平穏になりたい
前世でわたしは、芸能人の娘としてもてはやされた。
父は俳優。母も元アイドルの女優。どちらも、テレビでその名を聞いたことはない人はいない、ぐらいのスター。
そんな夫婦がいる家には、本当に多くの芸能人が出入りしていた。
俳優、女優、アイドル、芸人、モデル、歌手……家の中はいつも騒がしく、明るいことから暗いことまで、一日中いろんな話題が飛び交っていた。
その中で一人娘であるわたしは可愛がられ、様々な大人気芸能人に頭を撫でられ、寝かしつけられ、食事のお世話をされながら育っていった。
……うらやましいと思うだろうか?
ある程度贅沢な悩みであることは理解しつつも、わたしにとってその状況は、成長するにつれて嫌なものに変わっていった。
まず芸能界が嫌になった。
何しろ、当時小学生のわたしがいる前で、皆嬉々として『あの若手は使えない』『あそこは待遇が悪い』みたいな話を延々とするのだ。テレビでは仲良し夫婦として出演しているカップルが、互いに悪態を突きあったり。恋愛NGのはずの大人気アイドルグループのメンバーがイチャイチャしてたり。
わたしは、失望した。
両親の後を追おう、という考えはかなり早い段階で消え失せた。
そこで、わたしは普通の職に就くため、ちゃんと勉強しようとした。
そうなると今度は、家がうるさくて仕方が無くなった。
何しろ芸能人というのは、基本的に喋ってなんぼ、自己主張してなんぼの人達である。毎日両親を含め、いる人がみんな騒がしい。
その声は居間から離れたわたしの部屋まで届き、わたしの集中力を削ぎ落とした。
かといって学校に残って勉強したり、図書館に行ったところで変わらない。
学校でのわたしはいつも両親の話を求められる。
図書館に行こうと外出すると、マスコミがわたしについてくる。
わたしの周りに、静かな平穏の地は無かった。
だから、高校は東京の家から遠く離れた、北海道の全寮制の学校を選んだ。自分の生まれは一切隠して、普通の女子高生として過ごそうとした。
……でも駄目だった。
入学して半年ほど経った頃、両親と仲がよく、家にもよく出入りしていた俳優に麻薬所持疑惑が持ち上ると、どこから嗅ぎつけたのか、わたしのいた学校の寮にもマスコミが訪ねてくるようになったのだ。
そしてある朝、無視を決め込んで寮を出たわたしと、マスコミの一団がもみ合いになり……
***
「アリア様、今夜の宿泊地に到着されました」
アンの声で、わたしは前世の記憶から我に返る。
馬車を降りると、草原の中にぽつんとある、前世のわたしの家ほどの大きさの石造りの要塞。
空はとっくに黒くなり、星がいくつか輝いている。建物の前にある松明の灯りだけが、唯一の人工の光源だ。
「どうしたアリア? 明日も早朝からの移動だ、早く床についたほうがいいぞ」
「すみません、お父様」
わたしはお父様について、建物の中へ入っていく。
街道沿いにあるこの要塞は、領地同士の境界に建ち有事の際の拠点になると同時に、街道を行き来する貴族や商人などの宿泊施設にもなっている。
ファイエール子爵領を出てから、こうした場所で寝泊まりしながらわたし、お父様、アンは王都を目指す。魔法で強化された馬が引く馬車でも、片道8日の道のりだ。
成人の儀を行うために、これだけの距離と時間をかけて移動しなければいけない。道中には貴族を狙う盗賊だって出る。それだけの苦労をかけてやることは、正直言ってただの儀式。
前世で手に入らなかった平穏を得るための必要経費……と考えないと、やってられない。
「子爵様、寝室にご案内します」
「うむ、ありがとうな」
建物の管理者に案内され、広間を抜けていく。
「全く、また貴族様かよ」
「貴族は個室か、いい身分だな」
そんなヒソヒソ声が聞こえる。広間のあちこちにいる平民の宿泊者からだ。
「……貴族がみんな贅沢三昧、というわけでは無いのだがな……」
広間を通り過ぎて寝室の前に着くと、小声でそう漏らすお父様。
ファイエール子爵家は確かに貴族ではあるが、先代領主であるわたしの祖父のときにその地位を与えられたばかりの新興の家だ。治める領地は何もない田舎の街と、その周囲の2つのひなびた村のみ。
王家と関係を持ち、権力を思うがままに使う名門の家とは、全てにおいてまさしく雲泥の差がある。
そんなファイエール子爵家でも貴族は貴族、徴税の免除や、緊急事態の際の武力使用が認められているなど、複数の特権がある。それがあるおかげで、明日の食事に、寝床に困らない暮らしが送れているのだ。
厳しい課税をされて、飢きんになれば即生活が立ち行かなくなる平民には申し訳ないが、この地方の小さな貴族の娘という地位は、わたしの目指す平穏な暮らしにはちょうどいいのである。
成人後は、わたしもどこか別の貴族の家に嫁入りすることとなるだろう。
それでも、国の中心、王都から遠く離れた地。権力争いの駒にされ、振り回されるなんて可能性は小さい。
……まあ、それもこれも成人の儀を無事に乗り越えてからだ。
「ではアリア、荷物をまとめたら食事をするので、私の部屋に来るように」
「わかりました」
そう言ってお父様と一旦別れ、ベッドと鏡台があるだけの部屋に入る。
窓から外を見ると、本当に何もない。
輝く星の光も、少し離れた先には効果が無い。
日本では、こんな光景などテレビやインターネットでしか見なかった。
自分が異世界に来たことを実感する。
前世にもう、未練は無い。
***
領地を出て8日目の夕暮れ。
「ファイエール子爵様ですね。連絡は受けております。……おい、門を開けろ!」
兵士の一人が叫ぶと、ちょっとしたビルぐらいの高さはありそうな木製の扉が、音を立ててゆっくりと開く。
正面に、まるでゲームの世界のような城が見えた。
「あれが王城になっている、ベルールア宮殿だ。その周辺には様々な公的施設が集まっている」
お父様のその声とともに、馬車は門を抜け、王都ベルールアに入っていった。
5階建てぐらいの集合住宅が、隙間なくびっしりと立ち並ぶ。
その中には住居だけでなく、宿泊施設、食べ物屋、服飾の店、雑貨屋……ファイエール子爵領ではお目にかかれないような大きな建物ばかりだ。
「……さすが王都ですね……」
わたしの隣で、アンが驚きの声を上げる。
走っているのは自動車じゃなくて馬車だし、建物はレンガや木造ばかりだけど、日本の都会と大差ない。
こちらの世界にも、これだけ大きな街があったのか。
でも……
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