第227話 退院祝い
「三田センセ」
「はぁ?」
大輔は、恵美の呼びかけに思い切り間の抜けた声を出してしまった。
「ちょっとソワソワしすぎですよ」
「いや、そんなことないって。落ち着いてるって」
今日は山下美咲の退院日だ。ずっと診てきた患者が元気になって病院を出るのは、医師にとってこれほど嬉しいことはない。そう恵美にそそのかされた大輔は、病院一階の玄関ホールで美咲を待っていた。もちろん、お見送りである。
「先生の代わりに花束買ってきてあげたんだから、ちゃんと渡してくださいね」
大輔の手には小さな花束が握られていた。
黄色やオレンジ系などの明るく優しい色合いを中心にまとめられている。
病院では花について、不文律的タブーが結構多い。例えば香りが強い花は、お見舞いや退院祝いには不向きとされている。 ユリ、ストック、スイセン、フリージアなどだ。また不幸を連想させる花、キク、ツバキ、ユリ、シクラメンなどもNGだ。赤色の花も避けたほうが無難で、特に手術前の患者には血を連想させる赤い花は嫌われてタブー視されている。またドライフラワーは、風水などで「枯れた花」「死んだ花」とみなされるため、避けたほうが良い。だが安心してほしい。ベッド数の多い病院の場合、大抵近くに花屋が店を構えていることが多い。そこで購入時に目的を告げれば、ちゃんとした組み合わせを作ってくれるはずだ。ちなみに国連宇宙軍総合病院の一階ロビーにも、大手の花屋チェーンの店舗が入っている。今回恵美は、そこで花束をアレンジしてもらったのだ。
「でも、どうして俺たちが見送りに?」
「何トボケてるんですか? 先生が惚れっぽいこと、この病院じゃ有名なんですからね」
「いやいや、山下さんは俺よりずいぶん年上だし」
すると恵美は突然胸を張り、自信たっぷりにこう言った。
「恋愛に年齢は関係ありません!」
「は、はい」
恵美の勢いに押され、大輔は思わず肯定の返事をしてしまった。
実のところ大輔にとって美咲は、年の離れた姉を思わせる存在だった。10歳以上年の離れた彼の姉は、美咲と同じ宇宙に携わる仕事をしていた。だが彼が中学三年の頃、美咲と同じ宇宙病に感染してしまう。それから数年、大輔にとっての姉は病室で眠り続ける眠り姫だった。だが姉は美咲とは違い、そのまま帰らぬ人となってしまう。彼が医者を目指したのも、それが一因なのかもしれなかった。
「冗談ですよ。先生、お姉さんの姿と重なって見えていたんでしょ?」
「そうかもしれないな」
大輔はフッと息を漏らすと、少し寂しそうな笑顔を見せた。
「もう!めでたい日なんだから、もっと明るく!」
恵美がとびきりの笑顔でそう言った。
うん、やっぱりこの子はいい子だ。
大輔の顔にも、本当の笑顔が浮かんでいた。
「おや、三田センセやないですか」
そんな二人に、一人の男が声をかけてきた。タクシーを降りてきた南郷だ。
「南郷さん?!」
「あ、もしかして山下さんをお迎えに?」
「正解や。退院してすぐに一人で来いっちゅーのも、ちょっと酷やからな」
恵美の問いに、南郷はかっかっかと笑いながら答えた。
「そう言えば、山下さんのご自宅は東京では無いのですか?」
「二年も入院しとったやろ? 両親が荷物を引き取って、マンションは解約されてもうてる」
南郷が肩をすくめた。
「ほんで、うちの教習所の寮に入ってもらうことにしたんや」
なるほど。勤務地の近くに住むことは、病み上がりの彼女にとって生活が楽になるだろう。医師としても、個人的にも大輔は心の中で胸をなでおろした。
「で、お二人さんは?」
「山下さんの退院祝いのお見送りです!」
恵美がはじけるような笑顔を南郷に向けた。
南郷の目が、大輔が持っている花束に向けられる。
「ほう」
ニヤリと笑う南郷。
「南郷さん?」
「いや〜、長谷川センセからは聞いとったけど、やっぱり三田センセは惚れっぽいんやなぁ」
長谷川先生?!
あの人、俺のことをどんな風に広めてるんだ?!
「いえ、これはそういうことじゃなくて!」
「ええってええって。若いってことはホンマにええもんや」
南郷は大輔の肩にぽんと手を置くと、ニヤニヤを三倍増しにした。
「違うんですって!」
「何が違うんだ? 青年」
その時、大輔の後ろから長谷川潤子医師の声が聞こえた。
大輔と恵美が振り向くと、美咲と、彼女を見送りに出てきた牧村と長谷川の姿があった。
「三田先生、恵美ちゃん!わざわざ見送りに来てくれたの?」
困惑顔の大輔に、美咲の明るい声が届く。
「は、はい。あの、これを」
花束を差し出す大輔。
「わあ、きれい!ありがとう!」
美咲の笑顔がはじけた。
恵美の言う通り、見送りに出て正解だ。
「で、何が違うんだ? 青年」
長谷川が再び質問を投げてきた。
「いえ、それは……」
口ごもる大輔に目もくれず、南郷が言い放つ。
「三田先生が山下さんに惚れてるってことですわ」
「南郷さん?!」
大輔の声は、すでに悲鳴になっていた。
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