第12話 趣味

「ねぇねぇ、ひかりの趣味ってなぁに?」

 同じクラスの脇坂由美子はひかりに比べるとずいぶんとませていた。

「しゅみ?」

 学校帰りの道。初夏だと言うのに、まるで真夏のような日差しが照りつけている。

「そう、一人前の女の子は趣味のひとつやふたつ、持っているものなのよ」

 まだ小学二年生のひかりには、趣味という言葉の意味さえよく分からなかった。

「ひかり、もしかして趣味を知らないの?遅れてる〜」

 そう言われても、分からないものは分からない。

「あのね〜……こんな字を書くの」

 由美子は道に落ちていた枯れ枝を拾い、道路の脇に申し訳程度に設置してある花壇の土に文字を書いた。

「しゅ……み。おいしい食べ物のこと?」

「どうして?」

「だって……味っていう字だから」

 由美子はクスリと笑った。

「ひかりっていつも面白い」

 小学校に上がってから、ひかりはそう言われることが多くなった。彼女自身にはどうしてなのか全く分からない。それどころか、何が面白いのかさえ分からないのだ。でも、みんなが楽しそうに笑ってくれるのならそれでいいと思っていた。なにしろ、ひかりは笑顔が大好きなのだ。

「じゃあ、私が教えてあげる!」

 由美子は得意げにひかりに話し始めた。

「趣味って言うのは、自分が大好きでいつもやっていたいな〜って思うことなの」

「大好きなこと?」

「そう、大人はみんな持っているのよ」

「へぇ……でも、大好きでいつもやっていたいって思うことなら、私にもあるよ」

「本当?ひかり、趣味持ってるの?」

 驚いて立ち止まる由美子。

「趣味なのかどうか分かんないけど……私、詩を書くのがとっても好き!」

「し?」

 詩と言う言葉を知らないのか、由美子が聞き返す。

「えっと……なんて説明すればいいのかな」

 ひかりにしても、自分がノートの端に書いていた文章が「詩」と呼ばれているものだと知ったのはつい最近のことなのだ。ひかりの兄が教えてくれた。

「あのね、大好きな言葉を並べて、ステキな意味をつくるの」

「それって……ポエムのこと?」

「ぽえ……む?」

 今度はひかりの方が知らなかった。立ち止まって考え込んでいる二人に、梅雨の合間の強い日差しが照りつける。

「その文章、聞かせて。そうすればそれが趣味なのかどうか、きっと分かると思うわ」

 再び由美子は得意げな表情になった。私が判断してあげるわ!そんな顔つきだ。

ひかりはランドセルからノートを取り出した。表紙で可愛い熊のキャラクターがニッコリと微笑んでいる。

「えーと……どれがいいかな」

 ノートをめくりながら悩み始めるひかり。

「そうだ、ひかりが一番お気に入りのが聞きたいかも!」

「じゃあ……私が最初に書いたやつにするね。まだ詩ってことも知らなかった頃の」

 ひかりはノートのはじめの方を開き、両手をピンと前に出して見つめる。

大きく息を吸い、ゆっくりと音読を始めた。

「雲さんの向こうには何があるんだろ

 青い空かな

 暗い空かな

 それとも、また雲さんがいるのかな

 虹の橋の上からは見えるかな

 きっと飛行機に乗っても見えないんだろな

 でも、心の飛行機なら見えるかもしれない

 だって、私の心の飛行機はどこへでも

 飛んでいけるから

 雲さん……いつかあなたの向こう側へ

 行ってみたいな」

 由美子は黙って空を見ていた。

「どうしたの?由美子ちゃん」

 ひかりがいぶかしげに由美子に聞く。

「ひかり……あの雲の向こうには何があるんだろ」

「え?」

「なんて、真剣に考えちゃったよ……すっごくステキ、ひかりのポエム!」

「ありがと〜!」

 詩でもポエムでも何でもいい。趣味でもそうでなくても、そんなこともうどうでもいい。由美子の中にステキな何かが広がっていた。

「ひかりじゃないか、今帰りかい?」

 突然ひかり達の横に止まる自転車。乗っているのは制服の中学生。

 かっこいい〜……由美子には、この爽やかな中学生とひかりとの関係がさっぱり想像がつかなかった。ひかりの野暮ったい雰囲気とは正反対のイメージなのだ。

「お兄ちゃん!」

「俺も今帰りなんだ。後ろに乗ってくか?」

 ひかりはちょっと照れたように、少し頬を染めながら由美子に言う。

「あ……私のお兄ちゃんなの」

 あわてて由美子に兄を紹介するひかり。

「えっと、こっちは同じクラスの由美子ちゃん」

「ひかりのお友達ですか?」

 優しい微笑みに、妙にかしこまってしまう由美子。

「脇坂由美子です!ひかりさんにはいつもお世話になっています!」

「ひかりと同級生ですか。まだ二年生なのにしっかりしてるね」

 そう言うとひかりの兄は、より一層優しく微笑んだ。理由も分からずほんのりと頬が赤くなってしまう由美子。そっかぁ、いつもひかりが自慢してるお兄ちゃんて、この人なのか、こんなに優しそうなお兄ちゃんなら自慢するのも頷ける、と納得する由美子。

「由美子ちゃん、それじゃまた明日!」

 そう言うとひかりは兄の自転車の後ろにちょこんと腰掛けた。

「由美子ちゃん。これからもひかりをよろしくね」

「は、はい!」

 走り出す自転車。ちぎれそうなくらい一生懸命由美子に手を振り続けているひかり。

 私って幸せなんだ……そうだよね、自慢のお兄ちゃんがいるんだもん!

 ひかりの心にそんな言葉が広がった。

 自転車に乗っているひかりではない。それを見ているもうひとりのひかりだ。

 その瞬間、目の前だけでなく心まで、まぶしく輝く真っ白な光に包まれた。

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