第2話 ニコニコロボット教習所
落ち着いた高級な作りの部屋。敷きつめられた深緑色のじゅうたんには、チリひとつ落ちていない。マホガニーの大きな机の上は綺麗に整頓されている。
その前には小さな応接セットがある。窓際にはよく手入れされた小ぶりな盆栽が、高級な観葉植物の鉢植えのように鎮座し、窓からの日差しを心地よさそうにあびている。
通称ニコニコロボット教習所こと、都営第6ロボット教習所の所長室。生徒達にとっては呼び出しでもくらわない限り、けして目にすることのない空間だ。
「見たまえ」
かっぷくのいい初老の紳士は、そう言うとピカピカに磨き上げられたマホガニーのデスクの上に今朝の新聞を広げた。
雄物川忠信。都営第6ロボット教習所の所長だ。彼の過去を知る者は皆、一体どうして彼ほどの人物が一教習所の所長におさまってしまったのか理解できないことだろう。考古学、地球物理学、ロボット工学など様々な分野での彼の功績は枚挙にいとまがない。
ここは東京都の24区、東京湾の中心にある埋立地である。普通ロボット教習所は郊外に作られることが多いが、政府の特区政策で、若者専用の教習所がこの東京のど真ん中に建設された。この場所でのんびり過ごしている雄物川を見て、
「日本の財産が引退してしまった」
そうささやく声も多い。
「またロボットの暴走ですか」
雄物川に声をかけた男は窓の外に広がる平和な教習風景から、机に広げられた新聞に目を移した。
陸奥俊博。この教習所の教官のひとりだ。彼の過去には謎が多い。彼には雄物川のように公式に記録に残っている功績は何もない。だが、雄物川も一目置く知識と実力を備えている。
ただひとつ公式記録から分かることは、彼の両親が二十一世紀の中頃に琵琶湖で起こった謎の大爆発で他界していることだけだ。
「通勤中の自家用ロボットが突然暴走……まるで自らの意志を持っているかのように暴れ回った……」
「今月に入って、これで7件目ですね」
「どう思う?」
陸奥は真剣な目で新聞の記事を目で追った。
「自らの意志を持っているかのように……ですか」
「そうだ。最近のロボット暴走事故の報道の大半で使われる言葉だ。今では常套句になってしまったな」
「笑えませんね」
所長室に重苦しい沈黙が流れた。二人とも考えていることは同じなのだ。最初に口を開いたのは陸奥だった。
「恐らく……ヤツらの仕業でしょう」
「君もそう思うか」
「過去、ロボットの暴走と言うとただ無茶苦茶に暴れるパターンがほとんどでした。なにしろ暴走ですからね……だが、最近は違っている。ロボットが運転者の意志や操縦を無視して、まるで意図的であるかのような暴れ方をする。しかも、それ止めるには完全に破壊するしかない……普通じゃないですよ」
雄物川は大きなため息を吐き出した。
「ヤツらに浸食されている……」
「ええ……ただ、ヤツらが一体どうやって地球圏に進入して来ているのかは謎ですが」「暴走した機体の検査は?」
「進んでいません。ヤツらの浸食が原因だとすると、まずは機体を隔離することが先決ですから」
「そうだな……急いでくれたまえ」
窓の外では初心者には少々難易度の高いバックによる車庫入れの教習が始まっている。
「平和だな」
「ええ」
「この平和がいつまでも続くことを祈るよ」
「そうですね」
それが無理なことは分かっていた。だが、そう言わずにはいられなかったのだ。
二人の表情には、苦悩と共に何らかの決意のようなものが浮かんでいた。
「生徒達には心配させたくないものだな」
「はい。ロボットの暴走は、直接彼らの身に降り掛かってきますので、授業前点検には最大限力を入れています」
雄物川はゆっくりと大きなソファーに腰を下ろした。気を静めるため、大好きな葉巻に火を付ける。ゆったりと広がる紫の煙に、雄物川が大きく吐き出した真っ白な煙が混ざって渦をつくる。
「例のプロジェクトはどうなっている?」
少し声をひそめるようにして、雄物川は陸奥を見つめた。
「はい……コントロールシステムの微調整に少々手こずってはいますが、おおむね順調に進んでいます」
「そうか……この都営第6ロボット教習所は人類最後の砦だ。何としてもここだけは死守しなくてはいかん。けしてヤツらに浸食させてはならんのだ。ここが破壊されたら、人類に未来は無い」
雄物川がそう言い終わらない内に、所長室にいまだかつて無かったとてつもない変化が訪れた。
どかぁぁぁぁぁん!!
突然壁を突き破って、ロボットの巨大な顔が部屋の真ん中に出現したのだ。あと数センチずれていたら、ソファーに座っている雄物川を直撃したかもしれない。
「だ、誰か止めてくださ〜い!」
ロボットのスピーカーから、少女の悲鳴が流れる。驚きのあまり硬直してしまった雄物川の葉巻から、灰がポロリと落ちた。
「所長!ぶ、無事ですか?」
陸奥がやっと声を出した。と、ロボットはきびすを返し、ガラガラと所長室の壁を破壊しながら立ち上がった。そのまま教習コースを斜めに突っ切るカタチで爆走して行く。
「誰か止めて〜!」
チリひとつ落ちていなかった所長室は、無惨にもがれきの山となっていた。
「陸奥君!まさかここにもヤツらの手が!」
「いえ……あれはただの暴走です」
「ただの暴走?」
「はい……あの生徒はいつもああでして」
暴走ロボットは次々とコースを破壊、駐車してあるロボットも次々となぎ倒していく。
「しかし、ただの暴走にしては、まるで破壊したいという意志を持っているかのように暴れているぞ!」
「ご安心下さい……完璧とは言えませんが、ここのロボットと建物をコーティングしている袴田素粒子防御シールドは、現在最も有効なものです」
「それは分かっているが……」
ロボットは教習コースの間仕切りを突破し、隣のA級ライセンス取得コースへと暴走して行く。
「A級コースの方は設備もロボットも桁違いに高いんだぞ! 陸奥君、何とかしたまえ!」
雄物川は高そうなソファーから思わず立ち上がっていた。
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