クリスとアン
「……わたしを助けてくれてありがとう」
改めて、この言葉をわたしから言わないわけにはいかなかった。
「……自分の強運に感謝するんだな。もし俺と会うのがほんの少し遅かったら……」
「わかってる」
わたしは、やりたい放題の平民たちにやられて、あの大聖堂の庭で息絶えていただろう。
間違いなく目の前の青年は、わたしの命の恩人だ。
「それに、クリスが気まぐれでも、わたしを保護しようとしてくれたことに、一番感謝しなきゃね」
「当たり前だ。あそこでお前を見捨てたからって状況が良くなるわけではない。ならば可能な限り命は守るのが当然だろう」
そう言いながら、クリスの顔はちょっと赤い。熱があるわけでも無さそうなのに。
「私からもありがとうございます。アリア様をお守りいただき」
わたしの後ろで、アンが頭を下げる。
「それで、あの……」
おずおずと、そのアンが前に出てくる。
「もし私の勘違いだったら、大変に申し訳ないのですが」
「……?」
「あなた、過去に私と……同じ場所で暮らしておりませんでしたか?」
……!?
「アン、どういう……」
「……やっぱりそうか」
クリスの方は、さして驚くこともなく、アンを見据える。
「お前が俺に寄ってきたとき、ひどく懐かしさを覚えた。さっきしっかり顔を見据えて、記憶が鮮明に戻ってきたが……自信がなかった」
「なるほど……まあ15年以上前のことですから仕方ないですね。私も、確信は持てませんでした。ですが、あなたは当時から変わっていませんね」
……なんだ。どういうことなんだ。
目の前の二人ーー隠密と使用人ーーは、懐かしそうに言葉を交わす。
「二人は、知り合いなの?」
「そうですね。……私とこの男は、同じ孤児院で育ちました」
……そうか。二人共、貧民街の孤児院育ちだ。そんな偶然があっても不思議じゃない。
「私たちの孤児院は貧しく、彼はしょっちゅう食べるものに困っては盗みを繰り返し、その度に身体を傷つけて戻ってきました」
「食べ物に困ってたのは、皆同じだったがな。この女もいつも腹を空かせていた」
「だから、彼が力尽きてるのを見たあのとき、昔を思い出してもしや、となったのです」
アンがクリスを連れて帰るというわたしの言葉に賛成したのは、だからだったのか。
「そうだったのね。……当時からクリスは、その……こんなきつい目をしていたの?」
……おいおい、なんてこと聞いているんだわたしは。
「……確かに、彼が笑っていた記憶は無いですね。いつもくすぶっているようで……でもそれはある程度仕方ないことでしょう。私たちが当時置かれていた環境は、本当に劣悪でしたから」
「それはお前もだぞ。お前が笑っていたのなんて、年下の子供をあやすときぐらいだった」
「玄関で倒れたあなたを引きずっていったときのように、ですか?」
……笑顔のアンだけど、目が笑っていない。
「そんなこともあったな。まさかこんなところで思い出話をすることになるとは」
クリスは両手で顔を抑える。
そこから漏れ聞こえる、ふふっ、という笑い声。
きっと孤児院時代は、クリスにとってのルーツだ。
彼にとっては明るい記憶では無いだろう。
でも、それを共有できる人と会えたことは、クリスには良いこと……なのだ。
「私も驚きです。……私が子爵様に引き取られた後、あなたはどうしたのですか? 何故商会の隠密を……」
「俺も貴族様に引き取られたんだ。お前のすぐ後にな」
それでクリスは、わたしにも話した自らの過去を語った。
貴族に引き取られたもののあっさり捨てられ、そこでニッペン商会に拾われて隠密をしていたこと。
「……お前も俺みたいに、貴族に捨てられたんじゃないのかと思っていたが。良い主人に拾われたんだな」
「おかげさまで。しかし、あなたも今は良い主人に拾われてるんじゃないですか? あの頃より、体つきも格段に良くなってます」
「そりゃあどうも。……なんかムズムズするな。敬語なんて使わず、昔のようにズカズカと言い倒したらどうだ」
「そういうわけにはいかないですね。あなたはアリア様の命の恩人ですし、おそらくあなたは……」
そこまで言って、アンはぷいと横を向けた。わたしより一回り高いところにある顔は、横からだとよく見えない。
「……まあ、覚えててありがとうな」
クリスは、今まで見たこと無い、なんとも言えない顔だった。
「ねえアン、孤児院の頃のクリスはどうだったの?」
そしてなぜか、わたしはそんなことを聞きたくなる。
わたしの知らないクリスが、気になるのだ。
「そうですね、アリア様も気になりますか?」
アンは、座ったわたしを見下ろして、照れ隠しのように軽く頭を撫でて。
「では……」
ガチャ
「アリア、アン。二人共来てくれ、重要な話だ」
話しだしたアンの声は、残念ながら兄に遮られてしまった。
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