第4話
長い石段を上がると、屋敷が目の前に出現する。
「……おぉ、おみゃぁがファニドッキャかぬぁぁっ?」
と、腰が垂直に折れている、長い白髪と長い白髭を生やし、白い牧師さんのような服を着た老人。
「あなたがファニー・ド・キャロル殿ですか?」
慌てて走って来た、白いドレスの女性が話す。
「あ、は、はいっ」
「わっしゃがぁちょろといわれらぁ男さぁぁぁ」
「私が長老です」
なるほど、彼女は通訳のような存在なのか。娘か召使いか知らないが、よくあのあやふやな言葉を理解できるものだ。
「おみゃぁが、わるどいっとうばとーに参加するんさじゃなぁ?」
「あなたが世界統一戦に参加するのですね?」
「はい、そうです」
「……ふぉふぉふぉふぉふぉふぉ」
長い白髪で顔は見えないが、おぞましいほど長老の口角が高く上がった。
「きてーしておんぞなぁ、きばてこいやぁ。……しょけぇだけは受けんこととなぁ?」
「期待しているので、頑張ってください。えーと、もう一度おっしゃってください」
「あわぁ? んな無理無理、あなぐろてなもんおもだすだけ肝冷えやぁ」
長老は長い髪をブンブンと振った。よく見れば、足がかすかに震えている。
「……まあ、許可は取れたことだし行こうか」
神妙な顔をして、王が女性に一礼する。私もあわてて腰を九十度に曲げた。
「では。お忙しい中ありがとうございました」
「さ、さようなら……」
「ぜてぇしょけぇだけは受けんこととなぁ!」
と、長老は今まで聞いたことのない雄たけびを上げた。
私は小走りで階段を下ってゆく。なんだか、ゆっくり行くとあの怪人が猛スピード追いかけてきそうな気がしてならなかったからだ。
ガタガタ揺れていた馬車の動きがぴたりと止んだ。
「着いたようだな」
扉を開けて、地面に降り立つ。
私は自宅の鍵を取りだし、歩き始めようとした。が。
「……あ!」
ここは自宅の前ではなかった。
「ヴィッヒィン!」
脚が八本もある馬がそこへ向けて、車を引いて走ってゆく。
あの馬は、救急患者を運ぶ際に使われる足の速い馬だ。
「何で、急に……」
「そりゃあ、今すぐ彼氏に許可を取ってもらわないと困るのでね」
王はいたずらのバレた子供のような純粋な笑顔を浮かべた。
「ファニーさん、ジャンさんがお待ちです」
馴染みの看護師が硬い表情を浮かべて駆けてきた。
ポーン
『ファニー・ド・キャロルさん、ご入室くださーい』
いつもの伸びやかなアナウンスが届く。
私はソファに体を掴まれるような感覚を覚えた。
「……行ってきなさい、ここで待っているから。良い返事を待っているよ」
王のいつもの微笑み、そして高貴な口調を聞いて、私はソファの手を振り払った。
「よぉファニー。どうしたんだ、そんな引き攣った笑顔」
ジャンは顔をほころばせて私を出迎えてくれた。
「いや、色々あって……」
「覚悟は決まったか?」
今日のご飯は何だ? くらいの口調でジャンは重大なことを問うてくる。
「……んー」
「言っただろ、俺は俺のせいで他人の人生を潰しちまうような真似はしたくねぇって。特に、ファニーならなおさらだ」
「でも」
「聞いたぜ、お前が魔法を持ったこと。意外にやるじゃんか、どんな魔法なんだ?」
ジャンは白く輝く歯を出し、訊ねてくる。
「……」
「別に魔法のこと訊いてるだけじゃんか。誰もお前を責めてなんかいねぇ」
「
「超回復ってのはどんな魔法なんだ?」
「相手の体力が百パーセントになる魔法。そうだ、ジャン。やらせて。
「止めろ!」
と、急に怒号が病室に響き渡った。振り返ると、王が覗いている窓がガタガタと揺れている。
「ファニー、お前俺のためにこんな魔法ゲットしたわけじゃねぇんだろ? もっと真っ当に使え。お前魔法覚えたて何だから、何回も使うわけにもいかねぇだろ」
「でも」
「何より。使う相手は俺じゃねぇんだ。将来のお前の夫だ」
「だーかーら、私の夫はジャン一人だけだから」
「何度言ったら分かるんだお前は!!」
耳の穴が千切れかけた。塗り薬の容器がパタンと倒れる。
「お前は俺のために生まれてきたんじゃねぇ。俺だってお前のために生まれてきたんじゃねぇんだよ。お前の人生で俺が足かせになんのは、俺には耐えられねぇってことどうして分かんねぇんだ!」
ハァ、ハァ、ハァとジャンは息を荒げる。
「俺だってお前と一緒にいてぇけど、それでもこんなどうしようもねぇ病気しちまって、ただでさえお前に迷惑かけてたんだ。俺はお前に迷惑かけることが苦痛だったんだよ。頼むファニー、苦痛を取ってくれ」
彼のか細く、骨が見えかけている腕がブルブルと振るえる。
「俺からすれば、お前が自由になってくれたら、これ以上無い幸せなんだよ……」
真っすぐにこちらを見てくる切れ長の瞳。その瞳が少し揺れている。目元にはしずくが溜まっていく。
これでも首を横に振るのは彼にとっても良くないのかもしれない。ジャンはたくさん悩んだだろう。夜な夜なベッドで唸っていたことだろう。
ジャンとの思い出がフラッシュバックする。初めての、あの衝撃的な舞台での出会い。一緒に踊ったこと。旅行したこと。料理をしてあげたこと。初めて一緒のベッドで眠ったこと。彼が誕生日プレゼントを買ってくれたこと。急に倒れて私がアワアワしたこと。お見舞いでの平凡な世間話。
そして、彼の真っすぐな眼差し――。
「……分かった。私、国の代表として頑張ってくる」
視界が涙で揺れる。お気に入りの水色のドレスが、涙で濃い青色に変化してゆく。
「でも、一つだけ約束して?」
ジャンが体を前のめりにした。
「私がゲームで勝ったら、絶対にまた会おってこと」
ジャンはブルッと体を震わせた。
「……分かった。ファニー、これまでありがとな」
ついに涙腺が決壊した。大量の涙がドクドクと頬を伝う。
「必ず、俺たちの王妃になってくれ」
ジャンはバタリとベッドに倒れた。それでも懸命に腕を伸ばす。私もベッドに近づき、腕を伸ばした。
ギュッと、ジャンの冷たくて心細い手を握る。
「本当に、ありがとね。……行ってきます」
ジャンはそっと、うなずいた。
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