抱えるもの

―◆◆◆―


「ただいまぁ」

「あ、ママだぁ~」


 果澄が帰宅をすると、鈴葉がテクテクと走って彼女に飛びつく。

 一日の疲れはこの瞬間、一気に吹き飛ぶ。果澄は我が子の頭を撫でた。


「おかえりなさい」

「夏海ちゃん、ありがとうね。しばらくの間、迷惑をかけちゃうけど」

義姉ねえさんの頼みとあっちゃ、断れませんよ」

「無理しないでね」

「いえいえ。いつも迷惑をかけているのは、うちの馬鹿兄貴のほうっすから」

「ふふ。間違いないね」


 プラプラとしていた渉がいない今、仕事に出ている果澄の代わりに渉の妹の夏海が鈴葉の面倒を見ていた。とはいえ、それは毎日のことではなく、果澄が在宅ワークで済ませられない場合のみである。


「意外でした」


 食事を済ませ、果澄と夏海が食器洗いと食器拭きの共同作業をする。


「兄貴は不器用だから、多分、また同じようなことが起きるんじゃないかって。義姉さんなら、正直止めると思っていました」

「私は鬼嫁だから」

「そんなことないっす! あ、いや、すみません。でも、義姉さんは誰よりも兄貴のことを考えてくれているのわかっているんで」

「私のことをよーく見てくれているねぇ、夏海ちゃんは。可愛い可愛い義妹ちゃんじゃ。よしよし」


 夏海の頭を撫でた果澄だったが、どことなく儚げな瞳を宿す。


「彼が深く傷ついていたこの四年間ね、私も頑張ってきたの。でも、結局彼に希望を与えたのは私じゃなかった。どこの誰かもわからない原石君なのよ」

「悔しかったっすか? 悲しかったっすか?」

「ううん、違う。嬉しかったの。――本当は引き止めるべきだったと思う。彼は不器用だから、また自分で敵を作ることになると思う。そして、また辛い目に遭うことだって……」


 皿洗いを続行していた果澄は息を小さく吸って、蛇口を捻り水を止めた。


「これは私のワガママ。Mr.スカウトマンを好きになった私が、もう一度、あの頃の彼を見たいと願った結果。酷い妻だね。本当に酷い女さ」

「……兄貴だって馬鹿じゃないっすよ、義姉さん。色々と反省しているところはあると思います。以前はワンマンの独裁的思考が彼を孤立させてしまっただけ。もし、あの馬鹿兄貴をコントロールしてくれる相棒のような人がいれば――」



―◇◇◇―


「ヘックション!」


 誰かに噂されているのか、クシャミが今日はよく出る。

 本日はプレスト倉敷FCの試合に赴いているわけだが、どういうわけか隣にはオーナーである御子柴花妃も同席している。


「感想を正直に言ってください」

「言っただろ。夏には、今の選手は一気に入れ替わる。感想もくそもないんだよ」

「貴方の意見を尊重する方針ですが、私の意見は述べさせてください」

「どうぞ」

「潜在能力の有無だけで、今の選手たちを簡単に切り捨ててよいものなのでしょうか? 能力以前に、もっと大切なことがあると思います」

「そりゃそうだろ。チームスポーツだからな」


 意外。彼女はそんな感じで驚きの顔をしたのだった。


「では、どうして簡単に切り捨てられるような発言をっ」

「天才だの超人だの怪物だのと呼ばれる奴を前にすれば、チームプレイなんて必要なのか? って思わされることがある。奴らは個の力だけで、難局を切り抜くことができる。たとえば、それが同じチームで11人揃ってみろ。自分を輝かせるためのパスは送れど、それは連携プレイをするためじゃない。あくまで勝つための手段としてチームメイトを利用するんだ」

「その言い方だと、解せないように感じられるのですが。貴方はそういったチームを作りたいのでは?」

「あん? 誰がそんなことを言った。つか、そんな天才・超人・怪物がゴロゴロと出てくるわけねぇだろ、バァカ。これだからお嬢様育ちは考えが温いんだよ」

「バッ、バカってなんですか! わ、私はただ単に貴方の思考に寄り添おうと――」


 プリプリと怒る姿には愛らしさがある。感情の起伏があるところを見ると、凛としてオーナーを務めている彼女は、若干の無理をしているようだ。


「つか、相手チームの端のベンチにいる奴は誰だ」

「えっと、あれは……誰でしょうか?」


 花妃は相手チームである“FCヒバリ札幌”を検索にかけ、その選手のプロフィールを探る。


新島大翔にいじまはると、23歳。ポジションはFW」

「普段はレギュラーだよな?」

「いえ、レギュラーメンバーは大方記憶していますが、残念ながら彼の存在は今知りました」

「所属歴は?」

「ヒバリ札幌のユースを経由して、しばらくは二軍で活躍をしていたようです。ただ、一軍になってからは先発スタメンは未だになし。後半5分未満での交代要員として投入されていますね」


 不遇な扱い。

 プロとは言っても、オーナーや監督の意向で選手の扱いはガラッと変わる。

 いくら才能があっても、監督の意図するものにそぐわない場合は試合に出させてもらえないことも多々とある。


 彼がそういう原因を抱えているかは不明であるが、俺の眼識をもって彼の才能を知った限りは、放っておくわけにはいかなかった。


「移籍市場が開いた際には、口説き落としてみようか」

「すぐにオファーを掛けたりしないものなんですね」

「まずは身辺調査。そこから残契約数、契約金や移籍金の見積もりを計算。損得勘定によりすべてを照らし合わせ、それでも彼が欲しいと思えば獲得に動く」

「へぇ。ちゃんと考えているのですね」


 腐ってもスカウトマン。クラブの経営状況などを考えて、そのクラブに見合った選手やコーチを掘り出して交渉するのが本来の仕事である。


 結局、プレスト倉敷FCのチームで残しておきたいと思えるメンバーは、せいぜい3、4人といったところだった。いずれもベンチ要員程度の才能でしかないので、彼らの替えなどいくらでも利くだろう。



 ――最高の助手は最高の仕事をする。

 三日三晩どころか一日一晩でリストアップを完成させてきたのだ。


 俺は湊がまとめたフリー選手のデータを見ながら、眼識能力を利用して候補者を絞っていく。沖縄から北海道、日本からブラジルまで。

 すべての候補者を絞り、より時間効率の良い行動を計算する。

 時は金なり。正に今はそのような状況だ。


 やはり俺の興味を惹く選手は海外に偏っていた。

 国内選手10名。海外選手28名。候補者計38名。

 このうち、プレスト倉敷FCなんて名の知れないチームに興味を持つのが10名程度といったところか。特に海外選手であれば、JSOリーグに関心すら示さない者も多いことだろう。


「俺を誰だと思っている? 伝説のMr.スカウトマンだぜ」


 自分で言うのはさすがに恥ずかしいので、これからは控えようと思った今日この頃である。

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