もしボタンの掛け違いがあったなら


「……何の用だ」


 音を出さないよう慎重にドアを開けたはずだったのだが、ベッドの上のクリスにはすぐに気づかれてしまった。


「えっと……寝れなくて……」

「ほう。添い寝してほしいとは、思ったより大胆なんだなお前」


「なんでよ、別にそんなこと言ってないのだけれど」


 わたしが適当な椅子に腰掛けると、クリスがベッドのたもとにある魔力ランプを点ける。

 ほのかに明るくなった部屋、浮かび上がるクリスの顔は、相変わらずめちゃくちゃイケメンだ。


 

「じゃあ何しに来たんだ」


「えっと……クリス、いついなくなるか分からないでしょ? それで……」



「心配、だってのか……?」

 そう言うクリスの顔が、またほんのちょっと赤くなっているような。


「それも言ってないわよ。でも、せっかくだしもう少し色々話したいな、って。貴族と平民が直接話せる機会なんて、無いし」

「ふん。別にお前がどう思おうと構わないのだが。……アリアと話すのは、新鮮だしな」


「……わたしが嫌、では無いのね」

 わたしは少し安心する。


「嫌なら、初めから助けてなんかいないさ」

 そのクリスの言葉は、どこまで本当なのだろう。



 

「……クリスは、怪我はどうなの?」


「あの程度大したことない。明日にはここを出ていくつもりだ」

 そう言いながら、クリスは負傷した脇腹のあたりを軽くさする。


「やっぱり痛いんじゃないの」

「隠密の仕事では日常茶飯事だ、心配されるようなほどでもない。それよりお前は大丈夫なのか」


「わたしも念のため治癒魔法をかけてもらったし、もう大丈夫」

 さすがに走るのはまだ辛いが、普通に歩く分には問題ないレベルまで痛みも治まった。


 この世界の治癒魔法は、どんな怪我でもたちどころに、とかいう都合のいいものではない。

 そもそも使える人も少ない。あの才能にあふれる兄でさえ全く使えない。


 それでも、日本で普通に薬とかで治療するよりはよっぽど回復は速いだろう。ありがとう魔法、としか言いようがない。


 

「なら、俺も少しは頑張ったかいがあるというものか」


「わたしのこと、どうでもいいんじゃなかったの?」

「それはそうだが、せっかくやったことが報われないのは嫌だろう」


 ……つまり、やっぱりクリスにはわたしを本当に助けようとする意思があったのだ。



「……さっきも言ったけど、助けてくれてありがとう」


「やっぱりお前、面白いな。……お前、本当に貴族か?」

「じゃなかったら何なのよ」

 いったい何が言いたいんだ、クリスは。


 

 

「……お前みたいな貴族に拾われてたら、俺ももう少し幸せだったかもな」


 ……!

 少し小さい声だったけど、わたしの耳にははっきりと聴こえた。


「そしたら……クリスは、革命なんて考えなかった?」

「それはわからんな。ただ……」


 ただ、なんなのだろう。



「もうちょっと、いろんなことを知ってた気がするんだ。お前こそ、貴族なんかよりも町娘の方が似合ってたんじゃないか?」


 ダメよ、平民じゃ生活が不安定過ぎる……と言いかけてわたしは思いとどまる。


 やっぱりわたしも、無意識のうちに貴族を平民より良いもの、だと思ってたんだ。

 こんなこと言ったら、クリスにきっと怒られるだろう。


「そうかな。わたしとしては、考えたこともなかったのだけど。それに……これからは、貴族のほうが大変なことになっていくんでしょう」

「だな。まあお前らはマゼロンの下についてるから、露骨に目の敵にされることは無いと思うが……これからは、誰もが努力しないといけない時代が来るんだ。お前は、できるか?」


 

 ……平穏を手に入れるために、努力するのか……


「まあ、頑張るわ」

 せっかく、別の世界でやり直せるチャンスをもらったんだ。ここからは、全力で自分の生活を守ってみせる。


「だからクリス、くれぐれも邪魔しないでね」

「邪魔なんてするか。アリア、心配するな。お前にはアンもついてるし、何とかなるさ。ああ、あと……」


「何?」

「俺からも礼を言う。ありがとうな」



 ……なんだかその言葉で、ひどく救われた気がした。


 

「クリスが貴族だったら、きっとモテモテね」

「どういう意味だ、それは」



 ***



 その後自分の部屋に戻ったら、あっという間に眠たくなってしまった。



「……おはようございます、アリア様」

「アン……」


 そして、あんなことがあった次の日でも、アンは相変わらずメイド服でわたしを起こしに来た。


「アンは、昨日眠れたの?」

「いついかなるときも寝られるようにするのが、使用人としての努めです。それに、私が寝坊したら、誰がアリア様を起こすのですか」


 

 ……嘘だ。アンのまぶたは、なんだかとろんとしている。


「アンも、無理しなくていいのよ。クリスとお話とか、したかったんじゃないの?」

「それは……いえ、しかし、私はファイエール家の使用人です。御主人様や、ポーレット様、アリア様にお仕えするのが最優先事項です」


 ふっと思ったことを聞いてみる。

「アンは……革命が成功して、貴族と平民の境目が無くなったら、嬉しい?」


 

 

 

「……はい、きっと」


 たっぷりあったその間が、一番の答えだったような気がする。

 





「おはようございます。お父様、クリスは……?」

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