俺と同じように不器用な人へ 無思考と存在の精神論

人間の精神は様々なバランスに依って

成り立っている。感情のプラスマイナス、興味の外向内向、意識の表裏などが主だった要素だ。人と人との折衝においては、利害やプライド、信条が表出するかどうかにも注目すべきである。この中で自らの意識を殺さずに折り合いを付けるのは難儀なこと極まりない。そこで必要なのがバランス感覚だ。常に物事にはキャパシティとパーセンテージが存在する。善悪のどちらかを決定づける議論は意味を成さない。一人の人間の内面が善悪どちらかのみというパターンは存在しない。社会的に他人に悪い影響を与える人間が居たとして、何をそこから得るか。社会的に悪い影響を与えるに至った理由が存在し得るとしよう。そこに関しては理解を持って必要な対処をすべきである。理解というのは本人の思考と感情の矛先で、対処というのは起きてしまった社会に悪い影響を与える事象に対して如何に行動すべきか、また、予防策を講じる必要性の有無を議論すべきだ。人の上に立てるほど、良く出来た人間は一人たりとも存在しない。糾弾、処罰、強制執行等はコミュニティ単位での総意により必要性のある場合のみ行うべきだ。何の為にシステムが、社会が、コミュニティが存在するのかについて深く思考する必要がある。個人単位での裁きは傲慢に他ならない。スタンドアロンで生きていける訳がないのだ。人間は社会性を持つ生き物だからだ。以上の要素のバランスの偏りにより、自らの居場所を失う人間も少なからず存在する。個々から全体へ、全体から個々へ意識を向けることで崩壊を抑制し無用な様々の事象を効率よく回避できるだろう。利害の不一致については良いことも悪いことも同量のみ返却する反射性のコミュニケーションが必要だ。誤反射の場合は追加や削除を後付けで行う必要がある。同量の同程度を常に返すことにより、自己の他のバランスが均一化し利害の不一致を避けることが出来る。と、のたまう論者は遠い過去の記憶と遥か先の未来に想いを馳せながら、簡素なハイボールを空のグラスへと返還した。只の独り言。

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