第12話

 カーバンクルの唸り声と、ドニトスの悲鳴にもならない声が森に響いた。


 前にも言ったが、おれは学ばない馬鹿だ。そしてそれは長所でもあると言ったが、短所になりえるときの方が、圧倒的に多い。


 今だって、黙って逃げりゃあいいものを、おれはわざわざ踵を返して、組み伏せられているドニトスを助けに行こうとしている。


「ドニトス立て!」


 おれは叫んだ。ドニトスは雄たけびを上げながら、肩に食らいついたカーバンクルを引き剥がし、脚で蹴り飛ばした。


 おれはカーバンクルがドニトスから離れた瞬間を狙って〝旋風〟を使用した。カーバンクルは飛んで避けたが、おれだって完全なる馬鹿ってわけじゃない、着地先を予想して、もう一発放っておいた。

 風は見事、カーバンクルを吹き飛ばすと、木の幹に激突させた。


「おい、何やってんだ。早く立て!」


 肩や足から血を流し、地面に仰向けになっているドニトスの頬を、おれは引っ叩いた。これでチャラだ。


「俺のことはいい、先に行け」


「いいから立てって! あともう少しなんだって!」


 おれは叫んだ。きっとこの声は、ミリアムたちにも聞こえているはずだ。出てこれないのは、待ち伏せがばれるとすべてが水の泡になるからだろう。おれはドニトスに肩を貸すと、暮れなずむ空を目指してゆっくりと歩き出した。


 くそ! だけど、後ろから草を掻き分ける音が聞こえる。唸り声も、枯葉を踏む音も、息遣いも、どんどん近づいている。おれは怖くて振り返れなかったが、このままじゃあ逃げ切れやしない。なあ頼むよドニトス! もっと急いでくれ! おれにはお前のでかい図体は重荷なんだよ!


 もうカーバンクルの気配をすぐそばに感じることができた。おれは息を切らせながら、ドニトスと共に必死に走ったが、とうとう恐怖に負けて振り返ってしまった。


 後悔した。何故人は目を閉じたまま死ねないのか、何故今際の際になって、死神の姿を確かめようなどと考えてしまうのか。


 カーバンクルは、おれの目の前で、耳まで割けた口を開いていた。

 口から発せられる死臭が鼻を付く。ここでおれは、死ぬのか。


「先輩! 伏せて!」


 その時だった。レンの声が聞こえた。急に伏せろなんて言われても、おれの反射神経では反応なんて出来やしなかったが、それが功を奏したのかもしれない。

 振り返ろうとしたとき、おれは自分の漏らした小便で足を滑らせ、ドニトスと二人、地面に崩れ落ちた。


 僅かな夕日で、鈍く光るナイフが、頭上を通り過ぎた。


 ナイフは回転しながら真っ直ぐ飛ぶと、吸い込まれるようにカーバンクルの脇腹に突き突き刺さった。


「遅いから様子見に来ちゃいましたよ!」


 レンが走り寄り、反対側からドニトスに肩を貸した。レンの投げたナイフは小さな物だったが、ただのナイフではなかったのかもしれない。カーバンクルは刺さったナイフが鬱陶しそうに、その場をのたうち回っていた。


「すごい技だな、どこで習ったんだ?」


「昔、知り合いに教えてもらったんです」


「今からでも冒険者になったらどうだ?」


 ドニトスがレンを悪の道に誘おうとしていた。


「黙って走れ」


 おれはドニトスの足を蹴ると、レンと力を合わせて3人で走った。


 振り返ると、体中から黒い靄を出しながら、追いかけてくるカーバンクルの姿を視界がとらえた。旋風はもう打てない、これ以上打てば、おれの魔力は空になっちまう。そうすれば次、動けなくなるのはおれだ。


「先輩、まっすぐ前だけ向いて走る!」


 レンの言葉に、おれは心で頷きながら走った。


 頼りになる後輩が来たことで、多少恐怖心は紛れたものの、それでも耳は敏感に背後の気配を感じ取っていた。


 草を踏む音。


 着実に近づいて来る気配。


 四つ足の獣特有の息遣い。


 恐怖に足がすくみそうになったそのとき、ひときわ太い木の幹に姿を隠していたシムルとミリアムの姿を、視界の端っこに捉えた。


 間に合った。今度こそ、これで助かったんだ。

 おれが歓喜に打ち震えて立ち止まったとき、足元に見覚えのある魔法陣が描かれていることに気が付いた。


 おれは顔を上げた。


 シムルの暗く淀んだ瞳と目が合った。


 気づけばおれたちは、地面からせり上がってきた青白い輝きに、包まれようとしていた。

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