読みやすさの本質とは何か
精神が疲弊しているときは、こうした文章の投稿が増えてまいります。
脳内のデブリを出力しなければ、どうにもならないんですよね。
こうすることで通常の執筆を続けることができますので、どうかお許しを。
◇ ◇ ◇
さて本題です。以前〝星と共に去りぬ〟の項目を投稿した際、「改行も句読点も全くない文章なのに、なぜか読みやすかった作品」について触れたのですが、その「なぜ」の理由が、ようやくわかってきたような気がしてまいりました。
はい。一言で申しますと、統一感ですね。
その作品は、「改行も句読点も全くない文章」という書き方に統一されておりました。なので読み手である私の脳も「この作品はこういうものだ」という認識を受け入れるべく、あらかじめ理解の下地を作っていたのではないかなと。
もしも逆に、中途半端に〝一般的な小説のルール〟が守られていた箇所があったならば、おそらくはとても読みづらいものに感じていたかと思われます。つまり、我が道を突き進まれたことが、結果的に功を奏しておられたのでしょう。
もちろん、これは「私だからそう感じた」というだけのことです。
なかには、作品が絶対に小説の記法を遵守していなければ、読む以前に脳が拒否反応を示してしまうという方も居られるでしょう。そうした自分なりのルールに従うことも、私は大切だと思います。私にも、思わず拒否反応を示してしまう言葉などがたくさんありますからね。
たとえば「ベッド」を「ベット」と書かれていると、鼻が詰まるので苦手です。
なぜかわかりませんが、鼻が詰まってしまうんですよ。季節や体調を問わず、これを見た瞬間に鼻が詰まります。自分でこれを書いている際ですら、鼻が詰まってしまっております。とても不快です。
むろん〝賭ける〟という意味で「ベット」と書かれている場合には、そんなことは起こりません。あくまでも〝寝台〟という意味で書かれている場合のみですね。なので、これが出てきてしまうと「――うわぁ!」と言いながら、その付近から数行を一気に読み飛ばしてしまうこともあります。
ですので、「こういう書き方をされると読めない」という方の気持ちは、とてもよくわかります。たとえ私が「ベッドをベットと書かれると、鼻が詰まるので読めません」と言っても、おそらくは意味がわからないでしょう。ふざけているのだと思われかねません。しかしネタでもなんでもなく、これが私の事実なんですよね。
はい、また鼻が詰まりました。ツライです。
こうした他人にはわかり得ないツラさが、とてもよくわかります。
だからこそ自身が執筆を行なう際には、なるべく癖のない、美しい文章を心がける必要があるなと。改めて、そう感じました次第です。
いっそ奇天烈な方向に振り切ってみるのも面白いのかもしれませんが、私の技量では中途半端な、読みづらい文章にしかなりませんからね。まだまだ精進が必要です。
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