで、一つの画面が消えないうちに次の画面を薄く映し出し、次第にその画面を濃くして画面を転換する技法のことである。ひと言で言えば「二重写し」で、ディゾルブやクロスフェードと呼ばれることもある。
「薄くてハッキリとは見えないんですけど、山下先生にダブって別の人が見えるような気が……」
「私も」
ひかりとマリエが、お互いを見ながらうなづいた。
「その人が、アイくん?」
美咲の質問に、ひかりは首をかしげた。
「それは分からないんですけど、その名前が頭に浮かんだので多分そうかなぁって」
「私も」
「マリエさんも、アイくんの名前が浮かんだの?」
「うん」
これは一体どういう事態なのか?
陸奥、南郷、久慈の三人は混乱していた。
だが美咲には、あまり大きな驚きは無いように見える。
「みなさん、ちょっと待っていてくださいね」
美咲はそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。
職員室に沈黙が訪れる。
美咲をじっと見守る教官ズの三人。
「ねぇマリエちゃん、山下先生を待つ間、シリトリしよっか?」
「うん、それがいい」
二人は楽しそうに微笑み合う。
いやいや、そんなことしてる場合か?!
教官ズのそんな思いとは裏腹に、ひかりとマリエはシリトリを始めた。
「アイくん、今の見てたでしょ、どう思う?」
美咲は、自身の脳内に構築されているインナースペースでアイと会話していた。
この場所は、長年慣れ親しんだ惑星調査船サンファン号の美咲の個室だ。副長という士官に相応しい広さと、美咲のサッパリとした性格がよく分かる簡素な装飾の部屋である。美咲が座るテーブルには、ソーサーに乗ったティーカップ。中身はもちろんホットのアールグレイだ。茶葉はダージリン。柑橘系の刺激的な香りが、美咲の鼻腔の奥をくすぐる。相変わらずアイくんの紅茶は絶品なのである。
「面白いですね。このタイミングで僕の前に現われるなんて」
アイはいつものようにこの部屋のAIコンピュータ、のフリをした音声だ。
「地球の歴史を紐解くと、彼女たちのような能力を持った人間が、結構存在していたことが分かります」
「いいこと?」
美咲の問いに、アイの声色がパッと明るくなる。
「もちろんです!」
「じゃあねぇ……河童!」
「ぱ、ぱ、ぱ……パン!」
「マリエちゃんダメだよ、最後に『ん』が付いたら負けだよ」
「それじゃあ……パン屋さん」
「また『ん』で終わったよ、マリエちゃん」
「あれれ」
そして楽しそうに笑い合う二人。
緊迫した状況だと言うのに、教官ズの三人も思わず吹き出してしまった。
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