新作のテーマは〝浄化〟です
児童小説を書いていると、心が浄化されますね。そんなわけでして、物語のテーマは〝浄化〟となりました。子供たちにもわかりますかね、浄化。
ちなみに私が〝浄化〟という言葉を初めて見たのは、『サガ3』というゲームに出てくる『じょうかマシン』でしたね。ひらがなで書かれてあったので、当時は何のことだか、よくわかっておりませんでした。「じょうかまち」みたいなものなのかなと。やはり漢字は偉大です。ちなみに、使うとメカやモンスターの姿から、元の人間やエスパーの状態に戻れます。3は評判が悪いですが、私は一番好きですね。
カクコン向けに書きはじめた児童小説なのですが、現在は第5話までが完成し、第6話の執筆に取り掛かっているところといった具合ですね。当初はカクコンと同時に投稿を開始する予定でしたが、完結まで書き終えての投稿になるかもしれません。
やはり子供向けということで、連載の長期休止はあってはならないことではないかなと。子供にとっては、大人の事情なんてどうでもいいですからね。読みたいものが出てこなければ、さっさと興味なくしてしまうものでしょう。
今回の作品は1話あたり2000字以内を徹底しようとは思うのですが、やはり後半にいくにつれて、文字数が増えてしまう予想ではありますね。それでも極力、3000字は越えないようにはしたいものです。
元々、私のスタイルが、2700字から3000字ほどの二部構成といった感じになっておりましたので、物語の前半が終わった段階で切ればいい話なんですけどね。やはり一つのエピソード内でも起承転結を維持したいのと、今回はなるべく〝引き〟の場面で終えたいという思惑があるんですよね。
また、児童小説ということで、今回はすべての漢字に「ふりがな」を付けております。同エピソード内、二度目の登場だろうと付けています。最近の低年齢向けのRPGのテキストと同じ仕様ですね。とはいえ、カクヨムはフォントの問題もあり、少々ゴチャゴチャしてしまう印象はあるのですが、漢字が読めないよりはいいかなと。
私が児童向けの小説を〝読まされた〟のは、小学校の「読書感想文」を書く宿題が出された際に、母親から与えられた『十五少年漂流記』でしたね。一応、子供向けにはなっているのですが、それでも当時の私には、さっぱり意味がわからなかったです。読書感想文そのものも、何を書けばよいのか意味不明でしたからね。
「おまえのは感想文じゃなくて〝あらすじ〟や」と、母親と教師の双方から言われ、今度は「〝あらすじ〟の意味がわからない」と、またしても頭を悩ませました。
まず、タイトルが意味不明でしたからね。ふりがなは付いているものの、わかる言葉は「十五」と「少年」だけです。しかも二つがくっ付いていることで、なおさら意味が不明になります。表紙には大人のような服を着た外人の子供が並んでおり、それを数えても十五人はいませんし、最初から「いみわからん」とほざいておりました。
覚えている内容といえば、「ドニファン」と「ブリアン」という少年がいたことと、「あてはずれ湾」という単語が面白かったことくらいですね。やはり登場人物が多すぎるということと、主人公が明確ではないのが難しいと感じた原因でしょう。あとは「ほら穴の毛布」をめくるシーンで、「ガイコツが出る」と母親に泣きついた記憶もあります。当時の私は、異常に骨を怖がっていましたからね。博物館の恐竜の模型はもちろんのこと、『マリオ』に出てきた、カメやサカナの骨も怖いと言う始末。
そんな怖がりの私が書いている児童小説ですので、聞き馴染みのない言葉には説明を入れ、怖い要素は出さない方針ではあるのですが。どうしましょう、骨はもしかすると、出てくるかもしれないんですよね。やっぱり怖いですかね。骨。犬がくわえているようなやつなら大丈夫でしょうか。ちなみに私は、骨盤が一番怖いです。尻は大好きなんですけどね。もちろん女性の尻ですよ。何の話をしているのでしょう。
あとはお子さんをお持ちのカクヨムユーザーさまが書かれたエッセイを拝見し、色々と勉強させていただきました。特に目立った意見は「ふりがなが少ない」という意見と、「読点が少ない」といった意見でしたね。いつもの私の作品でも「ふりがな」を付け倒しておりますので、前者は特に問題はないのですが、後者は意外な盲点でした。どちらかというとカクヨム内では、読点が少ない方が望ましいような言われ方をされておりますからね。それを踏まえ、私も意識しすぎた結果『ダッシュ使いすぎ問題』に繋がったというわけです。元々の原因は〝これ〟なんですよね。
たしかに小学校の頃に習う作文などでは「私は、ウサギが大好きです。なので、私は、ウサギさまを崇めています」のように、「主語のあとに読点を付けるように」と習いましたね。正直な感想を言いますと、やはり読点を打った方が読みやすいです。
私の「読みやすさの探求」は、この読点を極力減らすことを前提に構成されておりましたからね。漢字を開いてみたり、カッコや引用符や傍点を使ってみたりと、どうにか読点を減らした状態でも、意味が通じるようにと苦心しておりました。一文の中に「読点は多くても三つまで」というルールを課し、それを徹底しております。
もちろん、固有名詞をたくさん羅列するような〝説明シーン〟だけは除外ですが。アルティリア、ランベルトス、そしてガルマニア――と、いった具合ですね。意外と大丈夫でしたね。ええ、そうなんです。意外と大丈夫だったんです。
もしかすると「空白行」を加えた〝第4次改稿〟のように、執筆法そのものを覚えなおす必要があるかもなどと考えたのですが、意外と上手くいきました。もう何度も言いますが、やはり文章の基礎を教えてくださった師匠のおかげですよね。この〝切れッ端〟だけを見てもおわかりのとおり、あの鬼畜お題企画に参加する前と後の文章では、明らかに何かが違っています。〝そこ〟がわかってはいないんですけどね。
いつかは私の感想企画も、誰かの糧となることができれば良いのですが。今のところは、せいぜい〝参考〟止まりですね。ここで〝参考〟について言及した直後、まさか立て続けに「参考になりました」の応酬を受けるとは、思いもしませんでした。
こればかりは、どうにもならないんでしょうけどね。こうした嫌いな言葉を挙げはじめるとキリがありませんし。たとえば一人称が「自分」の人とか、絶対に好きにはなれませんし。完全に好みの問題ですからね。なんなんでしょうね。性別を悟られたくない無意味な意思というか、余計なポリコレを感じるんですよ。
私も若い頃は一時期使っていましたけどね。ネカマをしていたからというのもあるのですが、「俺」というのは気が引ける、かといって「僕」というガラでもない。それじゃあ「自分」でいいか、といった感じで。ですが、気づけば、周囲の誰もかれもが「自分」「自分」のオンパレードで、「貴様らは自衛官か!」と思うようになってしまいましたね。何事も過剰摂取してしまうと、それが大嫌いになるものです。
はい。児童小説で浄化された心が、再び穢れてまいりましたところで。今回のお話は、ここまでとさせていただきます。お読みいただき、ありがとうございます。
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