戦国-2

 酷く頭が痛い。俺は生きていたのか。ここは病院なのだろうか?俺は目を開ける。

 目の前にいたのは、ちょんまげのおっさん。

えっ?混乱する間もなく頭の中に何かが大量に入り込んでくる。脳みそが爆発するのではないかと思うような衝撃と痛みと共に俺の意識は再びブラックアウトしたのだった。

 

 どれくらい時間が経ったのだろうか?俺は再び目覚めた。今度は目の前には誰もいない。病院ではなさそうだ。俺は広い和室に敷かれた布団の中にいる。布団の横に着物を着た中年の女性がいて、おれが目覚めたのに気づき慌てて外に出てゆく。

 俺の頭の中の霧がはれてくる。ここは那古野原城だ。俺は織田信之。あれ?織田三郎信長。ん?なんだ?

 バタバタと廊下を走る音がして、この間のちょんまげのおっさん、平手政秀が部屋に入ってくる

 「信長様、お気づきになられましたか」

 「政秀、何があった?頭がガンガンしてよく覚えておらん」

 「5日前の地震の時、信長様は落ちてきた瓦が頭に当たり気を失われました。医師に手当をさせましたが、気を失ったまま。昨日一度、目を覚まされましたが、また気を失ってしまい、今再び目を覚まされたのです」

 「で、あるか。古渡の親父殿は知っておられるのか?」

 「お知らせはしてあるのですが、ご承知の如くただいま今川と松平が連合して虎視眈々とこちらを狙っております。この度の地震で古渡城が酷く損傷したため大殿は備えのために古渡を動けぬ状態です。幸い那古野城は殿と数人が負傷しただけでほとんど影響はありませんでした」

 ならば、あとで見舞いに行かねばなるまい。

 「ところで、政秀、腹が減った。何か用意せい」


 病み上がりということで、湯漬けを食べ腹がくちくなったが、流石に眠くない。まず状況を整理しなければならない。まだ頭が痛いと言って布団に戻り考える。今の俺には二つの記憶がある。30歳までの織田信之の記憶。そして今までの織田信長の記憶。ただ、人格は俺1人である。

 俺は何者なのだろうか。俺は織田信之である。間違いない。病気が加持祈祷で治らないことも、元祖の周期表も知っているし、この後の日本の歴史も知っている。だが、俺は織田信長でもある。織田信長としての意識も記憶も全く途切れることなくつながっている。そして、俺は織田信長でもあるのだ。

 2人の人格が同居している感じではない。

二つに分かれ、別々の世界に同時に存在して別々の経験をしていた俺が元に戻った感覚なのだ。持って来させた銅鏡に映る俺は、鏡のせいで多少歪んではいるものの、間違いなく織田信長の顔であり、12〜3歳の頃の織田信之の顔である。転生の一種なのか

 何か大いなる力によって、目的を持たされてこうなったのか?いや、女神様にも男神様にも会ってない。どちらかと言えば何かの偶然でこうなった感じである。

 しばらく考えていたが、やめた。信之はやや優柔不断であるが、信長は決断の人である。信之的には令和の世界に戻りたい気もするが、今の俺、信長はこの時代に生まれ、この世界が好きだ。そもそも戻れるのかも不明だし、死んで、魂が信長に入り込んだのであるなら、戻る場所は無くなっている。それに信長付きで令和に戻ったらサラリーマンに戻れる自信がない。

 結局、何が起こったのかすらわからないのである。つまり何を考えようと、なるようにしかならない。今ここにいると言う事は、このまま信長として生きてゆくしかないという事だろう。考えるだけ無駄なら考えない方が良いではないか。信長である事に信之が邪魔になる訳でもないし、信之であり続ける必要もない。どちらも俺なのだから。信之にとっては異時代なんだが、信長にとっては自分の時代なのだ。ただ、ちょっと期待して、夜1人になった時、魔法が使えるか試してみたのは秘密である。

 

 次の日、手土産を持った俺は古渡城の親父殿の元に見舞い兼快癒の挨拶に伺った。お約束で平伏していた頭を上げた時に見えるのは役所の小役人、いや、目つきはずっと鋭く、織田家の勢力を大幅に拡大させただけあって、その顔は覇気に満ちているが、顔は令和にいた俺、織田信之の父親の若い頃と同じ顔である。信長の記憶もあるので分かってはいたが、なんだか楽しくなってしまった。


 父母に挨拶をして俺は那古野城に戻る。そして、当然ながら、信長としてのいつもの日常がはじまる。俺は後継ではあり、元服は済ませてあるもののまだ数えで13歳。初陣もまだなのだ。

父信秀から与えられた那古屋城の主人ではあるが、実際は付き家老の平手政秀が差配している。何故別の城に暮らしているかと言うと、現在の織田家は、現当主信秀の時代に急速に勢力を拡大して領地を増やし、その上領内に熱田と津島という2つの流通の拠点を持つために割と裕福なのである。したがって周りは全てそれを狙う敵だらけ。虎視眈々と織田を狙っているのである。そのため、今川、松平への備えとリスクヘッジとして親父殿は弟の信勝と古渡城に住み、俺は那古野城に住んでいる。ただ、本音は、わからない。古渡と那古野は5キロくらいしか離れてないし、微妙な距離なのである。親子関係も別に悪くないので、遠ざけられているとも思えないのであるが。

 で、地震の後始末が終わると、精神年齢は織田信之の30歳のつもりだったが、織田信長の13歳が一緒になったせいか、身体に心が馴染んでしまったのか、俺は学問をしろという政秀の目を盗み、同じくらいの歳の家臣数人を連れ、城を抜け出して少し離れた街にでかけ、今まで通りそこで喧嘩ををしたり相撲をとってたりする。寿命も短いためか、平成の子供と比べればはるかに大人であるが、30歳の大人ではない。分かってはいるのだが、どうにもならないのだ。身体は13歳である。思春期の理由の無いイライラは止められない。


 半年が過ぎ秋になった。俺は相変わらず喧嘩や相撲に明け暮れている。隣国との関係は良いとは言えないが、戦が起きている訳でも無い。特にする事もないのだ。

 前にも言ったが、織田の支配地の中には熱田と津島という神社と港があり、人が集まり、物流の拠点ともなっていたために経済活動が盛んで織田家は割と裕福であった。

人と物が集まって動けば、変な奴らも集まる。荷運びの人足供は短気で荒っぽい。そうでなくても人が集まれば揉め事も増える。喧嘩の相手には困らなかった。俺は後の世のカブキ者の様な、碌でなしの頭領でもあったのだ。まぁ、世は戦国真っ盛り。俺みたいなやつはあちらこちらにいた。この辺は信之でなく信長のキャラなのだろうが、信之の俺にとっても今の俺は違和感が無い。なんとなく信長と信之が合わさってちょうど良くなった気がする。

 世間の評価はよくわからないが、俺的には信長だった俺も別に暴れ者でも、凶暴でもなかった。

 学問好きではないが、漢詩は作れなくても、漢文の読み書きくらいはできたのだ。ただ、

信之と一緒になった事により、少し考えるようになった気がする。


 この日も同じような集団と、喧嘩をして、その後仲良くなって、相撲をとり、子分の、訂正。仲間の1人である造り酒屋の三男坊、嘉助の家に行き酒盛りをすることになった。酒盛りといっても、塩をつまみに、土器の器で酒を飲み回すだけである。嘉助の父、美濃屋利左衛門にとっては迷惑な話だが、将来の領主と縁を作っておくのは悪くないと思っているのか、何も言わない。それに、何故か俺は損得抜きに利左衛門に気に入られている気がする。とは言え、俺達もその辺はわきまえており、たまに酒をせびる以外の要求はしない。

仲間の父親なのである。無茶振りをすると嘉助の顔を潰すことになるのだ。 

 

 さて、酒盛り。えっ、数え13で酒を飲むなって?この時代生まれたやつの半分は20歳まで生きられないのだ。令和ならともかく、元服を済ませた俺は、初陣はまだとはいえ、天文の世では立派な大人だ。ほっといて貰いたい。

 久々の酒。清酒ではない。ドブロクだ。

ぐいっといく。うーん、不味い。信之の記憶が入り込む前はそれなりに美味いと思って飲んでいたが、信之の記憶がある今は、冷えたビールや大吟醸の味を知ってしまっている。ドブロクだって令和のドブロクは美味い。材料や造り方、保存方法の差だろう。特に夏を越したこの季節の酒は最悪だ。明日酸っぱくなっているし、おまけに生ぬるいから最悪だ。

 腹の具合が良く無いので、一杯でやめておくと断り、他のやつが呑んでいるのを眺めながら、考える。令和時代、疲れ果ててた俺の唯一の慰め。彼女も趣味も無く、忙しい中で友達とも疎遠になっていった俺の唯一の友、酒が不味いなんて。ああ、なんで信長が令和に来なかったんだ。天下布武なんかより楽しいことがたくさんあるのに。

 酒こそは神の霊薬、魂の救い、命の水。

なんとかならないものか…

 確か、年間を通じて安定した味の日本酒が飲めるようになったのは明治になってからだった気がする。焼酎はもうこの時代でも九州あたりで作られていた気がするが、それが流通して、尾張まで来るのはいつになるやら。

 そうだ、焼酎で思いついた。この酒も蒸留すれば美味くなるかも。もとの酒が良くないのだから、蒸留酒がとても美味い酒になる事は無いだろうけど、今のままより良くなる可能性はある。雑味も変な酸っぱさも減るかも。そもそも保存が悪いから酸っぱくなるのだ。

 少なくとも、この酒は美味くならないかもしれないが、来年の酒を蒸留してアルコール度を上げておけば保存性も良くなり、夏を越したら味が極端に落ちるというような事は無くなるかもしれない。冷蔵庫は作らなくても、酒の蒸留位なら俺の知識でもなんとかなる。あれこれ工夫すれば、案外美味い焼酎を作れる気がしてきた。

 炭酸水を将来作れることがあれば、柑橘を探し出して酎ハイが飲める。俄然やる気が出てきた。


 そんな事を考えていると利左衛門が挨拶にやってきた。

 「信長様、ようこそお越しくださいました。

倅が常日頃大変お世話になっております。この利左衛門、感謝の言葉もありません。おや、塩を摘みに酒盛りですか。全く嘉助も気が利かない。直ぐに何か持って参りましょう」

 流石に如才ない。分限者なのに腰も低く、気がきく。頭の回転も早い。金儲けも上手いし、人の使い方も知っている。こいつを巻き込めば美味い酒が飲めるだけでなく、領内の発展にもつながるだろう。

 「利左衛門、酒をたかりに来た身じゃ。気を遣うでない。ところで、ぬしに相談がある。どこか別の場所にではなせぬか」

 「ではこちらへいらしてくださりませ」

俺は、子分、もとい仲間に断り利左衛門についてゆく。別室に案内させ紙と小刀、筆、そくい(糊)を持ってこさせ、蒸留機の簡単な図面と模型をつくる。

 「これを銅で5尺くらいの大きさで作れぬか?これは、腐りにくくて味の落ちない酒を作る道具じゃ。上手くゆけばかなりの銭になる」

 「なんと、遠く明国や九州にはそのような酒があると聞いたことがありますが、大変高価で珍妙な物だとか。なぜ信長様がその作り方を知ってらっしゃるので?」

 「先日儂が寝込んだ事は嘉助から聞いておろう。その時夢の中で熱田大神から託宣があったのじゃ。捧げられる酒が夏を過ぎると不味くてたまらん。これで美味い酒を作って我に捧げよとな」

 利左衛門は慌てて後ろに下がり平伏して床に額を擦り付ける。

 「そのような事にこの美濃屋利左衛門をお使いくださるとは、なんと有り難い事でしょう。

謹んでお受けさせていただきます」

 この時代の人は神や仏に対して、なんと純朴

であろうか。

 「できた酒が美味ければ、熱田神酒として売り出すが良いとも言われたぞ」


熱田も津島も、港と神社、太平洋航路の中継地点となっている為、工人や職人も多く10日あまりで、利左衛門から蒸留機が届いた。かなり急がせたらしい。

 早速、城の一角で、子分、もとい友人達と実験開始。何をやってるのかは分からなくても、俺の言うことはよく聞いて動くのでたいへん助かる。

 利左衛門が若い職人を何人か連れて手伝いに来たのも大変助かった。これは善意だけでなく、何をやるのか知りたかったらしい。

 俺の作ったのはこの時代の主流の直火式でなく蒸気式の蒸留機である。それ程複雑なものではないが、直火式と違って、もろみを焦がす心配が無いので大変効率が良い。

 最初にできたものを、水で割ってみんなで味見。まだまだ満足できる物ではないが、一同びっくりしていた。熱田大神の託宣は美味い酒を所望であったので、竹炭で濾過器を作って漉したり、あれやこれは工夫を重ねたが、なかなか難しい。概ね満足できるものができたのは、結局、新酒ができてからになってしまった。当然ながら新酒から作ったものは雑味も少なく、まあまあ美味かった。やっているうちに面白くなったらしく、途中からは金物職人や悪ガキ、最初は迷惑そうにしていた杜氏なども参加して、俺抜きで皆で相談しながら工夫してしていた。

 俺もかかりっきりでいたかったが、流石にお飾りでも領主の仕事をしないといけない。

 政秀が頭を打った信長様が変になったのは自分のせいだから、自害して信秀様に詫びると切腹しそうになったので、つきっきりでいられなくなったのだ。

 俺も、酒の専門家ではないので、指導などはできない。皆で知恵をだして完成させるために、麹の話、酵母の話、なぜアルコールができるのか、なぜ酸っぱくなるのか。杜氏達が経験で行っていた作業の意味や理屈を皆に伝えた。

熱田大神の知恵だと言えば皆納得する。大変便利である。

 ついでに利左衛門に九州の薩摩には、この酒に向いた黒い麹と芋があるという話をする。芋は救荒作物としても優れるので、是非入手するようにとお告げがあったと話して入手に尽力してもらう。

 この時代でも後の廻船のような決まったルートでは無いものの、北から南まで流通ルートは存在する。薩摩もまだ国内鎖国と言われるような閉鎖的な政策をとってないため、なんとかなると思う。


 蒸留酒ができたところで、利左衛門とまた相談。

 自分たちで楽しんだり、少量を作って一部の金持ちに売るならこれで良いが、もっと大々的に作って儲けたい。少しくらい高く売っても、量が少ないと大した儲けにはならない。味も、この程度では値段によっては売れないだろう。夏を越しても味の落ちない酒精の強い酒というだけでは、アメリカの禁酒法時代の密造酒と変わらないのだ。他者が絶対真似をできないレベルのものを造らなければいけない。 

 まずは蒸留器をいくつか作り、実験しながら製品開発を継続しよう。領地経営者である戦国大名にとって殖産はとても大事なことなのである。

 いずれにせよまずは資金が必要。美濃屋だけでできることではない。親父殿にも銭を出させよう。

 それに、熱田神社の神官に鼻薬をきかせて、熱田大神公認、熱田神酒として少量を秋から冬の酒の味が落ちる時期に売り出そう。それ絡みで熱田神社から資本金を多少調達するのも悪くない。

 そしてこの神酒を飲むと熱田大神のご加護が得られると、噂を流す。


 蒸留酒は運ぶ時は、濃い方が場所を取らず、傷まないので良いが、売るときは、薄めても問題ない。

 濃さによって値段を変えて何種類かの商品を作ろう。マーケティングを兼ねて全国数カ所の港に直営店を作り独占販売をするのも良いかもしれない。

 俺的には燻した樽の中で寝かせて、ウイスキーのようにしたものや、葡萄を使った葡萄酒やブランデー的な物も作りたい。それに確か北海道にはホップが自生していたはずだ。理屈上はビールの製造だって可能だ。


 できた物を手土産に父上を訪ね軍資金を引き出した。また、熱田神社、更に領内の津田神社も巻き込んで、そこからも銭を引っ張った。

 ドブロクしか知らない世界にとって、美味くて強い酒は麻薬と一緒だ。ちゃんとしたものを作って流通路を整えれば絶対うまくいくはずである。

 今、織田の周りは敵だらけだ。少しでも収入を増やして力をつけねば、あっという間に喰われてしまう。戦国大名はの領地の経営能力が無ければ生き残れないのだ。

 えっ?歴史が変わらないかって?

酒一つで歴史が変わるとも思えない。それに少々気になることもある。


 あれこれやってるなかで、ある日嘉助が話しかけてきた。

 「お頭、酒を作るのに目に見えない麹や酵母

 が働いてるってのはわかったんですが、なんでそいつらがいると酒になるんですかね?醤油や味噌も麹を使うから同じですよね?」

嘉助はなかなか頭の良い男で、俺たちの中では実戦部隊というより参謀役。何にでも興味を持つ。ただ理屈っぽいので時々俺に殴られたりするが、俺の事を妙に気に入っているらしく、犬のように俺の周りをちょろちょろしている。

美濃屋の跡継ぎでもないので、いずれ家臣に取り立てて家宰にでもしようと思っていたのだが、そうだ、こいつとちょっと頭の良さそうな子分どもを集めて、色々教えて酒の研究をさせよう。

 「見えない小さな生き物を使って物を変えるのを発酵と言う。米を食うと糞が出るであろう。あれと同じじゃ。目に見えない小さな生き物が米を食って酒を尻からひりだす。わかるか?」

 「麹の糞尿をありがたがって飲んでるって事ですか?ただ、そう言われてもさっぱり分かりやせん」

 「で、あろうな。では透明な小さなガラス玉と、薄い木端、墨と紙、膠、蝋を少量揃えよ。

なぜ酒ができるかから教えてやろう」


 10日位たって、集まった物でペットボトル顕微鏡のような物を作る。ペットボトルなど無いのでようなものである。プレパラートが1番苦労した。

薄いガラスもセロテープも無い。結局、透明度の高い雲母で代用した。要は菌の存在を実証できれば良いのだ。

 初めて見る麹や、山葡萄を少し干したものやイチジクから見つけた酵母を見た嘉助達はびっくりした。

 「目には見えぬが、菌というやつがそこらじゅうにいて、酒や味噌作るのに役立ったり、漬物を美味くしている。こいつらは良いことだけでなく悪いこともする。肺病や虫歯、傷が膿むのもこいつらのせいじゃ。人間と同じように勢力争いをしてるので、悪い菌を殺すものを作る菌もいる。それを見つけて薬を作らせれば、風邪をこじらせて死ぬ者も減るし、死病の肺病も治るのじゃ」

 「お頭は熱田大神のお告げでそのような事がわかるので?」

 「そうじゃ、大神の加護により知恵をもらい頭が良くなった。お前らはわしの可愛い子分、もとい仲の良いともがらじゃ。熱田大神の知恵を授けてやろう。そして、うまい酒を作るのじゃ」


 とは言え、データのコピーでは無いので事はそんな簡単にはゆかず、結局小学校レベルの自然科学の教科書を作る羽目になって、俺はそれから三月あまり苦悩の日々を送った。理解させて発展に導くための入門書がいかに難しいか作ってみて初めてわかった。

 まぁ、国語も社会も英語も要らない。

算術と一部の理科だけなのでなんとか三月でできたのだ。あとは大人に教えるためのものなので、子供に教えるのよりはかなり楽だ。教える対象を絞れるのと、俺の命令で学ぶのだ。サボったり飽きたりは許されない。下手を打てば切腹か首チョンパなのである。真剣である。

 家臣と手下の中で、荒事より頭を使うのが得意そうなやつと、美濃屋に推挙された15から20歳位のやつを集め、熊野誓紙にこの知識は他言無用。織田家ため以外には使わないと誓いを書かせ、講義を始めた。まずは俺が作った教科書の模写である。印刷も不可能ではないが、部数が少ないなら模写の方が早いのだ。織田家私設科学研究所の始まりである。


 教科書を使っていてわかったが、俺自身結構色々なことを、記憶の彼方にやって、しまい忘れている。今の環境では使わない知識などどんどん忘れる。そこで覚書ではないが、知っている事を書き出すことにした。そして蒸留酒の開発開始から3年後のある事件から俺にとって生涯をかける仕事の一つとなった。書いて分類しておけば嘉助達や子孫達が将来もっと学びたいと思った時に役立つに違いない。半分くらいはうろ覚えの、いや、元々真面目に覚える気が無かった怪しい知識も多々あるのだが、ゼロよりはマシだろう。

なんだかんだいって、この作業は修正を入れながら俺が死ぬまで続く事になった。色々な知識が役に立ったのは最初の10年くらいなのだが、書いているうちに、ダビンチの残したデッサンや資料、ノストラダムスの預言書みたいになるかもとか思って楽しくなったのもある。将来、織田信長は宇宙人だったなんて本が書かれるかもなんて考えたら、にまにましてしまった。紛失を考えて3部作った資料は一部は手元に。1部は熱田神社に、1部は那古屋城に地下倉庫を作り、上に仏像と仏殿を置いた。家臣の見てる前でやったので、仕舞われたのは、写経だ思っているはずだ。未来の知識がそこに置かれているとかは考えもしないだろう。城内の経文など盗まれることもない。今すぐに役に立たない知識でも、ただ闇雲に研究開発するより目標を持ってする方がスピードも全然違う。転移装置を開発するより、自動車を開発する方が無駄がないのであるが、全く知識がない状態からのスタートではそれすらもわからない。

 この辺に金鉱があるなんて知識は絶対無駄にならない。

 


 

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