秋に移ろふ姫

入江 涼子

第一話

 かえで姫は衵扇あこめおうぎを開いて、顔を隠した。


 ほうと息をつきながら、文机の上に広がる色とりどりの文に目をやる。薄紅色の御料紙を手に取るも読む気は起きない。傍らにいた母君や女房達は、目ざとく見つけて注意をした。


「姫、読みなされ。でないと、失礼に当たりますよ!」


「けど、本当に読みたくない。わらわはこの方々に全て返事を書くのは無理じゃ」


「んまあ、何をおっしゃる。楓姫はこの母のために婚姻はしたくないと?」


 母君に詰め寄られて、姫は仕方ないと腹を括った。


「わかりました、返事は書きます。けど、色よくは書かぬ。わらわに文を書くのはお一方で結構じゃ!」


「……わかりました、その旨は殿にもよく伝えておきまする。姫がそのように言っておったと」


「……お願いしますぞえ」


 姫が言うと、母君はうなずいた。こうして、姫は一通ずつ返事をしたためるのだった。


 夜になり、姫は脇息に寄りかかりながら、休んでいた。

 うつらうつらとしながら、微睡む。長い髪がさらさらと鳴る。が、ふと姫は目を覚ます。

 自身のとはふわりと違う香りが鼻腔に入った。姫はそっと立ち上がり、外へ出ようと端近に寄る。御簾の近くまで来ると、扇で持ち上げた。


(この香りは、父上や母上のではない。誰じゃ?!)


 姫はきょろきょろと辺りを見回す。声は出さずに、簀子縁へ出る。ゆっくりと歩きながら、香りの主を探した。


「……斯様な所に、可憐な女人がいますね」


「……どなたじゃ?」


「ああ、失礼。この邸の見事な紅葉に惹かれて入ってしもうた。あなたは?」


 香りの主らしき麗しき公達がそこには佇んでいた。満月の光の下、佇んでいるのは掻練の紫苑の狩衣に薄紅の下襲、二藍の指貫の雅やかな衣装に身を包む美男だ。


「わらわは。この邸の者ぞ」


「成程、あなたはこの邸の方か。なら、女房殿かな?」


「……まあ、そのようなところじゃ」


 姫が言うと、公達はからからと笑う。切れ長な目にすっと通った鼻筋、形の良い輪郭に薄い唇が品よく整っていた。姫はかなりの美公達びきんだちだと目を見張る。


「ふむ、あなたはなかなかに可愛らしいな。私はこの邸の姫君に会いに来たんだが」


「ほう、そうなのかや?」


「ええ、どちらにいらっしゃるかご存知ないかな?」


「申し訳ないが、わらわにはわからぬ」


「そうか、それは残念。私は帰るよ」


 美公達はそう言って、この場を去ろうとする。姫は見送らずに踵を返す。


「……女房殿、せめて。あなたの名を教えてくれないか?」


「……仕方ないのう、わらわは。楓と申す」


「楓の君か、覚えておくよ」


 公達は今度こそ、去っていく。姫はなんとはなしに見送った。満月は雲に隠されて、辺りは暗闇になったのだった。

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