第10話

「考え直したほうがいいんじゃないか?」


 おれは震える脚で、洞穴の入口にドニトスと並び立っていた。


「大丈夫、出来る限り、俺が攻撃を受け持ってやるから」


「おれはギルドの調査官だぞ? こんなことして、どうなるかわかってるんだろうな?」


「頼む、あんたしかできないことなんだ」


「あいつでもいいだろ、おれの魔道具をあいつに貸せばいいだけの話だ」


 おれは後方でシムルらと共にこちらを見ているレンを指さした。


「先輩だめですよ。貸与中の魔道具をまた貸しすることは、ギルドの規定で禁止されてますからね」


 おれはレンに聞こえるように舌打ちした。こんなときに規定なんか持ち出すんじゃねえよ、だいたいその諭すような口調も胸糞悪いんだ。


「頼む、日没までには勝負を決めたいんだ」


 ドニトスは言った。その言葉にはもう、申し訳ないなんていう気持ちが残ってるように思えなかった。ただ、うだうだ喚き続けるおれに対して、いい加減腹を括れと言わんばかりの、鬱陶しさや呆れ、苛立ちにも似た感情が、言葉の端々にため息となって滲み出ていた。


「じゃあせめて、おれに囮じゃなくて、とどめを差す役回りをくれ。おれの〝旋風〟の魔道具も、そう悪い性能じゃなかっただろ?」


「いや、さっき見せてもらったが、出力が低すぎる。その魔道具じゃ無理だ」


「魔道具で無理なら、おれが直接、剣で叩き切るよ」


「剣術は苦手だって言ってただろ?」


「たった今得意になった」


「いい加減にしてくれ!」


 ドニトスがおれの胸倉を掴んだ。


「時間がないんだ! シムルは強がってるが、傷は深い!」


 あれ? いったいなんでおれは怒鳴られてるんだ? 理解が追いつかなかった。なぜ冒険者でもないおれが、こいつらと協力して妖精種と戦うことになってんだ? 仮にそうしなければならない状況だとしても、それはおれの善意によって成り立つものだよな?


「しっかりしろ! 全員の命が掛かってるんだぞ」


 おれはドニトスから頬を引っぱたかれた。軽い脳震盪を起こし、茫然自失としている間に、外套のポケットにそっと紅玉を詰め込まれた。


「変異したカーバンクルは、紅玉を取り返そうと追ってくる。だからそれを持ってひたすら逃げるんだ。そして合図が上がったら戻るんだぞ」


 ドニトスはおれの耳元で囁いた。まるで誰かに聞かれるのを嫌がっているようだった。

 いいな? 念を押されながら背中を叩かれる。話がトントン拍子に進んで、覚悟を決める暇もなかった。


「じゃあ、準備はいい?」


 ミリアムが言った。


「はい、いいですよ」


 おれはもちろん納得してないので、何も言わなかった。返事をしたのはレンだ。ちなみにこいつは何の役割も指定されない。ミリアムたちに付いて行って、ぼうっとしているだけでいいらしい。なぜだ? 顔のせいか? おれがレンより不細工だから、年上だから、こうなったのか?


「解くわよ」


 ミリアムの声が震えていた。カーバンクルは十メートルほど離れた樹の下に伏せ、真っ赤な瞳でこちらをじっと見つめている。

 魔術師である彼女が恐れるほどなのだから、これから囮になるおれの恐怖は、計り知れないものだろう。今はまだ、ドニトスに打たれた頬の痛みが、恐怖を麻痺させているだけだ。


 カーバンクルは妖精種だ、ただの無知な獣ではない。何かを感じ取ったのか、体を持ち上げ、臨戦態勢に入った。そして、ミリアムが障壁を解いた瞬間、こちらに向かって猛烈な速度で走りだした。


「そっちは頼んだぞ!」


 エレナとミリアムに支えられたシムルが、カーバングルを避けるように西方向へ向かって走った。

 ドニトスはカーバンクルがシムルたちを追いかけようとする前に、大声で叫んだ。


「お前の大事なものはこっちだ!」


 余計なことは止めてくれ。せっかくあっちに行ってくれそうだったのに。

 カーバングルはこちらをじろりと見つめると、おれの外套にしまってある紅玉に気づいたのか、森中に響き渡るほどの声で鳴いた。まるでキョンが放つ断末魔のようだ。おれは一瞬で現実に引き戻された。恐怖で足がすくんで動けない。


「走れえ!」


 おれ目掛けて突進してくるカーバンクル目掛けて、ドニトスが戦斧を振り下ろした。カーバンクルは学習していた。後ろに飛び退いてドニトスの攻撃を避けると、体勢を崩した隙をついて、ドニトスの首元目掛けて牙を剥いた。


「先輩!」


 遠くから聞こえたレンの声に我に返り、おれは咄嗟に指輪型の魔道具を起動させ、左の手の平から小さな〝旋風〟を起こす。


 幸運かな、おれの使った旋風はカーバングルの意表を突いたようで、青くしなやかな体が数メートルほど宙を舞って、地面に転がった。


「よくやった! 今のうちに逃げるぞ!」


 そしてドニトスに手を引かれ、おれはまるで従者と共に悪漢から逃げようとする貴族のお姫様のように、森の中目掛けて走り出したとさ。めでたしめでたし。

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