開発と民衆

AI技術が発展して自我を持ったり、先のSF小説のような反乱事件が起きるとする。その場合AIの開発者は糾弾されたり逆に褒め称えたりしてA級戦犯のような扱いを受けるのではないか、と。事の発端は開発者であるが、技術の進歩は多かれ少なかれ犠牲を伴う。制御が完全に効く技術なんてものはそうそう多くないが、自我を持つとすれば尚更。これまでの世代とこれからの世代がいかに思考するか。社会の流れの中で民衆とマスコミの玩具に成り下がらないように、歯止めできるような措置を取れるとすれば良いのだが。研究や開発を行う人間は探究の鬼と化すこともしばしば。いつだってセーフティは後から追加されるのだ。自業自得とも可哀想な人とも、なんだか滑稽とも取れるような。世のキャパシティは常に変わらない。新しいカードが追加されたら元々あったバランスのアベレージが調整されて、変わらぬ日常が待っている。と思うのは少々平和ボケが過ぎるだろうか。

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