買収と新オーナー

 ボサボサの髪を切り、風を心地よく感じられる短髪になってスッキリする。

 無精髭も剃り落としたことで、見た目が随分と若返った。


 そんな俺は今、新幹線で西へと向かっている。



――◇◇◇――


 爺さんと手を組むことを承諾した日のこと。


「チームはどうするつもりだ。今の二年計画であれば、新規チームを創設するには無理がある。アンタもそれを承知で案を出しているとは思うが」

「その通り。実は君が承諾するか否かは関係なく、ワシのプロジェクトは既に大きく動いているのだよ」


 この食えない爺さんと仕事をして本当にいいのだろうか。

 やはり、もっと慎重に考えるべきだったか。


「お、言っている間に情報開示の時間がきたな」

「情報開示?」


 爺さんはジャケットの内ポケットを漁り、名刺入れを取り出す。


「自己紹介をするのは初めてだったな。ワシは御子柴みこしば栄一郎と申す」


 名刺を差し出された俺は、その名前に聞き覚えがあった。

 はて、どこで聞いたことがあったか。

 その答えは、ちょうど名刺に記されていた。


【御子柴建設株式会社 代表取締役兼CEO 御子柴栄一郎】


 なるほど。国内でも髄一の建設会社で知名度も抜群。

 その会社のトップに座するお偉いさんということか。


「……まじか」

「マジもマジじゃ。そんなわけで、今すぐに御子柴建設の最新ニュースを要チェックだ」


 なんだか、この爺さんに上手く踊らされているようで不快だった。

 大人しく、俺はスマートフォンで“御子柴建設”の検索をかける。


≪5月20日。御子柴建設株式会社がプレスト倉敷FCを買収したことを発表。なお、御子柴建設がスポーツ業に参入するのは初めてのことで、今後のサッカー事業の盛り上がりに期待がかかる≫


 さすが金にモノを言わせられる大企業様は違う。

 俺は半ば驚きと呆れに、複雑な顔を作った。


「これが情報開示だ。そういうわけで拠点は倉敷。君にはしばらく滞在してもらうからな。あとのことは頼んだぞ」

「岡山か。ここから随分と遠いな。って、あとのことは頼んだってどういうことだよ。アンタのサッカーチームだろ」


 御子柴の爺さんは人差し指を揺らして、口端をクイっと上げた。


「だって、ワシは観る側が好きなんじゃもん。趣味を仕事にするなんて嫌じゃ」

「はぁ? 一緒にチームを作ろうって言ったのは一体なんだったんだよ」

「チームを用意してあげたではないか。なぁに、安心せい。既にクラブ責任者を任命し、今後のすべてはに任せておる」


 もしかしたら、大富豪の娯楽に付き合わされているだけなのではないだろうか。

 俺は一抹の不安を抱えながらも果澄にああ言った手前、引き返せなくなっていた。



――◇◇◇――


 倉敷。初めて足を踏み入れたわけではない。

 スカウトマンの職業柄、どこにでも足を運ぶので、この地にも何度か訪れたことがあった。


 市内の中心地から電車で30分。徒歩で10分。

 目的のプレスト倉敷FCのクラブハウスに到着する。

 現在JSOリーグの二部で9位に付けており、まだまだ強豪には遠く及ばないチームである。


 クラブハウスは田舎の町役場のようで、決して華やかさはなかった。

 名門チームのクラブハウスを何度も見てきた人間としては、クラブハウス一つ取ってもスタッフや選手の意欲に影響することを知っている。


「お待ちしておりました。交合こうごう渉さまですね。オーナー室へと案内致します」


 受付嬢の先導でエレベーターに乗って三階に着くと、今度は秘書らしき女性が迎え入れ、受付嬢から案内役を引き継ぐ。


 コンコンコン。


「どうぞ」

「失礼します。交合渉さまをお連れしました」

「ありがとうございます」


 秘書は辞儀をして部屋をあとにする。

 オーナー室には長い髪をサラサラと靡かせた、スタイルの良い女性が立って辞儀をしていた。想像よりも若く、まだ20代半ばではないだろうか。


「はじめまして。新しくここのオーナーになりました御子柴花妃はなびと申します」

「御子柴?」

「はい。祖父から話は聞いていませんか? 私、栄一郎の孫娘になります」


 これはこれはお嬢様ってか。

 あの爺さん、孫娘に経営の勉強でもさせようって腹積もりかよ。

 まったく洒落にならねぇ。この事業が失敗に終わってもいいってことかよ。


「すみません。私みたいな若い女がいけしゃあしゃあとオーナーになってしまって。ですが、幼い頃から祖父に経営の何たるかを叩きこまれた経緯もあり、ある程度の経営能力に自信があります」


 その目から本気度は十分に伝わる。ただ熱意だけではどうにもならない。

 俺のこのを通して、彼女に経営者としての素質がなければ――。


「……あい、わかった。で、俺についてはどう聞かされている?」

「お爺様は『Mr.スカウトマンの意見を尊重しろ』とだけ」

「話しが早くて助かる。俺のやり方は、お嬢様には少々刺激的かもしれない。それでも俺の意見を尊重するか?」

「それがチームのためであれば」


 彼女自身はその言葉に揺るがない自信を持っていることだろう。

 だが、覚悟とは言葉だけで具現化することはない。

 面白い。

 お嬢様には早速、生半可な気持ちは捨ててもらおう。


「それじゃ手始めに、チーム人事の整理をしてもらおうか」

「人事整理?」

「監督・コーチ・その他スタッフ諸々。セールの始まりだ」

「そ、そんな。まさか一斉にクビにする気ですか!」

「そうだ。能力の低い者には去ってもらい、有能な人間を取り入れる。実にシンプルなことだろ?」


 まず間違いなく気の優しい人間なら躊躇する。

 今、働いている者たちの職を奪うことになる上、多くの反感を集めることになる。図太い精神をしていなければ、とてもじゃないが即決など――。


「わかりました。今すぐに全スタッフの参考資料を用意します」

「お、おう」


 大丈夫か、この女。

 リーグ真っ只中でのスタッフ大量解雇だなんてチームに悪影響でしかない。

 ま、普通は。の話だが。


「どうしましたか?」

「いや、案外すんなりと聞き入れたものだから」

「勘違いしないでください。伝説のMr.スカウトマンの力量を私なりに推し測っているのです。結果が出るまで、貴方の意見に尊重します」


 はは、あの爺さんの孫娘だけある。

 図太くて食えない血族か。

 俺の眼識通り、この女にはオーナーとしての優れた才が宿っている。


「あくまでも最終決断をするのは、オーナーであるアンタだ。もし、俺が不必要だと判断したときにはいつでも切り捨ててもらって構わない」

「――なるほど。貴方がフリーランスを選んだ理由がわかりました。いざというときは、トカゲの尻尾切りを素直に受け入れるということですね」


 勘の鋭い女だ。どこぞのスルメイカ妻を思い出してしまったじゃねぇか。

 しばらくは単身赴任で帰れそうにもないが、なんだかんだ家族を忘れることはできそうにないようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る